死神という『職業』

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「……死神? えっ、西洋にあるタナトスとかヴァルキリーとかじゃなくて!?」

 ギリシャの神・タナトス。北欧の女神・ヴァルキリー。
 どちらも死を司る神話の存在。まさか霊人も同じようなものなのだろうか。

 頓狂とんきょうな声を上げてしまった詩那をとがめない彪人は平然と答える。

「ヴァルキリーは知らんが、タナトスに近い。が、似て非なるものと思え」

 タナトスは死んだ者を冥府めいふへと運ぶのが権能けんのう。ただし、英雄を運ぶのはヘルメスが担当していたため、彼が運ぶのは凡人と罪人である。
 死にかけた者を救う行為はタナトスを追い返すことと同義なので、神話では英雄などによって仕事を邪魔され酷い目にうことも多々ある。
 神話によって冥界の神ハデスと同一視されるが、詩那は別の存在として認識している。

 そんな死の神と似て非なる存在と言われ、あまりピンと来ない。それでも知りたいので熟考じゅっこうして言葉に出す。

「冥界へ運ぶのは罪人だけじゃない……とか?」
「違う。霊人の職――死神は、魂の審判者しんぱんしゃであるということだ。現世で生きる魂の秩序ちつじょの守護、霊の罪をさばくことを生業なりわいとしているが、主に人間の魂をおびやかす霊や妖怪の管理、禍殲卑や魂喰たまぐい討伐とうばつを行っている」

 この世に存在する命が終わった魂を冥界へ送り、輪廻転生に備えさせる。それが霊人の職・死神である。

「死神の職に就けるのは、特殊な武器を保有する霊人のみ。死神の武器で霊魂れいこんを倒せば、罪なき者は天界、罪ある者は冥界へ送ることができる。武器は己の魂に秘められている。その武器を顕現けんげんして操り、戦える者が死神の素質があるという訳だ」
「へえ……。なんだか修祓師みたいだね」

 人間が修祓師になるための素質。霊人が死神になるための素質。
 意外と似ているところがあることに気付いて何気なく口にすると、彪人は軽く目を見張る。

「……感が良いな」
「え?」
「いや。修祓師の命である修祓器は、霊人の武器をもとにしているのだが……」
「……ええっ!?」

 初耳のそれに素っ頓狂な声を上げてしまった。
 仕方がない。修祓師の歴史を教わったことはあるが、その中に霊人の存在は一つもなかった。
 彪人はそんな詩那を見て、安堵したように肩の力を抜いた。

「歴史にないのは、おそらく霊人の神秘さを世に曝さないためだろう」
「あ……なるほど。え? じゃあ修祓師の起源きげんは霊人の武器だったんだ」
「死神治安協会の創立も、修祓師の起源となった人間がきっかけだ」



 ――一瞬。ほんの一瞬、頭の奥が揺れた。

 感じたことの無い違和感と鈍い痛みに眩暈めまいを覚えたが、それも一瞬だけだった。



「どうした?」
「……え? あ……いや、何でもない。……じゃあ、修祓師の起源になった人が、死神の始まりでもあったんだ」
「ああ。おそらく現代の霊人は知らないだろうが……二百年前から変わっていなければ、霊神と直属の部下は覚えているだろう」

 意外な修祓師と霊人の繋がりと、隠匿いんとくされた起源の秘密。
 たった一人の人間によって生まれた、様々な歴史。
 凄いと思う。だが、同時に胸の奥がざわつく。

「……ところで、今は何時だ?」
「え……あっ。もう八時過ぎ?」

 彪人に訊ねられ、壁にかかっている丸い時計を見る。
 時刻は八時を過ぎていた。思っていた以上に話し込んでいたことに驚いてしまった詩那は慌ててコーヒーカップを片付ける。

「教えてくれてありがとう。えっと……あ。部屋は入口側の一室を使っていいから。真ん中は遊びに来る人用で、突き当りが私の部屋だから。ええと……お風呂は入る?」
「風呂もあるのか」

 江戸時代にも風呂は存在するが公共のもので料金がかかり、滅多なことでは入らない。
 知識から呼び起こした詩那は首肯しゅこうする。

「うん。でも、今日はお湯を入れてないからシャワーだけになっちゃうけど……。先に入っていいよ。あ、使い方を教えるね」

 詩那はコーヒーカップを流し台に運び、ダイニング側にある風呂場に案内して勝手を教えて、彪人が入っている間に食器をしっかりすすいで洗浄機に入れた。
 買い物前に帰宅した時に取り込んだ洗濯物を片付け終わった頃に廊下へ出ると、ちょうど風呂上がりの彪人が風呂場から出てくる。

 ドライヤーで髪を乾かしていないのか、しっとりと濡れて頬や首筋に貼り付いている。
 みょうな色香がただよう彪人に息を詰めた詩那は、先程と同じ着物をまとっていることに気付く。

「……あ。着替え!」
「そこまで必要はないが……」
「でも、実体化した時に現代の服じゃなかったら可笑おかしがられるよ?」

 正論を言えば、彪人はぐぅの音も出せずに渋面を作った。

「……なら、明日は頼む」
「了解。彪人の部屋はここ。じゃあ、おやすみなさい」

 今日はこれで会うことはないだろう。
 詩那は挨拶して、風呂場へ入った。

 見送った彪人は部屋の中に入る。室内は小さいと思いきや八畳ほどの広さで、大きめのベッドに空っぽの箪笥たんすやクローゼットがある。机と本棚がないのは仕方ない。
 初めて見るベッドに腰掛ければ、厚みのある低反発のマットレスの心地に驚いた。幅もあり、一八〇センチ以上の彪人でも足を伸ばせる。
 ベッドに寝転んで、彪人は柔らかな枕に頭を預ける。

「まさか好待遇こうたいぐうだとはな……」

 初対面だというのに気を許しすぎていることに頭を悩ませたが、霊人と知らなくても人間のように対応した詩那を思い返す。

 霊人は人間と同じように食事や睡眠をとる。それは秘める霊力が枯渇こかつしないためでもある――霊力をあまり持たない庶族の霊人は食事を必要としないが――。
 そのため最初からこの待遇はありがたいものなのだが……。

「神崎詩那、か」

 己の契約者の名前を口にする。
 彪人が護らなくても戦う強さを持っている。しかし、どこかあやうさを抱えている。
 明日はそれを聞き出そうと決め、彪人は布団を被ってまぶたを閉じた。


◇  ◆  ◇  ◆



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