いざ、編入

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 穏やかな時間が過ぎて、とうとう学園が始まった。
 きりきりするような痛みを腹部に感じながら、副学長を務めるエルフのイリーナに連れられて校舎へおもむく。

 初等部と中高等部の校舎は別々にある。
 六年間も基礎を学ぶ初等部は、三年間ずつ実力を積む中等部と高等部の建物とほぼ同じ大きさ。

 初等部では戦闘技術を磨かない。習うことは、体や魔力の動かし方、基本的な魔法の使い方などのみ。高学年になればある程度の攻撃魔法を習うが、それは中等部二年生と合同授業で学ぶこと。

 中等部に進学すれば学問が増え、更に好きな学問を三つから四つまで自由に選ぶことができる。
 加えられる学科は、戦術学、魔法学、錬金学、治術学、商業学、政治学、料理学。
 この七科目の中から選んだ学問を学び、高等部で必要な素地を作る。

 ユリアは戦術学と魔法学と錬金学を専攻することになるが、ある程度慣れれば治術学も加えようと予定を立てている。
 焦っては失敗するので、まずは専売特許せんばいとっきょである学問を取ることにした。

「ここが三年生の特進学級の教室よ。心の準備は?」

 城と同じ造りをした建物の二階にある引き戸の前に到着すると、イリーナがたずねる。

 胃が痛くなるほど緊張感が押し寄せてくる。
 途方もない不安も、未知なるものへの恐怖もある。
 それでもユリアはまぶたを閉じると深く息を吸い込み、深く吐き出してそれらを呑み込む。

「……大丈夫です」

 視界を開いて、凛然とした目で前を見据える。
 ユリアの決意を秘めた表情を確認したイリーナは淡く微笑する。

「それでは、行きましょう」

 なれれないことにも、へだたる壁にも、これから多く突き当たるだろう。
 それでもイリーナは、強い光を瞳に宿すユリアを信じてみたいと感じた。


◇  ◆  ◇  ◆


 早朝から驚くことになるとは思わなかった。それが、エドモンが抱いた感想。

 共同寮に編入生となる少女が入ってくると知らされていなかった所為せいで、滅多に変えることのない無表情を目に見えて判るほど崩してしまった。
 ただでさえ編入生の存在に驚いたというのに、魔力制御の訓練で使った地属性の魔法には同じくらい驚かされた。
 まさか地魔法で浮くとは思わなかったのだ。そもそも予想できるはずがない。

「やあ、エドモン」

 教室に入ると、教卓側から見て左側、入口から見て手前にある、下から三段目の席に見知った生徒がいた。
 席は全員が全体を見渡せるように段差を作り、横に広がる机を設置して、背凭せもたれ椅子を一脚ずつ設置している。ユリアが見れば、まるで地球の大学院のようだと感想をのべべる内装だ。

 三段目の左端の席にいる生徒は、エドモンと並んでも遜色そんしょくがない美貌の持ち主だ。
 濃くも淡くもない、どちらかといえば明るいと表現できる金色の髪は、あごの位置より少し長く、一つに結った襟足えりあしもやや長い。
 切れ長で凛々しい目は、宝石の方が見劣みおとりしてしまいそうだと、よく言われるほど綺麗な青。
 女性より整った秀麗な顔立ちは、近くで見れば男性、遠くから見れば女性と見受けてしまいそうなほど中性的。さいわいなことに、女性より短い髪型のおかげで間違われたことがない。

 赤い線を入れた白を基調とした女子制服ではなく、青い線を入れた黒を基調とした男子制服も、彼の外見をしっかりと守っている。
 身長はエドモンと同じくらい。弱そうに見えないくらいの細身だが、実はエドモンの次に剣技に優れているほど鍛えられていることは周知の事実。

 少年の名前は、ジークフリート・フォン・ルーズベルト。
 カエレスティス王国と、庇護下ひごかにあるシルヴァニア小国。その国境を守護するルーズベルト辺境伯へんきょうはく嫡子ちゃくし

 成績はエドモンの次に優秀。容姿も実力も抜きん出ている。
 性格も明るく社交的で、柔らかな物腰が周囲を魅了する。それが一般の認識。
 しかし今、浮かべている笑顔は快活とした明るさがあり、優雅さはあまり感じられない。

 これが彼の素顔。親しい間柄の者には砕けた態度で接しているのだ。
 中でもエドモンは、彼にとって気を許せる相手。地位も権力も興味がないエドモンだからこそ、ありのままでいられる。

 心からの信頼を笑顔に出しているジークフリートを見て、エドモンは少し肩の力を抜いた。

「……早かったな」
「まあね。聞いたよ。そっちに編入生が来たんだって?」

 楽しそうな声音で話を持ち出したジークフリート。
 まだ共同寮の生徒以外に知られていない新情報だが、ジークフリートには独特の情報網がある。

「精霊から聞いたのか」
「当たり」

 にこりと笑ってこうてい定したジークフリートに、やはりな、と胸中でつぶやくエドモン。

 ジークフリートには精霊を視る力が宿る眼――精霊眼がある。
 精霊眼を持つ者は精霊と親しくなれる確率が高く、好かれやすい傾向けいこうにある。
 中でもジークフリートは魔力の質も良く人柄もあって、一体の精霊と契約している。

 恐らく彼等から聞いたのだろうと察したエドモンは、彼の隣の席に座る。

「で、どんな子?」

 興味津々に訊ねるジークフリートに、エドモンは無表情で適当に返す。

「いろんな意味で、驚かされる奴だ」
「……え? エドモン……驚いたのか?」

 滅多に動揺どうようしない彼が「驚いた」と言ったのだ。それだけでも信じられない情報だ。

「エドモンだけじゃないよ」

 エドモンの後ろの席に、ノエが座って話に加わった。
 ノエとジークフリートは家同士の仲もあって幼馴染の関係を築いている。その繋がりでマリリンとも親しいのだが、それはまた別の話。

「ノエ、マリリン、久しぶりだな。ハイラムは?」
「今来たところだ」

 変声期を迎えて落ち着きが感じられるようになった声でこたえた少年が、ノエの左隣に座る。

 左側を編み込んだ癖の強い栗色の髪に、凛々しいマリンブルーの瞳が特徴的な秀麗な少年。身長はノエよりも高く、体格もしっかりしている。
 ハイラム・ガスリー。ノエの幼馴染で右腕的存在だ。

「何の話だ?」
「編入生の話だよ。僕達の寮に新しく入った子で、同じ学級に編入する予定の」
「……初耳だな」
「僕達だって、昨日初めて知ったんだ。いつものハリエットのお茶目」

 たったそれだけで、あぁ、と納得したハイラム。
 寮母ハリエットのお茶目は日常茶飯事にちじょうさはんじだと知っているのだ。

「その編入生が何だって?」
「……色々と、びっくりさせられるんだ」

 ノエが遠い目でしみじみと答え、マリリンは苦笑した。

「私も初対面で驚かされたわ。そのおかげで今朝の制御訓練で集中できたけれど……」
「……あぁ……だからマリリンは驚かなかったんだね」
「エドモンも珍しく驚いたもの。初めての人は仕方ないと思うわよ?」
「……本当に一体どんな子なんだ」

 突っ込まざるを得なくなったジークフリートは、隣にいるエドモンに視線を向けた。
 彼等の反応を無視しようと教卓側に設置されている時計を見る。

 その時、教卓側の扉が開いた。

 入ってきたのは、中等部二年生の時と同じ特進学級の担任を務めていた教師。ふんわりと柔らかな癖のある栗色の髪と、蜂蜜色はちみついろの瞳が愛らしい女性だ。

「皆さん、進級おめでとうございます。魔法学の座学を担当しております、メリッサ・ウェルズです。去年と同様に、特進学級を務めさせていただきます。本年が最後の中等部となりますが、皆さん、悔いのないよう学業に励んでください」

 にこりと明るい笑顔で挨拶したメリッサは、女性と呼ぶには少し幼く見える。
 しかし、彼女の教育を受けたエドモン達は、初期にその印象をくつがえされているため、あなどるような態度をとることはしない。

「それでは、今週の日程と中等部三年生の年間行事を説明する……その前に、編入生を紹介したいと思います」

 メリッサの一言で、知らない生徒達は驚く。
 小さなささやき声だが、数が多いほど大きく聴こえる。
 ざわつく生徒達だが、パンッと柏手を打つ音に意識を戻し、両手を合わせているメリッサに向き直る。

「では、どうぞお入りください」

 声をかければ、扉が静かに開いて二人が入ってくる。

 一人は誰もが知っている、副学長を務めるエルフ、イリーナ。
 そして、彼女の後から教室に踏み込んだ少女を見て、誰もが息を呑む。

 腰下まで真っ直ぐ伸びた濡羽色ぬればいろの髪をハーフアップに留め、お嬢様然とした風格で登場した少女は、鮮烈な美しさを秘めた赤い瞳を宿している。
 緊張気味だが毅然きぜんとした姿勢を崩さず、堂々とメリッサの隣に立つ。
 凛然とした面持ちで前を見据える少女の雰囲気に、誰もが呑まれた。

 生徒達の様子を確認して、イリーナが右手で少女を指し示す。

「まず、私から紹介させていただきます。彼女はユリア・ティエール。緒事情しょじじょうにより我が校に編入することになりましたが、学力の方は心配に及びません。彼女はこれまで人と接する機会がなかったので、戸惑うことも多いでしょう。困っている時は手を差し伸べてあげてください」

 イリーナの説明が終わり、手を下ろす。それを合図に、ユリアは小さく息を吸い込んで、緊張を呑んだ。

「紹介に与りました、ユリア・ティエールです。イリーナ先生の言うとおり、人間関係で不慣れなところも、常識が欠けているところもございますが……これから学んでいきますので、よろしくお願いします」

 自分の欠点を隠すことなく、ありのままをさらした。
 普通なら田舎者とそしる者も出てくるだろうが、ユリアはおくすることなく堂々としている。
 その姿勢に、生徒達は自然と見入ってしまった。


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