時代の流れ

[ bookmark ]


「――ご馳走様ちそうさま

 両手を合わせて唱えると、詩那は食器を片付けて食後のお茶を用意する。

「……あ。ねえ。番茶と紅茶とコーヒー、どっちがいい?」
「コーヒーとは何だ?」
「コーヒー豆を焙煎ばいせんした、苦いけど香ばしい飲み物。いろんな銘柄があって、味もそれぞれで違うの。私は香り高い繊細な味がするブルーマウンテンしか飲めないけど……」
「なら、それを頼もうか」

 説明をしておいて、少し後悔した。
 ジャマイカ産のブルーマウンテンというコーヒーは高級品。日本人の八割が好むと言われている香りと味わいだが、豆の栽培さいばいが難しいため高値で売られている。
 コーヒーは気が向いた時以外滅多に飲まないため、豆は沢山ある。だが、気に入られたらあっという間に消費されそうな気がして背筋が寒くなった。

 けれど、要望されたなら応えなければいけない。棚からあらかじめ焙煎しておいた豆と木製のコーヒーミルを取り出し、豆を入れて取っ手を回していていく。かぐわしいコーヒー豆の匂いに癒されつつコーヒーカップに挽いた粉を入れ、熱湯をカップの縁にって回しながら注ぐ。

 カップをソーサーに載せて、ミルクと砂糖のスティックを一つ用意すると運ぶ。

「お待たせ。これがコーヒー。ミルクと砂糖はお好みで入れてね」

 彪人の前に出して、詩那は軽く息を吹きかけて何も入れないまま飲む。それに倣って彪人も飲むと、口の中に程良い苦味と芳醇ほうじゅんな香りが広がり、鼻腔びこうくすぐる。

 目を丸くして黒い液体を見詰める彪人に、やっぱり気に入ったか、と詩那は苦笑い。

「気に入った?」
「……ああ」
「それは良かった。でも、このコーヒーは一日一杯か二杯におさえてね」
「何故だ」

 やや不満げに詩那を見る彪人に、詩那は眉を寄せて困り顔になる。

「この銘柄は結構高いの。五百グラムのひと袋で、大体……六千五百円だから」
「……江戸の通貨でいくらになる」

 ここで詩那は目をぱちくりさせた。

 彪人の言う江戸とは江戸時代のことだろう。
 現在は平成時代。江戸時代から四つも進んでいる。どうして江戸時代の通貨で質問されるのか理解できなかったが、白いカバーをつけた携帯電話を取り出し、インターネットで調べてみる。

「えーっと……一文が十七円だから…………三百八十三文?」
「……なるほど。確かに高いな」

 コーヒー豆ひと袋だけで、番傘の二倍以上、酒の三倍以上は値が張るのだと知って、顔をしかめる彪人。
 ようやく理解してくれたことに安堵したが、疑問が芽生えてしまった。

「彪人はいつの時代の人なの?」
「最後に覚えているのは、享和きょうわという年号の頃だ」

 思わず訊ねると、さらりと彪人は答えた。それを聞いて、思考が停止。
 どこかで聞いたことがある年号を、もう一度携帯電話で調べてみると……目を丸くする。

「……えっと。大体……二百年前……?」

 二百年前といえば江戸時代後期の頃だ。その頃から現在までの知識がないと感じられた詩那は、ぎこちなく訊ねる。

「そ……その頃から、一体何やってたの?」
「……待っていた」

 少し間を置いて答えた彪人の表情に息を詰める。コーヒーの水面を眺める彪人から、哀愁あいしゅうを感じてしまったから。

「俺が求めているものが、この世に現れるまで。気の遠くなるような時の中で、己をふうじていた」

 みずからを封印していた。それはとても残酷なことだ。
 自由を得られない。時の流れを感じられない。
 生きる喜びを自ら手放したのだと、それほどまで求めているものを待っていたのだと知って、詩那は胸の奥が締め付けられた。

「……それは、見つかったの?」

 息苦しさを振り切って訊ねれば、彪人は軽く目を見張り――

「……ああ」

 小さな笑顔を浮かべた。
 見る者を魅了するほど穏やかで、いつくしみが込められた微笑。

 とても切ない表情を直視して、無意識に心臓が跳ねる。
 見惚みほれてしまったのだと自覚した詩那はさとられないように目を伏せて、冷めかけているコーヒーを飲み干した。

「ところで、先程『二百年前』と言っていたな。今は何時代だ?」

 質問されて、詩那は気付く。
 彪人は江戸時代後期から自らを封印した。それはつまり、江戸から平成までの時代の移ろいを見ていないということ。
 古い街並みが目覚めた時点で面影を失くしたのだ。さぞかし混乱したことだろう。

 理解した詩那は、学校で習ったことを話した。西暦何年から何年までが時代の転換期なのか。現在の年号が時代の名前になって、どんなものが普及ふきゅうして、どんなものが衰退すいたいしたのか。
 話せることは全て話して、最後に現在の通信手段を教える。

「――で、これがスマートフォン。略してスマホ。昔はボタンだったけど、今はタッチパネル……指先で画面に触れて操作するの。昔と比べて繋げられるネットが増えて、手軽に調べ物ができる。あとは写真を撮ることもできるし、ネットから音楽を取り込むこともできる」

 試しに手元にあるシルバーの端末を見せる。ノートのような白いカバーを開いて画面に触れ、操作して見せる。
 電話帳を開いたりメール画面を見せたり。文字を打ち込めば、彪人は目を丸くして驚いた。

ふみを送れるのか」
「メールと言ってね、相手に文章を送って連絡することができるの。相手に伝わるのは、相手が気付くまでだから。返事が来る時間もバラバラ。これは契約している会社に毎月お金を払わないといけないから大変だけど」

 興味津々で眺める彪人に説明している詩那は笑顔だ。
 見た目は二十代で不遜ふそんな態度の印象が強いというのに、子供のような好奇心をあらわにしている。見ている詩那は微笑ましくなって、とても楽しそうに教える。

「金がかかるのか……。残念だが、仕方ないな」
「これより大きなタブレットがあるけど、それなら使っていいよ」

 こころよく申し出れば、彪人はじっと詩那を見る。

「いいのか?」
「うん。扱いに気をつけてくれたら貸してあげる。どうする?」
「借りよう。使い方は教えてくれるだろうな?」
勿論もちろん。電話は使えないけど、メールでのやり取りはできるから」
「電話の方は問題ない。お前の式神にくだったのだ。連絡なら念を飛ばせばいいだけだ」

 ここで、詩那は表情を硬くする。
 今、聞き捨てならない内容が耳に届いた。

「……式神?」
「何だ。式神を知らないのか?」
「いや、知ってるけど……って、ええっ!?」

 これでもかと言うほど目を丸くして、口をぽかんと開ける詩那。


prev / next
[ 2|71 ]


[ tophome ]