05-08


 エドモンの説明では、中流ゾーンに冒険者ギルドがあり、そこから少し離れた中心街付近に例の共同住宅があるらしい。

 冒険者ギルドから徒歩十分弱で大通りに近い住宅街に入って、程なくしてその建物に着いた。
 設備が整っている上に広いという言葉通り、とても大きい。
 石材を多く使った壁は一階だけで、上階の壁は木材と煉瓦れんがで作られている三階建て。前開きの窓が上に五つ、一階に二つ付けられていた。おそらく手前は通路側なのだろう。

 温かみを感じるいい建物だ、と思いながら中に入ると、四人席の長方形のテーブルを七個ほど設置した食堂には十人前後の客が夕食をとっている。老若男女様々で、各々の時間を過ごしていた。

「マドラはいるか」
「え? あっ、は……はい!」

 テーブルにある使われた食器を下げようとしている女給に声をかけるエドモン。気付いた女給は慌てて頭を下げて、厨房があるだろう奥の扉へ姿を消した。

 ……さっきの女給、頬が赤かった。
 改めて見ると、エドモンはかなりの美形だ。やや細い眉に、高すぎない鼻筋、程良い厚さの唇。顔立ちは中性より男性らしい引き締まった輪郭。繊細な銀髪は肩につかないほどの長さで、柔らかそうな質感。中でも切れ長な目付きに似合う金色の瞳は凛々しくて、流し目で見られると色っぽくなるだろう。

 ……うん。古代族って美人が多いね。私も目立つくらいだとフィー姉さんに言われるほどだし。
 人族として生まれたかったなぁ、なんて小さな溜息を吐いてしまった。

「疲れたか?」
「え? あぁ、うん……。こっちに来て一度も休んでないし……」

 思えば夕食もまだだ。
 思い出した途端、お腹から小さな音が聞こえた。可愛いと言えば可愛い音だけど……。

「……クッ」
「笑うなっ」

 叫びたくても店内で騒ぐのは行儀が悪い。ここは文句と睨むだけで我慢した。
 肩を震わせて笑いを堪えているエドモンを殴りたい衝動に駆られる。でも、初対面で暴力はいけない。だから震えるほど強く拳を握った。

「お待たせしました、エドモンさん」

 不意にかけられた穏やかな声。
 厨房側からこちらに来たのは、程良くふくよかな可愛らしい女性だった。
 身長は一六〇センチより低め。彼女の顔立ちは丸顔で、愛嬌がある笑顔が似合う。白い頭巾にエプロン姿は、まさにお母さん。安心感と癒しを与えてくれる代表的なお母さんだ。
 可愛らしい女性に感動していると、平静を取り戻したエドモンが私の肩に手を置いた。

「新しい入居者だ。金についての説明はしてある」
「まあ。わざわざすみません」

 軽く驚いた女性はエドモンに軽く頭を下げ、私に向き直るとにこりと笑った。

「共同住宅『白兎の庭亭』へようこそ。女将のマドラと申します」
「シーナです。今日からお世話になります」

 軽く会釈して名乗り返すと、女将――マドラは自然体な笑顔で説明した。

「お金に関してはエドモンさんから聞いている通り、うちは少し高いですが、それなりのサービスと安全を保障しております。一階は食堂、二階と三階は居住空間で、各五部屋になっております。一階にありますお風呂を希望する際はお貸ししますが、小銀貨二枚を頂戴致します。料金につきましては前払いとなっていますのでご了承ください。朝食と夕食は付けますか?」
「じゃあ、それで。小金貨一枚と銀貨五枚……だっけ?」
「はい」

 確認を取って《宝物庫》から財布を取り、小金貨一枚と銀貨五枚を出して渡す。

「ありがとうございます。空いている部屋は二階の二部屋、三階の一部屋しかありませんが……」
「じゃあ……三階で」
「わかりました。ところで夕食はどうします?」
「食べたいけど、数は大丈夫?」
「はい。では、鍵は食後にお渡ししますね。エドモンさんも食事はとりますか?」
「ああ」
「畏まりました。少々お待ちください」

 頭を下げたマドラが厨房へ戻っていく。
 私は辺りを見回し、空いている席を見つけてそこに座る。ちょうど右側の奥なので、壁に寄りかかることができた。
 ふぅ、と一息つくと、正面にエドモンが座った。

 ……空いている席はここ以外ないけど、正面じゃなくても良くないかなぁ。
 私は親しくない人と気安く食事を摂ることが苦手だ。そもそも親しくない人と関わることすらしないから、こういった状況は気まずく感じる。

「お待たせしました。本日の夕食はケルピーのステーキとコンソメスープと葉野菜のサラダです」

 女給の声が聞こえて、ぼーっとしていた意識を戻す。
 目の前に出された円形の白い皿には立派なステーキが載せられ、市販ではなさそうなステーキソースが入った小鉢が添えられていた。その横に綺麗なオレンジ色のスープと、ドレッシングをたっぷりかけた今が旬の春野菜の器が並べられた。
 まさに高級レストランに出せそうな料理に、自然と感嘆の吐息が出た。

「凄い、美味しそう」
「うちは高い分、料理には力を入れているんですよ」

 自慢そうな女給の言葉に、なるほど、と呟いて手を合わせる。

「精霊の恵みに感謝を」

 この世界の自然界は精霊が秩序を守っている。彼等のおかげで私達は食べていける。――その感謝の気持ちを言葉にしてから食べるのが、この世界では共通の作法だ。
 いただきます、じゃないことに初めは慣れなかった。日本人としての習慣を捨てきれなくて、何度も間違えた。今でもたまに「いただきます」を言いかけてしまうから、環境の変化は侮れない。

 ナイフとフォークでステーキを食べやすい大きさに切って、フォークを持ち替えて食べる。

 ケルピーとは馬の姿に化けて水辺に棲む魔物だ。陸では魚のひれたてがみうろこを持つ馬だけど、水中では下半身が魚のように尾鰭に変わる。
 獲物を背中に乗せようとして、乗せたら水中に引きずり込んで獲物を喰う、という性質の悪い捕食の仕方をする。本来なら幻獣だけど、一角獣ユニコーン天馬ペガサスのような幻獣とは違い、人を食べ物とするから魔物として扱われている。

 Cランクモンスターだからかなり美味しい。しかも、この食堂の味付けは今までにないくらい絶品だ。

「美味しい……。ケルピーの肉なんて手に入りにくいのに」
「マドラの息子も冒険者だからな。そいつの伝手のおかげだ」

 マドラは童顔で小柄だけど、れっきとした成人女性だ。子供も一人や二人いても可笑しくない。
 エドモンの話に相槌あいづちを打ち、夢中になって食べ終わらせた。水で薄めたワインを食後に飲み、席から立ち上がる。

「マドラ、ご馳走様。凄く美味しかった」
「ありがとうございます。これは部屋の鍵です」

 マドラからルームキーを貰い、三階に上がる。一階ごとに左側にトイレの小部屋を設置しているから、一々一階に下りなくても良さそうだ。
 鍵についている札には『T』の文字が刻まれている。その文字が扉についているプレートに彫り込まれているため、どこの部屋に入ればいいのか判りやすい。
 三階に着いて右側のドアを開き、壁についているスイッチを入れると、電気ではなく魔力によって照明魔道具に明かりが点く。

 部屋の中は予想していたより広かった。最初は八畳ぐらいだと思ったのだが、十畳以上はありそうだ。
 右の壁際には質のいいベッドと机、左の壁際には小さな冷蔵庫に似た簡易冷蔵魔道具と流し台が設置されていた。白い壁も、明るい茶色の床も掃除されているようで小奇麗だし、ベッドの布団も小まめに干しているのか太陽の匂いがする。

 三階なのに流し台が完備されているなんて驚いた。この世界は地球の中世時代に似ているから、水道は通ってないのかと思っていたから。

「これで小金貨と銀貨か……」

 食事付きの一ヶ月で十五万円は、やっぱり安いと思う。でも、地球のアパートと比べて部屋数は一つしかないのだから、妥当だとうと言えば妥当なのかもしれない。


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