初めての友達

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 残されたマリリンは、去り際に見せたユリアの表情に心がえぐられるような痛みを受けた。
 力無い微笑だったが、綺麗な赤い瞳はくもりを帯びたようにかげっていた。
 感情を押し殺した瞳から感じ取れたのは、後悔、罪悪感。

 今回はユリアが怒るのも当然のことだった。それなのに罪悪感を持ったのは、きっと初対面で皆を怖がらせてしまったから。
 確かに先程のユリアは怖かった。しかし、それは大切な家族を想う気持ちから生まれた、とても優しい怒り。

 優しいからこそ怒りを向けた。
 優しいからこそ傷ついた。
 ユリアの心の在り方に触れて、マリリンは無性に悲しくなった。

 同時に、強い憤りを抱く。
 ユリアを傷付けたというのに何の行動も起こさない彼が、酷く腹立たしかった。

「……ロベルト様」

 茫然としているワインレッドの瞳の少年に顔を向けると、少年は強張る。
 かつてないほど冷たい眼をしたマリリンが怒っていたのだ。

「ユリアに謝るまで、私は貴方を許しません」

 硬質感のある声音で言い捨てたマリリンは、足早に談話室から出て向かった。

 ユリアのもとへ――。



 洋館の二階に上がったユリアは、遠い目をしていた。
 隣でそれを見たハリエットは深い溜息を吐く。

「何て顔をしてんだ」
「いや……だって、仲良くしないといけないのに、いきなり険悪になっちゃったんだよ? これでも自制心はあると思ったのに私の馬鹿ぁぁ!」

 心の嘆きから頭を抱えて憤る。叫びたいのだが、大声は近所迷惑になるので抑え込んだ。
 言葉にならない声でうめくユリアに、ハリエットは苦笑いを浮かべて頭をクシャクシャと撫でる。

「君は正しいことを言った。あたしだってアレには頭にきたんだ。君のおかげでスカッとしたよ」

 慰めるのではなく、ありのままの気持ちを言葉にしたハリエットに、ユリアは口を引き結んで目を閉じた。

「……ありがとう」
「どういたしまして」

 ポンポンと軽く叩いて手を離す。
 雑な手付きなのに安心感を覚えるほどの温もりを感じた。
 それは、マヤのような母性の包容力。

 漠然とした感覚が心に沁みて、自然と笑みが浮かんだ。

「ユリア!」
「! マリリン?」

 後ろから聞こえたマリリンの声に驚いて振り向く。
 階段を駆け上ったのか軽く息切れしていたが、呼吸を整えるとユリアに歩み寄って右手を両手で握った。

「私はユリアの味方だから」

 マリリンが真剣な眼差しで告げた。
 今まで他人に向けられたことがない真摯しんしな想いに、ユリアは瞠目する。

 今日が初対面であるはずの彼女が『味方』だと言い切ったのだ。
 ユリアにとって初めての事態だった。それ故に、どうして初対面の相手に真っ直ぐ言えるのか理解できなくて困惑する。

「……どうして…………私が怖くないの?」

 戸惑いから瞳を揺らすユリアに、マリリンははっきりと言った。

「確かに少し怖かったけど、さっきのユリアは格好良かったから」

 格好良かった。身内から良く言われる言葉だが、他人から言われたのは初めてだ。
 ユリアの目が丸くなって、マリリンはクスッと微笑んで温かな言葉を送った。

「家族のために怒って、最後には私達のことも思い遣ってくれて。凄く素敵だったわ。そんな人を嫌うわけがないじゃない」

 笑顔とともに伝えられたマリリンの思いを聞いて、ユリアは衝撃を受ける。
 ここまで自分を理解しようとする他人は初めてだったから。
 初めて出会った他人は、ユリアの存在を拒絶した。それ以来、ユリアは他人を信じることができなくなった。
 けれど、両親の薦めによってクレスクント国立学園に赴いて、ユリアは自分が心から思っていることを伝えられる力があるということを初めて知った。
 同時に、クリスやイリーナが危うさを抱えるユリアを慮ってくれた。

 そして、初めて出会った同い年の少女――マリリンは、ユリアを受け入れてくれた。

 森の中に閉じ籠って生活していた時では考えられない温かな居場所が、世界にあった。
 否、世界は誰に対しても無情で残酷だが、一歩を踏み出せる者には優しいのかもしれない。

 家族以外でできる初めての居場所。
 森では得られない初めての体験や経験。
 学園で築き上げられる――初めての友達との友情。

 様々な『初めて』を実感した途端、熱い感情が込み上げて目の前の景色が滲んだ。

「えっ!? ユ、ユリア? どこか痛いの?」

 焦りを滲ませたマリリンの声で、自分が泣いていることを自覚した。
 悲しみから来る涙ではない。これは、喜びから来る涙だ。
 家族の愛情を感じた時に出てしまう涙が、ここでもあふれ出した。

「……んーん。大丈夫。ただ……嬉しくて」

 湿っぽい掠れた声は、僅かに震えていた。
 けれど、ユリアはそれを振り切ってマリリンを見据えた。

「ありがとう」

 世界は、こんなにも温かくて優しかった。
 ここに来て初めて知ることができたおかげで、今まで狭かった世界が広がっていく。
 それを教えてくれたマリリンに感謝の気持ちを込めて笑った。

「……どういたしまして」

 こんなにも涙と笑顔が似合う人を初めて見たマリリンは思わず見惚れてしまった。
 優しい気持ちが込められた思いを感じて、気恥ずかしさから頬が熱くなる。
 だが、嫌なものではない。むしろ心地良くて自分まで嬉しくなった。

 マリリンの柔和な笑顔を見て気持ちが落ち着いてきて、ユリアは涙をぬぐって肩を叩くハリエットを見る。

「それじゃあ案内の続きだ。ユリアの部屋は二階の右から二番目。マリリンの部屋は三階の手前。男共は四階。この寮は男女共同ってことで部屋割りも好きな場所を選べるから、女部屋がある階に男部屋がある場合もある。ちなみにユリアの隣……突き当りは男部屋だぞ」
「……ワオ。じゃあ、あと一人いた女の子は?」
「アンジェラか? 彼女はマリリンの左隣だ。流石に男所帯に放り込むのは可哀想だから、あたしが薦めたんだ」

 それを聞いて少し安心した。

 共同寮は四階建て。二階から四階までが居住空間で、一階ごとに五部屋が並んでいる。
 寮に居住している寮生は、男は四人、女はユリアを入れて三人。
 良い感じに分かれているが、一つ疑問が生じた。

「男部屋は四階だよね。あの場にいた男の子は四人だったから、部屋はあまっているはずだけど」

 男の寮生は四人いる。しかし、二階の奥に男部屋がある。
 何故なのか理由を聞くと、ハリエットは困ったような表情で答える。

「エドモン……あの白い髪の少年だが、人見知りって言うか、一匹狼なところがあってな。あまり他人に干渉しない二階を選んだんだ。あいつはアンジェラより後に学園に入った編入生だからな」

 恐らく『黒持ち』でも禍人でもない訳ありの少年だろう。
 彼もユリアと同じく編入したのだと知って軽く驚くが、それほど衝撃は受けなかった。
 同時に納得した。訳ありであるからこそ他人との干渉を避けるために二階の奥を選んだのだと。

「ユリアは二階の突き当りが良いって言ったらしいから、あいつが人との関わりに積極的になってくれるように配慮したんだ。悪いな」
「あー。まぁ、いいですよ。気にしませんから」

 少し複雑な心境になったが、文句を言うほどではない。
 あっさりしたユリアの態度に安堵したハリエット。反面、マリリンは不満を持った。

「ユリアも三階にくれば良かったのに……」
「ごめんね。部屋について、詳しく教えて貰えなかったから。それに、誰かと友達になれるなんて思わなかったし」

 何気なく言ったユリアの言葉に、マリリンは「え」と目を丸くする。

「……友達、いなかったの?」
「うん、ずっと森にこもっていたから。……あ。家は森の中にあるの。だから幻獣以外の友達はいなかっただけ」

 幻獣が友達ということにかなり驚いたが、人族などの種族と友達を作ったことがないことに心が痛くなった。
 けれど、ユリアはそのことを気にしていない。と言うより何も感じていないようだった。恐らく幻獣が友達だったから孤独を感じていなかったのだろう。
 しかし、同族で同年代の友達はいない。それは年頃の女の子としての楽しみを体験していないということ。

 無性に切ない気持ちが込み上げてくる。同時に、自分を友達と認めてくれたことが嬉しくて、胸の奥が熱くなった。

「……じゃあ、私がユリアの初めての友達?」
「うん。駄目だった?」
「駄目じゃない。……凄く嬉しい」

 友達を知らないユリアが、友達として見てくれていた。
 今まで瞳の色と家柄で遠巻きにされることが多かった。誰かが関わってくる時も、それは勉強を見てもらいたいという頼み事だけ。同じ寮生の少女も、家柄の所為で敬語という壁があった。

 心から気を許して接してくれる人は身内以外にいなかった。
 けれど、ユリアはありのままの態度で接してくれる。自分から受け入れたこともあるが、すんなりと許容して気楽に話してくれる。

 身内以外にできた、心から親しめる女友達。
 たまらなく嬉しくて、マリリンは心からの笑顔を見せた。

(良かったな、マリリン)

 マリリンのことを良く知るハリエットは、寂しさを感じさせないマリリンの笑顔を久しぶりに見ることができて、ほっと安心した。


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