心地良い時間のおかげであっという間に感じるほど、私に宛がわれる部屋に到着した。
部屋の内装はシンプルだけど意外と広く、ベッドも大きい。魔術宮の居住空間の部屋より広い部屋に、思わずポカンとしてしまった。
「こ……こんないい部屋が?」
「そうだ。気に入ったか?」
「……うん。私には勿体無いほど……」
なんだか悪い気がする……。
私がこっちに移動する手続きをしたのは昨日のことでしょう? 昨日と今日の午前中でそれを済ませるなんて……なんか、ごめんなさい。
無性に謝りたくなったけど、アレンはその言葉を望まないから胸中で業者の人に謝罪した。
「ここは母が使っていた部屋なんだ」
「……え? アレンのお母さんが?」
「ああ。母は平民で治癒術師だった。ある時、城で流行った疫病に罹った者達を全て治したことがきっかけだったそうだ。父の求婚を受けるまでの期間と、私が生まれてから子育て用の部屋として使われていた」
求婚と聞いて頬が熱くなった気がした。
同時に、アレンの子育て用の部屋と知って興味が湧く。
「子供の頃のアレンってどんな感じだったのかな」
きっと可愛かったんだろうな。もしかしたら、幼い頃から美人だったりして。
そんなことを考えて頬を緩ませていると、アレンは小さく笑った。
「知りたいか?」
「うん。私もアレンのこと知りたい」
私と向き合いたいと言ってくれた彼のことを知りたいと思うのは当然だ。彼が竜帝でも、私の好きな人に変わりないのだから。
笑顔で言った私から、アレンは口元に手を当ててあらぬ方に目を逸らす。
「アレン?」
「……何でもない。少し恥ずかしいが、暇な時に教える。それでもいいか?」
「うん、ありがとう」
いつになるかわからないけど、いつか話してくれる。それだけで十分だ。
「私の部屋はここから奥の方にある。部屋の前に衛兵がいるから判りやすいだろう。何かあったら来るといい」
「……そんなに気軽でいいの?」
竜帝であるアレンに気軽に会いに行くって……衛兵に変な目で見られるかも。
そんな心配をしていると、アレンは教えてくれた。
「回りくどいが、竜帝付きの侍女に言えばいいから。大丈夫、シーナも知っている相手だ」
「私も知っている?」
竜帝付きの侍女だなんて大層な役職についている人と……知り合い?
誰だか思いつかない私にアレンは小さく笑い、ポンッと肩を叩いた。
「今日はもう休んだ方がいい。後で侍女が夕食を運んでくれるから」
「……いいの?」
「もちろん。また明日」
最後に私の頭を優しく撫でて、アレンは来た道を戻っていった。
きっとまだ仕事があるのだろう。そんな中で私に会いに来てくれたんだと知って、胸の奥が熱くなった。
「アレン! お仕事、無理しないでね」
「! ……ああ」
頑張ってね、と言いたかったけど、いつもの言葉が出てしまった。
それでもアレンは嬉しそうに笑って片手を上げ、背中を向けて去っていった。
見送った私は部屋に入って、いろいろと確認する。
クローゼットの中には、私の服が入っていた。ベッドのサイドチェストの上にあるのは、私の宝物である古代魔法書。
ジェイソンさん、ちゃんとアレンに渡してくれたんだ。
まさかアレンが竜帝陛下だなんて思ってなかった。でも、ジェイソンさんはアレンが竜帝陛下だってことを知っていたようだ。
ヒントくらい出してくれても良かったのに……と思っていると、部屋の扉からノックの音が聞こえた。
「お食事をお持ちしました」
「あ、はい」
自然と返事をしてしまったけど、今の声って、まさか……。
扉が開いてワゴンから部屋に入る。中に入ってきた侍女は……ソフィアだった。
「……ソフィア?」
「シーナ!」
冷静に入って扉を後ろ手で閉めたソフィアは、私に抱き付いてきた。
「無事でよかった……!」
耳をくすぐるソフィアの声は湿っぽくて、私まで目が潤んでしまった。
「ソフィア、ごめんね……」
「シーナは悪くないわ。それよりお腹空いたでしょう? サンドイッチ作ったから」
私から離れてワゴンの上にある蓋を外せば、美味しそうなサンドイッチがあった。
「美味しそう……!」
「シーナが教えてくれたドレッシングを少しアレンジしてみたの」
テーブルに配膳したソフィアの言葉に感動する。
私が考案したのじゃないソフィアの味。興味が湧いて椅子に座り、手を合わせて食べた。
「美味しい!」
まろやかな味と程良い酸味が絶妙で、食欲を刺激する。
夢中になって食べる私に、ソフィアは紅茶を淹れながら笑った。
今日は精神的に疲れてしまったけれど、とても嬉しいことが重なった。
それだけで、幸せだと感じることができた。
◇ ◆ ◇ ◆ 城に戻った翌日に出勤する途中でいろんな目を向けられた。
危険物を見るような眼だったり、嫌悪感を向ける眼だったり。
気分が悪くなったけれど、私は悪くないんだから堂々と歩いた。
魔術宮に到着すると、ジャンヌに泣かれるほど心配され、ドナルドに無理するなと怒られた。
二人の優しさが身に
沁みて、凄く嬉しくて笑顔になれた。
ジェイソンさんにもかなり心配されて、マーヴィンさんからは止められなかったことに頭を下げるほど謝られて……。
これからは周りの人に頼ることを覚えようと決めて、皆の優しさを貰いながら仕事した。
そんな日が続いたある日。
仕事が終わって宮殿に戻った時、見慣れない青年が三人もいた。
冬だと言うのにラフな
開襟シャツと赤い上着と濃い茶色の下衣を纏う赤い髪に
灼眼の青年。
赤い髪の青年より低い身長の青年は薄緑色の髪にエメラルドグリーンの瞳。服装は全体的に瞳の色と合わせて鮮やかな緑色。
黄土色の髪にアースブラウンの瞳の青年はライトブラウンの服を纏っている。
どの服も金糸を織り込んでいて、どれもこれも高貴な者が着るものだ。
「いい加減、その減らず口を閉じろ!」
「やだなぁ、言葉を交わすための口は閉じれないですよ。馬鹿ですか」
「あ……あはは。喧嘩はほどほどに……」
赤色の青年は端整な顔を歪ませて怒りを剥き出しにして、緑色の少年のような美青年はにこやかだけど毒づいていて、黄土色の好青年は困った表情で苦笑い。
主に赤色の青年が怒鳴っていて気分が悪くなりそうだけど……これ、通っていいのだろうか。
「あ、そこに君。ここを通りたい?」
「えっと……はい。あの……喧嘩、ですか?」
緑色の青年が
訊ねてきて、頷いて気になったことを
訊く。
「喧嘩……というより、彼が一方的に怒ってくるんだ」
「怒らせているのはどいつだ!」
「
責任転嫁はみっともないですよ。あー、やだやだ」
やれやれと言う風に肩を
竦めて両手を軽く上げる。
これって、どう見ても緑色の青年が悪いんじゃない?
「そうやって
焚きつけているから喧嘩が収まらないんですよ。あまり言いすぎると
幼稚に見えますから、
煽るようなことは控えた方がいいと思います」
自然と注意とアドバイスを言ってしまう。
緑色の青年は目を丸くして私を凝視しているけど、続いて赤色の青年に顔を向ける。
「貴方も。あまり言葉を真に受けては切りがありませんので、受け流すことも大切です。それと、怒りすぎると
脳梗塞や脳出血になって早死にしますよ」
「……のうこうそく?」
片眉を器用に寄せて復唱する赤色の青年。
そういえば、この世界では馴染みのない言葉だった。
この世界でもきっとあると思うから、脳梗塞の知識を披露した。
「頭の中――脳が
血液循環障害になることを言います。急に意識を失って倒れて、手足が動かなくなる。いくら助けを呼びたくても声すら出せない。私や嫌ですよ。苦しんで死ぬなんて怖いし。だからあまり怒らない方がいいですよ」
「……それを平然と言える君が怖い気がする」
引き
攣って感想を言う緑色の青年。
事実を言っただけなのに、どうして怖いと言われないといけないのか。
理解できなくて首を傾げる私に、黄土色の青年が感心の目を向けてきた。
「君、凄いね。簡単に二人を仲裁するなんて」
「仲裁……したのでしょうか?」
あまり自覚がないんだけど。ただ自分の思ったことを言っただけなのに。
と、ここでアレンとローザを思い出す。
仲裁するのが大変な竜王がいるという話を二人から聞いたことがある。
「無意識か……凄い才能だ。僕はラインホルト。地の国エザフォスを治める竜王だ」
「…………え。そちらの二人、も……?」
恐る恐る訊ねると、赤色の青年が名乗る。
「火の国ピュールの竜王、ハドフォンスだ」
「ゴトフリート。風の国アネモスの竜王だよ」
……マジか。確かにアレンと同じ、人間を超越した美貌の持ち主だけど……。
ここで、私は名乗っていないことを思い出して、慌ててお辞儀する。
「シーナと申します。宮廷魔術師見習いをしております」
「……シーナ?」
ハドフォンスという青年が私の名前に反応する。
え、会ったことない……よね?
そう思っていると、奥の通路から感じたことのある魔力を感知した。
三人の奥を覗き見れば、静かに歩いてきた女性が早足になって……。
「シーナ!」
「うにゃあ!?」
私に抱き付いてきた。
変な奇声を上げてしまうほどびっくりしてしまった……。