そんな時、執務室の外から慌ただしい足音が聞こえてきた。
滅多にない不穏な気配に、無意識に眉を寄せる。
扉が開かれると、書類を届けに行っていたはずのヴィンセントと、近衛騎士団長のオーエン、宮廷魔術師長のジェイソン、侍女のソフィアと、西の離宮を警備しているはずの女警備兵の二人がいた。
異色の組み合わせにただならぬ予感を感じていると、ヴィンセントとオーエンがハドフォンスに気付いて慌てて頭を下げる。
それに対してハドフォンスは面倒そうに声をかける。
「挨拶はいい。今は急を要するんだろ」
扉越しからでも聞こえた声から感じ取ったのは私だけではない。
ハドフォンスが促すと、ヴィンセントとオーエンは深く頭を下げて顔を上げる。
ジェイソン、ソフィア、警備兵二人が前に出て頭を下げると、オーエンが声をかける。
「ジェイソン、事の始まりを教えてくれ」
オーエンが促すと、ジェイソンは頭を上げる。
「先日、風邪で倒れたという花嫁候補の一人を不在中の宮廷医師に代わって診察しておりました。その際に補佐官が届け忘れていた薬を、宮廷魔術師見習いのシーナが届けてくれました。今日の昼過ぎに、忙しい私の代わりに彼女に礼を言いたいと、侍女を使い申されました。その後、外出した彼女は戻っておりません」
ジェイソンの締めくくった言葉に、表情が凍り付きそうになった。
「ハンナ」
「はい。昼過ぎにイザベル様の部屋から悲鳴が聞こえて、その後すぐに侍女に呼ばれました。私達が駆け付けたところ、イザベル様の服が切り裂かれた上に顔を真っ赤にして倒れていました。床に転がっていた鋏も踏まえて、そのシーナという宮廷魔術師見習いがイザベル様を襲ったのは状況から見て明白でした。我々はその見習いを拘束致しました。しかしイザベル様は、同じ村で育った妹のような子だからと、見習いを城から出すから見逃してほしいと仰られて……」
心臓が嫌な音を立てる。
警備兵の一人の証言の後、オーエンがソフィアに声をかける。
「ソフィア」
「は……はい。私はデオマイ村の花嫁候補の侍女を任されております。陛下、直接お話し申し上げるご無礼をお許しください」
緊張しているソフィアに「許そう」と一言告げると、彼女は頭を上げて話した。
「私が城に戻った時、シーナは連行されていました。止めようとしても、牢に入れないと言われたので謹慎されるのかと……。その時、彼女からイザベル様の破れた服を宰相閣下にお見せすれば証拠になると言われて……」
「それが、例の切り裂かれた服か」
ソフィアの手にはピンク色のドレスだったものがある。所々破れているようで、服という機能を果たしていない。
促してヴィンセントが受け取ると、彼はそれを広げて見せる。
シーナが証拠になると言っていた意味が解った。
ドレスは胸元からくびれまで切り裂かれているが、それ以外にもスカートの裾までズタズタにされている部分もいくつかあった。そして、どこを見ても血らしきものはついていない。
警備兵二人は痛ましそうな顔だが、オーエンは怒りを込めた表情で二人を見る。
「何故これを見て気付かなかった」
「気付く……とは?」
「鋏といっても、この破り方は肌を傷つけるのだぞ。スカートを切るにしても大袈裟すぎる。そこまで切り裂く暇があれば、すぐに叫んでいるはずだ」
オーエンの説明に、警備兵は困惑する。
「イザベル様が嘘をついたと言うのですか?」
嘘かどうかとも確かめなかった。それ以前に、シーナの証言は聞いたのか?
私の考えていることと同じことをオーエンが問い詰める。
「その宮廷魔術師見習いは何と言っていた」
「……自分は右利きだから、顔が
「愚か者が!! それを聞かずして城から出したのか!!」
雷と言っていいほどのオーエンの怒号が室内に響く。
窓ガラスを震わせるほどの声に、ソフィアと警備兵二人は身を
「その花嫁候補と同じ出身ということは、彼女も都会の世情を知らないというだ。拘束して部屋に閉じ込めるより状況を悪化させるとは考えなかったのか?」
ヴィンセントの無機質な声に、警備兵の二人は項垂れた。
彼女等の反応を見て、怒りと焦燥が湧き起り、不安と後悔が混ざり合う。
今まで生きてきた中で、こんなにも複雑に絡み合った負の感情はなかった。
イザベルがシーナを良く思っていないことは知っていた。
シーナもイザベルに対して、苦しいほどの感情を抱えていた。
不意に、旅の始まりの夜に見たシーナを思い出す。
『憎しみなんて、持ちたくないのに……!!』
『私が憎しみで人を傷つけそうになったら、私を止めて。もし止まらなかったら、その時は――私をコワシテ』