少女の秘密、人外の正体

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 式神。それは、平安時代で活躍した陰陽師・安倍晴明あべのせいめい眷属けんぞくに降って仕えた十二天将に付けられた呼称でもあり、術師が使役する神霊のことである。

 超然とした力を持つ陰陽師は神霊を使役することができるが、力がおよばない陰陽師は狐狸こり妖怪などの異形いぎょうを式神として使役していた。
 他にも式札しきふだと呼ばれる和紙札に術をかけることで、身の回りの世話をする人形になったり伝書を届ける鳥やちょうになったりする「式」がある。

 陰陽師は時代とともに廃止されたため、現代では架空の物語フィクションとして登場するくらいだ。
 しかし、二百年以上の歴史を持つ修祓師は、この式神を使役する技術を持っている。

 ただし、並の修祓師では使役できない。
 善良なる妖怪――狐妖怪で例えるなら善狐ぜんこと称される白狐・黒狐など――を使役するとしても、対象に気に入られなければいけない。

 気に入られる、という手順プロセスは大切だ。術者との間に絆が生まれなければ良好な関係を築けない。更にげるなら、術者の性質や霊力の相性も視野に入れなければならない。
 力尽くの方法で屈服くっぷくさせて使役する者もいるのだが、無理強いしたりしいたげたりする修祓師の末路は悲惨なものだ。


 詩那は生まれながら妖怪などの化け物に狙われやすい。その中には好意的に近づく妖怪もいる。彼等から親しくされることもあれば、そばにいたいと申し出る者もいる。

 だが、詩那はがんとして首を縦に振らなかった。
 何故なら相手を拘束して自由をうばう行為を嫌悪し、更に相手に不信感を抱いているからだ。

 自由を奪うことで不幸にしたくない。自分の秘密を知られたくない。相手が思っていた通りの主人ではないことで、勝手に失望されたくない。
 相手を思い遣る心と、信用できない疑心ぎしん
 この二つに苛まれてしまい、心を病みそうになる。
 詩那は、それが何よりも恐ろしかった。

 最大の秘密――平行世界パラレルワールドの現代で生きた前世のように、心を壊したくなかった。
 詩那の前世は、本人が最も嫌悪する過去だ。幼い頃から孤立して利用され、裏切られ、だまされ……その反動で自らも他者を利用し、裏切り、騙した。
 やがて心を病んでしまい、最も望んでいた幸福――「普通」を壊してしまった。
 それでも「普通」を目指して奮闘ふんとうし、何とか人並みの「普通」に辿たどり着いた。
 しかし、親の問題による環境の変化で体を壊し、親の都合で「普通」を壊された。

 誰もが共通・共有する、普遍的ふへんてきな人生。それが前世の詩那が求めた幸福。
 全てが壊されて堕落だらくした日常の中で生きる苦痛。
 再び立ち上がろうとすることで、再び味わうだろう挫折ざせつへの恐怖。
 いくら努力しても、足掻あがいても、もがいても、その絶望が付き纏う。

 とうとう生きる意味を見出せなくなって、何度も「死にたい」という呪詛じゅそのような願望を吐き出すようになった。
 死は逃げだと解っていても、死という解放を望んでしまう。
 ぎだらけの心を抱えて怠惰たいだに生きるしかない。

 けれど、どういう訳か死んでしまった。
 死因は記憶に残っていない。突然死か、事故死か、病死か、はたまた自殺による死か。
 今となってはどうでもいいことなので深く考えなくなったが、生き地獄のような人生の記憶が深く刻まれている所為せいで、心を壊すことへの恐怖が根付いている。

 だからこそ詩那は式神を得ようとしなかった。
 それが、望まずして得てしまうなんて……。

「か、解消ってできない……?」
「断る」

 徐々に強張っていく表情と体。己の手を握り締める力が強くなる。
 白魚のような色白の手の指先が更に白くなっていく様を見ても、彪人は無情に切り捨てた。

 くしゃりと傷ついた面持ちになってしまう。そんな詩那に、彼は冷徹な眼で見据える。

「何度も言うが、仮契約だ。正式な契約ではないから、俺の自由は奪われない」
「……今更だけど、仮契約なんて聞いたことがない」
「それはそうだ。我々のような真名まなを持つ人外の存在は滅多にいないのだから」

 ここで、詩那は引っかかる。

「我々……? 一族か何かなの?」
「一族と言うより種族。人界じんかいである現世げんせ冥界めいかい狭間はざまである霊界に住む者――霊人れいじんだ」

 霊なる人と書いて、霊人。
 聞いたことのない存在に眉を寄せて小首を傾げる。

「霊界の存在はあまり知られていない。そこで暮らしている我々の存在も」

 彪人はそれを無知むちののしらず、むしろ当たり前の反応だと言いたげに説明した。

「霊人は人ならざるもの。人間と同じ姿形をしているが、何らかの特殊な力を持つ。人間のように階級社会で成り立っているため、優劣の差別もある。立憲君主制りっけんくんしゅせいで、最高位の皇族こうぞくの長が『霊神れいしん』という人柱になって霊界全体を治めている。西洋のように表現するなら、皇族は王族、霊神は国王という立場。とは言え、霊神は神格化された霊人。中位の神々と同格の存在だから、国王よりはるかに上の存在だ」

 詩那は、聞いている内に強張っていた体の力が抜けて、規模の大きさに茫然ぼうぜんとした。

「霊界は現世と同じく都市も町もあるが……それはいずれ話そう」

 一通りの説明が終わった彪人は冷めてしまったコーヒーを飲み干して、ソーサーに置いた。

「質問はあるか?」
「……。その……霊人って人間のように真名があるんだよね? それを仮の名前で契約するから仮契約?」
「理解が早いな。そうだ。霊人は気に入った者でも、信頼できると判断しなければ真名は明かさない。霊人にとって真名は命であり、階位を持つ者にとって真名はほこりだ。自らの存在を高貴なものとして、同族である霊人以外の種族にさらすことはない」

 まるで貴族のようだと感じた詩那は、興味を持って訊ねる。

「階位を持たない霊人は?」
「真名の重要性を理解しない庶族しょぞく……平民のみだ。まあ、己をいつわることを嫌い、ありのままでいる華族かぞく士族しぞく……貴族も武士もいるがな」

 詩那は脳内で、上から霊神、皇族、華族、士族、庶族という階級を思い浮かべた。
 霊人も人間のように多種多様なのだと知り、ますます興味が深まった。

「じゃあ、彪人は華族?」
「……理由は」
「所作が綺麗だし、振る舞いも高貴な人みたいだから」

 尊大だが気品があり、滲み出る高貴な雰囲気も相俟あいまって上位階級の霊人だと認識させられる。

「あ、でも華族って政務もありそうだし……。そういう人って現世に来ないよね?」
「あながち外れていないが……二百年以上も前にできた組織に所属する霊人は現世を行ったり来たりしているぞ」
「……組織?」

 霊人にも組織があることに驚き、首を傾げて復唱する。
 不思議そうな詩那の表情と仕草に、彪人は表情を緩めた。

「死神治安協会。実戦向きの霊人が入る職だ」


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