02-04


 そよぐ風でざわめく木々。
 さわさわと聞こえる心地良い音に、意識がゆっくりと浮上する。

 まず目にしたのは見覚えのない天井。石造りではなく、木目が見えるから木造。
 ぼんやりと見つめていると、肌触りの良い布の感触を覚えた。このふかふかしたものはベッド?

 私は、どうしたのだろう。異世界転移っぽい転生を果たし、迷宮のような場所で宝探しを楽しんで、翌日の初陣で魔物を殺して……不思議な魔法陣がある空間で、浄化魔術を行使した。
 もしかしたら、あれが原因なのだろう。一気に魔力がなくなる感覚に支配されたから、その所為かもしれない。

 倦怠感けんたいかんの残る右腕を動かして額に手の甲を当てる。

「はぁー……え?」

 深く息を吐き出して気分を落ち着かせていると、視界の端に何かが映った。

 そっと視線を向けると、巨大な灰色の犬……いや、狼がいた。

「ぅっ、わぁあっ!? いったぁーっ!」

 あまりのことに飛び起きて身を引く。その拍子で横の壁に頭をぶつけた。
 ゴンッと酷い音が響き、気の抜ける悲鳴を上げてしまった。
 うぅ、地味に痛い……。

 ぶつけた頭に手を当てて呻く私に、狼は頭を擦りつけてきた。

 心配してくれている……んだよね?

「だ、大丈夫……。ごめん、びっくりしちゃって」

 謝って狼の頭を撫でれば、狼は嬉しそうに目を細めて尻尾を振る。
 そこで気付く。狼の存在感が限りなく薄く、淡く光っていることに。

 ただの狼じゃない。もしかして……。

「……精霊?」

 小首を傾げて呟くと、狼は小さく頷く。
 この世界の精霊は動物なのか。凄く神秘的だ。

 目を丸くして、ふわふわの毛並みを楽しむように撫でる。こうして見ると、凄く可愛い。
 荒みかけている心が癒されて、頬が緩んで微笑が浮かぶ。

 ――コンコン


 その時、部屋の扉からノックの音が聞こえた。
 目を向けると木製の扉が開き、一人の若々しい女性が入ってきた。

 顔立ちは大人らしい秀麗な造形で、背中まである黒髪は私と違ってパッツン。しかも黒目だから日本人っぽく見える。けれど彫りの深さから、東洋人と西洋人の血がざり合ったような風貌と感じられた。
 まさに傾国けいこくの美女。思わず見蕩みとれていると、女性は笑みを浮かべた。

「意外と早い目覚めだな。魔力欠乏症になったというのに」
「……魔力、欠乏症?」
「魔力が底を尽くことだ。魔力が多い者ほど反動が酷く、死に至る可能性も高い。君の場合なら、回復に十日以上もかかると見込んでいたのだが、三日で起きられるようになるとはな」

 ……なるほど。あれは魔力欠乏の症状だったのか。魔力がなくなったら死ぬとか……今回は本当に奇跡だ。
 あ、でも確かギフトで《魔力高速充填》というものがあった。もしかしたら、これのおかげで一命を取り留めたのかもしれない。本当にディオン様にも感謝しなくちゃ。

「あの、助けてくれてありがとうございました」
「礼なら光の精霊と、そこにいる混沌の精霊王に言ってくれ。彼等が君を護って、君を助けるよう頼んだんだ」

 ……精霊王ってマジ?

 またしても衝撃を受けて目を丸くする。狼を凝視すると、首を縦に振った。
 こうして見ると、胸の奥が温かくなるほど癒される。

「……護ってくれてありがとう」

 頭を撫でて礼を言えば、狼は私に擦り寄った。

 次の瞬間、狼から光がほとばしる。眩しくて目を細め、薄目で様子を見れば、光は徐々に形を変えて二メートルより二十センチ近く低いくらいの大きさに変わった。
 そして、余分な淡い光が舞うように消え、一人の青年が姿を現した。

 身長は一八〇センチを超えるだろう彼は、神々しい秀麗な美貌の持ち主。
 少し長い灰色の髪に、切れ長で怜悧な銀灰色の瞳。男らしい輪郭りんかくの顔立ちも文句なく綺麗。エルフみたいに尖った耳の先。
 彼が纏う衣類は、まるでグルジアのチョハという民族衣装の盛装版。青とグレーを基調とした服に濃い青のマントがよく似合う。
 呆然と見つめる私に、混沌の精霊王は笑みをたたえて私の手を握った。

『彼女の言うとおり、僕は混沌の精霊王だ。ディオン様から聞いている。シーナだね?』
「あ……そう、だよ。えっと……なんて呼べばいい?」

 混沌の精霊王って長いから、できることなら愛称で呼びたい。でも、相手は精霊王。簡単に愛称をつけるといけないと思う。
 色々と考慮こうりょして訊ねると、混沌の精霊王はよくぞ言ってくれましたと言わんばかりの笑顔を浮かべた。

 うっ、何この甘い笑顔。目に毒だよ!

『君が名付けてくれないかい?』
「……私が?」

 思わぬ申し出に、ぱちくりと目を瞬かせる。

『駄目かな?』
「駄目じゃないけど……いいの?」
『僕がいいって言っているんだから、いいんだよ』

 にこにこと笑う混沌の精霊王に、少し気圧される。それでも了解の意を込めて頷く。

 名前を付けることは簡単だけど、相手は精霊王だし、せっかくだから良い名前にしたい。
 混沌はカオスと言うけど、それじゃあ味気ない。じゃあ、さっきの擬態ぎたいもとに考えて……。

「シリウスはどうかな? 私の世界では、強い光を持つ星に名前を付けて星座を作るの。中でもシリウスは大犬座っていう星座の中で一番強く光る星で、外国語では天狼星てんろうせいって呼ばれている。どちらも狼の意味が含まれているし、シリウスは『光り輝くもの』っていう意味がある。貴方の擬態である狼と、精霊という儚い存在を確かなものにしたいという願掛けを込めて」

 思いつく限りのことを教えると混沌の精霊王は目を丸くして、徐々に嬉しそうに笑った。
 まるで、花が咲き誇るように。

『ありがとう、シーナ。これで契約は完了だ』
「……契約?」

 あれ、なんか聞いてはいけない単語ワードが聞こえたぞ?

 小首を傾げて復唱した私に、シリウスは満面の笑みで告げる。

『精霊に名前を付けることは契約行為の一つなんだ。下位精霊なら一方的にできるけど、高位の精霊の場合は精霊が許せば名付けられる。特に僕は混沌の精霊王。通常は光属性と闇属性のどちらかだけど、僕は二つがないと契約できないからね』
「……何ですと!?」

 シリウスに許されている時点で凄いことだけど……私、かなり大それたことをしちゃった!?

 衝撃を受けて口が開いてしまう。この光景を見ていた女性は、興味深そうに呟いた。

「ふむ、なるほど。だから混沌の精霊との契約は困難なのか。というか、君は相反する属性を持っているんだな。実に興味深い」

 マッドな科学者のような目色めいろに変えている女性に、少し引いてしまう。
 このままではいけないと思い、思い切って名乗った。


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