今世の肉親



 目覚めると、見馴れた寝室の天井が視界に映る。

 そういえば、召喚の儀の途中で気絶したんだった。
 あれからどうやって帰ったのか分からないけど、おそらく使用人が運んだのだと思う。

 窓から見える空は茜色。昼間に召喚の儀を行ったのに、もう夕方だ。

「おねーさま! だいじょーぶ!?」

 バンッと勢いよく扉が開く。
 驚いて顔を向けると、ノックもなく部屋に入ってきたのはエリオット。

 ベッドに駆け寄って私を見上げるエリオットの表情は心配そうだ。
 エリオットを見ると肩の力が抜けて、穏やかに微笑む。

「大丈夫。エリオットの方こそ、いい精霊を召喚できた?」
「あっ、うん! でてきて、レーヴェ」

 独り言のように告げると、エリオットの胸部から赤白い光球が出てきた。
 そして、またたく間に四足歩行の獣の形状へ変貌へんぼうした。
 赤みをびた金色の体毛に、赤い瞳とたてがみと、尻尾の先のふさふさ。ほのかな光を滲ませている獣の形状は、獅子。

 彼から滲み出る魔力を感じる限り、この獣型の精霊は上位種。
 私は目に魔力を集めて、心の中で『鑑定』と唱える。


名前:レオンハルト
種族:精霊[獣型:獅子王]
位階:上位[序列第四:王位]
魔力:A/735000
神力:B/54000
属性:火・光[聖]
能力:浄炎・光速移動・獅子王の咆哮ほうこう
契約:エリオット・ライサンダー[仮]
詳細:上位精霊・獅子の王。聖属性の浄化を含む炎を操り、衝撃波をともなう咆哮は広範囲にわたり、相手の平衡へいこう感覚を封じる。矜持が高いが、認めた相手にはふところが深く、義理堅い。


 これは【鑑定魔法】。どうやら無属性を保有する者が使えるようだ。
 無属性に特色はないが、何にでも染まることができる。つまり相手の魔力と同調できるのだと、私は推測している。

「へえ、王位の上位精霊……さすがね」

 上位精霊には位階がある。一番下から栄位えいい、王位、帝位、天位、神位と繰り上がる。
 これは上位精霊の強さを表す階級。彼らは人間のように強さに順位をつけ、その順位をステータスに誇っている。
 下位精霊は彼らの強大な力におそれ、上位精霊に近い中位精霊はかしずくようにしたがう。上位精霊の間では、自分の階級より下の上位精霊を守る者から見下す者もいると、母親の中位精霊から聞いたことがある。

 そんな上位精霊の中で四番目に位置する王位を引き当てるなんて、エリオットは幸運の持ち主だったようね。

「さすが?」
「うん。エリオットの魔力は質も量もいいから」

 ある程度は予想していたけれど、王位は予想を上回っていた。

 私はベッドの縁に座り、レオンハルトという獅子に向き直る。

「はじめまして。私はエリオットの姉、チハルです。名前を聞いてもいい?」
「レオンハルトだ」

 憮然ぶぜんと名乗るレオンハルト。王様らしい態度に、自然と笑みが浮かぶ。

「まだ仮契約?」
「当然だ。私は人間の幼児に従うほど安くはない」

 確かに気位が高い。でも……。

「かっこいいね。気高い王様らしくて」

 素敵な精霊だと、私は思う。人によってはあつかいづらいと不満を漏らすだろうが、私は彼のような精霊は好きだ。

「愛称で呼ばせてあげるなんて優しいね」
「……言いにくそうだったから、仕方なくだ」
「それでも優しいよ。真っ向からエリオットを否定しないでくれているから」

 気高いなら、エリオットのような無邪気な子供は許容外だろう。
 けど、レオンハルトはエリオットを否定していない。ちゃんと見極めようとしている。

「ゆっくり見極めて。エリオットのいいところ、悪いところ、全部見てあげて。そして、エリオットの理解者になってくれると嬉しい」

 いずれ私はそばから離れる。その間にエリオットの理解者が現れてくれるのかは判らないから、信頼できるレオンハルトに頼んだ。

「エリオットのこと、よろしくお願いします」

 心からの願いを込めて笑顔を浮かべる。
 穏やかな心地で言うと、レオンハルトは一度まばたきをする。

「……チハルは、不思議な人間だな」

 ぽつりとこぼした言葉に苦笑してしまう。
 今生では初めて言われたけれど、実は地球では妖怪達によく言われていた。


 ――「奈桜は……不思議な人間だな」


 ……彼の声が、今でも耳に蘇る。
 切ないほど愛しくて、大切な彼の声が。

確約かくやくできんが、チハルの言うとおり小僧を見極めよう」
「ありがとう」

 ほっと安心してお礼を言う。

 ここで、空気になっていたエリオットがむくれていることに気付く。
 頬を膨らませて、不機嫌そうにレオンハルトを見上げている。

「ぼくのことも、なまえでよんでよ」
「なら、早く私を認めさせてみろ」

 レオンハルトが挑発的ちょうはつてきに言うと、むぅ〜、とうなるエリオット。可愛いなぁ。

「ところで、チハルは召喚できたか?」

 エリオットからたずねられると思っていたことをレオンハルトが切り出した。
 予想外だったが、私は普通に答えた。

「召喚できなかったよ」

 ただ、精霊界の女神から恩恵を貰っただけ。
 ありえないことなので、最後の言葉は心の中に隠す。
 けど、今の一言だけでもエリオットとレオンハルトには衝撃的だったらしい。

「え? えっ、どうして?」
「さあ? でも、私としては良かった」
「何故だ? 人間は精霊を求めるものだろう」

 レオンハルト、それは偏見へんけんだよ、と言いたい。
 しかし、この世界のほとんどの人間が憧れることだから、否定することはできない。

 私は曖昧に苦笑したあと、目を伏せた。

「あの子達を差し置いて、他の誰かと契約するなんて裏切りだから」

 切ない笑みが浮かんでしまったけれど、心からの思いを吐露とろした。
 かつての眷属を呼び出したい。呼んで、再び式神の契約を交わしたい。
 けど、それは今じゃない。なんとなくだけど、私のかんが告げるのだ。

「はい」

 ちょうど扉をノックする音が聞こえた。
 返事をすれば、ライサンダー公爵に仕える侍女が入ってきた。

「お嬢様。旦那様がお呼びです」

 ……とうとう来たか。
 小さな溜息ためいきいて、私はベッドから降りた。

「エリオット、着替えたいから部屋から出てくれない?」

「……うん」

 不安そうな顔になるエリオット。あの男が私を嫌っていることを知っているからだ。
 エリオットは最後まで名残惜なごりおしそうに私を見詰めつつ、部屋から出た。

 さて、いつものラフな服に着替えるとしよう。



 貴族の令嬢らしいドレスから、ワイシャツにカーディガン、スラックスといったユニセックスな服装に変わり、当主の執務室に訪れる。
 部屋に入ると、濃い金髪をオールバックに整えた男が窓辺で景色をながめていた。

「チハルです。ご用件は何でしょう?」
「……ふん。相変わらず不気味なガキだ」

 私を鼻でわらった男こそが、今生の父親・バーネット。
 振り返った彼の目は濃い緑色。つり上がって、狡猾こうかつそうな顔つきだ。
 淡い金髪に碧眼のエリオットとは大違いだと、いつも思うほど似ていない。
 エリオットが母親似でよかったと思っていると、バーネットが単刀直入に訊ねた。

「召喚の儀はどうだった。我が家に相応ふさわしい精霊を引き当てられただろうな」

 傲慢ごうまんに言うバーネットに精霊はいない。昔、中位ぐらいの精霊を引き当てたが、一年も経たないうちに精霊界へ還ったそうだ。
 こんな奴に従うなんて誰だって嫌だろう。私だって嫌だ。

「召喚できませんでした」

 すまし顔で淀みなく告げると、バーネットは表情を消す。

「……もう一度訊く。嘘いつわりはやめろ。召喚……できたのだろう?」

 腹の底から響く声ですごんできた。
 自分の子供である以前に、幼い子供に対して酷い態度だ。

「ですから、精霊を召喚できませんでした」

 思わず溜息混じりで言い直すと、バーネットがカッと怒り顔になってなぐりかかった。
 短気で最低な男だ。私は怪我をしたくなくて、魔力のみによる障壁を展開した。

 ガンッと音を響かせたバーネットはうめき、れ上がった手をかばう。

「貴様っ……この私に歯向かうのか! 今まで育ててやった恩を忘れたか!」
「我が子に恩とか、最低ですね。……ああ。いつも私を貶めている悪辣あくらつ下衆げすだから、そんな常識も解らないか」

 子供らしくない辛辣しんらつな言葉を吐き出せば、バーネットの顔が引き攣った。

「貴様を追い出さなかったのは、創造神の祝福を得ていたからだ! 神に恩恵を授けられたなら、上位の精霊くらい引き当てられたはずじゃないのか!」
「そんな勝手な憶測で決めつけるなんて、大人としてどうなの」

 深い溜息を吐いて、やれやれと頭を小さく振る。
 こんな人間が親だなんて、本当に嫌になる。私もそうだけど、エリオットが可哀想だ。
 そんな私の態度に、バーネットはついにブチ切れた。

勘当かんどうだ!! 即刻出て行け!!」

 いつか別れると思っていた。だから、こんなに早く縁を切れて万々歳ばんばんざい
 そうなるように焚きつけたのは私だけど、こうも上手くいくなんて笑えてくる。

 小さな笑い声が出てしまった私は、ニコリと嗤ってやった。

「もちろん、そのつもり。二度と会わないことを願います。では、さようなら」

 最後にそう言い捨てて、私は部屋から出た。