本家の使者

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 今日は比較的に平穏な時間を過ごせた。
 親友の一颯と昼食を過ごし、不良な生徒とも嫌味を言う教員とも接触せず、緩やかな早さで放課後を迎えることができた。

「じゃあ、また来週な」
「うん、またね」

 学校の近くにあるバス停で一颯と別れた詩那は住宅街に入る。

 今日は金曜日。明日と明後日は予定がないため自由だ。
 どんな休日を過ごそうか、楽しみから心がはずむ。

「……」

 不意に、肌に異質な空気を感じた。
 上機嫌だった気持ちが一気に急降下する感覚に、詩那は重々しく溜息ためいきいた。

「最悪」

 ぽつりと小さな悪態をついて、住宅街の中で広い車道がある方向へ曲がる。
 少し歩いた先には、最近で話題になっている最新型の車があった。
 環境保護意識エコロジーを追求した無駄のない形式フォームが特徴的な黒い車の近くに立つと、運転席の車窓が下がる。

「何の用?」

 相手が挨拶する前に、できるだけ平静を装って用件を訊ねる。
 しかし、その問いは性急すぎたようで、車窓に腕をかけて顔を出した青年が苦笑した。

「挨拶する間くらい与えてくれないのかい?」
「……貴方達には必要ないでしょう」

 気軽に話しかけてくるが、それがどうしても心を掻き乱されてしまい、とうとう目が据わってしまった。
 こうなった詩那は、あまり刺激しない方がいい。理解している青年は肩をすくめた。

「それにしても、良く私だと判ったね」
「貴方は珍しく綺麗な方だからね。じゃないと私から話しかけようとしないし」

 その言葉に、少なくとも自分に対して敵意を持っている訳ではないのだと知ることができた。
 ほっと安堵した青年は、自然体な笑みを浮かべて車窓から腕を引っ込める。

「実はね、当主様がお呼びなんだ」
「……そう」

 彼が使いに来た時点で何となく予想がついていた詩那は、そっと小さな吐息をこぼす。
 憂いを帯びた面差しに、青年は秀麗な風貌をわずかに暗くした。

「拒否権がないのは申し訳ないけど、乗ってくれるかい?」
「……分かった」

 目を伏せた詩那は痛みに耐えるような声で返し、後部座席のドアを開けて乗車した。
 念のためにシートベルトを着けたところで、青年は車を発進させた。

 詩那は運転する青年をチラッと見る。
 ポーラー・タイを付けた白いシャツの上に茶色のベストと砂色の背広を着た青年は、やや乱れた黒い蓬髪ほうはつと形の良い鳶色とびいろの瞳をしている。
 わざと手付かずにしている髪型だが、彼の秀麗な美貌をさまたげることはない。

 東藤定とうどう さだむ。それが青年の名前。
 現在、大学の四回生である彼が、どうして詩那を迎えに来たのか。
 その理由は、詩那の実家にある。

 思い返した詩那は胸中で溜息を吐き、車窓から見える流れる風景を眺めた。

「詩那ちゃん、学校はどうだい?」

 何気なく話しかけてきた東藤。
 気安く名前を呼ばれたことに僅かに眉を寄せたが、すぐに消した詩那は答える。

「学校なら穏やかな方だよ。今朝はちょっと乱闘があったけど」
「……それって穏やかなの?」
「私が仲裁しなかったら、今頃親友がしかばねの山を作ってたよ」

 殺しはしないが死屍累々ししるいるい惨状さんじょうを作っていただろう一颯に、想像しただけで苦笑いが浮かぶ。

「仲裁ねえ……。どうやったんだい?」
「親友を背後から奇襲しようとした子に鞄を投げつけて、脅しただけ」
「……それって仲裁?」
「それで乱闘が収まったんだから仲裁だよ」

 口元が軽く引きった東藤は、一体どんな脅しをしたのか気になってしまう。

「ちなみにその時の脅し文句は?」
「……『眼球抉って烏の餌にしてあげる』、だったような……?」
「何それ怖い。詩那ちゃん怖い」

 とうとう頬の筋肉まで引き攣ってしまった東藤の反応をルームミラー越しで見た詩那は可笑しくなってクスクスと笑う。

「だって丸腰の女の子に竹刀を向けたんだよ? しかもそれが親友なんだから、怒って当然だよ」
「……その当然ができることは凄いことだ」

 不意に東藤の雰囲気が変わる。
 飄々ひょうひょうとした態度で好奇心をのぞかせているが、しっかりと線引きをしている。それが東藤定だ。
 けれど今は、その境界線があやふやになっているような錯覚さっかくを覚えてしまう。
 曖昧あいまいになっている東藤の心情を感じ取った詩那は軽く目を丸くした。

「君は何気ないように言っているけど、最近の子は『当然』のことをしない。むしろ悪い方を『当然』のことと認識している」

 当然のこと。聞いている詩那は静かに視線を落とす。

「……しょうがないでしょう。私は『出来損ない』なんだから」

 彼が言おうとしていることが何となくわかり、窓の外に目を向けて呟いた。

「本家の人達はまだしも、分家と門下生は……言っちゃ悪いけど腐敗ふはいしてる。ごく少数はマシなのかもしれないけど」
「マシ、ねぇ……。あれらばかりと接しているのに、マシな子もいるって思っているの?」
「人間、十人十色。皆が皆、根がくさっている訳じゃないんだし」

 ほんの一握りでも、信じてみたい。それが詩那の想いだった。
 本音の表面だけを口に出したのだが、東藤はその真意を察したようで切ない面差しで微笑を浮かべた。

「じゃあ、私は?」
「言ったでしょう? 綺麗な方だって」

 出発する前に告げた言葉を思い出し、軽く目をしばたかせる。

「……力≠フ方じゃなかったのか」
「両方だよ。心が正常だとたましいも正常でいられて、霊力≠璢Y麗でいられる。貴方の場合、ちょっと難があるけど優しさを失っていないから、綺麗なんだと思う」

 思ったことをありのままに伝えれば、東藤は目を丸くして、吹き出すように笑った。

「ふっ……うふふふ。私が優しいなんて、良く言えるねえ」
「優しいでしょう。だって『当然』のことをちゃんと認識できるんだし、そのことで私を気遣ってくれているんだから」
「……はぁ〜あ。今日は本調子じゃないのかなあ。こんなにも君に見透かされるなんて」

 まるで壊れたラッパのような声を上げてぼやいた東藤に、詩那は笑った。

「見透かすのも見透かされるのも、生きているうちは付きものだよ」
「……君の方が年上じゃないかって疑ってしまうんだけど」

 目を据わらせてぼやくように言った東藤に、詩那は心臓が大きく跳ねる。しかし、それを隠すようにはにかんだ。

れてるからじゃない?」
「若い女の子が悲しいこと言わないでくれたまえ」

 予想通りの突っ込みに、あはは、と詩那は声に出して笑う。
 無邪気な笑顔を見た東藤は、心のなごみを感じた。
 今までギスギスした空気が多く、気を許すことなく警戒していた。その警戒心がようやく薄れて壁がなくなりつつあることに、今までにない喜びが込み上げる。

(やっぱり、詩那ちゃんは不思議だ)

 緊張感を持たせると思えば、癒しを与えてくれる。
 ちゃんと接してみると、詩那の血縁である本家の人々がうらやましくなるほど安心感を覚えた。
 もっと早く向き合えば良かった。けれど今からでも遅くなかったことが、とても嬉しく思えた。


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