ありのままで

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 ある日の昼下がり。

 人類最後のマスターこと藤丸立香が周回に赴いている現在、祈里はサーヴァントの霊基を調べていた。

 レイシフト適性はなくともマスター適性がある。それでも前線に立てるわけがないのでサーヴァントと契約を交わすことはない。
 もどかしく思うこともあるが、それでも今自分ができる最善の手を打つ。それが祈里の意志だ。


「――ぃ。……おい、聞いているのか?」

 英霊のバイタルチェックに集中していると、誰かに声をかけられた。
 聞き馴染みのないその声が自分に向いているのだと気づき、ハッと顔を上げる。

 そこにいたのは、フードを目深に被り、鳥のくちばしのようなペストマスクをつけ、交差する銀色の前髪でほぼ顔が隠れている男。

「アスクレピオス……さん?」

 先日、インド異聞帯を攻略し終えたカルデアの下に、次々と英霊が召喚された。
 その中には、インド異聞帯で敵として立ちはだかり、最終決戦に現れる前のキャスター・リンボを追い詰めた、という神霊もいた。

 ギリシャ神話の医神アスクレピオス。太陽神アポロンと人間の王女コロニスの間に生まれた半神半人。ケンタウロスの賢者ケイローンに師事し、医術を学び、いつしか蘇生薬を作り出し、最高神ゼウスの雷霆ケラウノスによって撃ち殺され、神々の一員に召し上げられた神。

 異聞帯では洗脳されていたせいで敵対した。もちろん、彼はそのことをおぼえてない。
 そんな複雑な経緯を持つアスクレピオスは、今から二週間前に召喚されたばかりだ。距離感が未だに掴めない。

「どうしました?」
「……はぁ」

 きょとんとした顔で首を傾げると、アスクレピオスが溜息を吐いた。
 祈里にとって脈絡のないそれに怪訝けげんな顔をしてしまうと、祈里の机に平皿が置かれた。

 顔を向けると、クリミア半島の国際紛争で「クリミアの天使」と呼ばれたイギリスの看護婦ナイチンゲールが祈里を見下ろしていた。

「先ほどからミスターが呼びかけていましたよ」
「えっ。……うわぁ、気づかなかった。すみません、アスクレピオスさん」

 ナイチンゲールに教えられて目を丸くした祈里は申し訳なさそうに頭を下げる。
 それを見て、アスクレピオスは眉を寄せる。だが、目深に被ったフードとペストマスクのせいで表情がうまく読めない。

「祈里、そろそろ休憩にしましょう。エミヤから渡されました」
「エミヤから? ……わあ、おいしそう。あとでお礼を言わないと。ナイチンゲールもありがとう」
「どういたしまして」

 祈里が気の抜けた笑顔でお礼を言うと、ナイチンゲールは無表情を和らげた。
 穏やかな微笑に感化されてはにかんだ祈里は、手元にある機械を机に置く。

「お茶入れるね。何がいい?」
「今入れてきたよ」

 医務室の片隅には給湯器などが揃っている。もちろん、茶葉も。

 お盆に乗せて運んできたのは、フランスで処刑人として腕を振るっていたシャルル=アンリ・サンソン。
 アサシンとして現界したサンソンは人体構造に精通していたため、医療もできる。
 バーサーカーとして現界したナイチンゲールに至っては看護師なので当然。

 古参サーヴァントである二人は、カルデアでは医療スタッフとしてサポートしていた。
 フィニス・カルデアの頃から、祈里にとって大切な仲間だ。

「アールグレイでよかったかい?」
「あ、うん。ありがとう、サンソン」

 ソーサーごと渡された祈里は笑顔でお礼を言う。
 受け取った淹れ立ての紅茶を口にしようとしたが……。

「あ。そういえばアスクレピオスさん。何の用でしたっけ?」

 大事なことを思い出した。
 アスクレピオスに話しかけられていたことを。

 改めて見上げるとアスクレピオスは祈里をじっと見つめていた。
 いや、睨んでいた。

「……えっと。もしかして怒ってます?」
「なぜ僕だけ余所余所しいしゃべり方をするんだ」

 不機嫌そうな声で放たれた言葉は、文句だった。

「……それって、ため口で話してもいいってこと?」
「お前の好きにすればいいだろう」

 好きにすればいい。それは、自由に踏み込んでもいいということ。
 出会ってまだ二週間だというのに、心を開こうとしてくれているのだと察して、祈里は頬を緩めた。

「うん。じゃあ、好きにする」

 喜びを含めた、穏やかな声音。
 初めて向けられる親愛を込めた微笑に、アスクレピオスは人知れず息を呑む。

「……言っておくが、本題は休憩が終わってからだ」

 そう言って、アスクレピオスはマグカップを受け取ると自分の席に戻っていった。

 了解、と軽く返した祈里は紅茶を一口飲み、エミヤ手製の一口タルトを口に運んだ。
 甘酸っぱい果物の酸味に、ギュッと目を閉じて噛みしめる。

「〜っ、さすがエミヤ」
「美味しそうに食べますね」
「だって絶品だもん」

 ナイチンゲールに答えて、祈里はもう一つ食べようと手を伸ばす。
 ここで、あ、と思い至って、虚数空間に入れている紙皿の袋を取り出した。
 一口サイズのタルトは、最初は全部で十五個。四人で分けると一枚足りない。

「アスクレピオスって甘いものは食べる?」
「……藪から棒だな。別に嫌いではないが、それがどうした?」

 アスクレピオスの返答を聞き、祈里は紙皿にタルトを仕分けする。

「僕の分は少なくていい」
「あ、うん。……ありがとう。これでいい?」

 途中でサンソンが声をかけて、その真意を理解した祈里はお礼を言う。
 律儀な姿勢に微笑したサンソンは頷き、紙皿を受け取った。

「よろしいのですか?」
「いいの。みんなで食べる方がおいしいし」

 そう言ってナイチンゲールにも渡し、席から立った祈里はアスクレピオスの机にタルトを載せた紙皿を置く。
 気づいたアスクレピオスは軽く目を見張り、祈里を見上げる。

 初めて近くで見たアスクレピオスの瞳は、金色がわずかにかかったような、不思議な緑色だった。

「いいのか?」
「もちろん。エミヤのお菓子はおいしいから」

 にこりと笑って、祈里は席に戻って紅茶と交互に食べる。
 横目で見たアスクレピオスはペストマスクを外すと、紅茶を一口飲んでからタルトを口にした。

(……甘いな)

 だが、悪くない甘さだ。

 紅茶を飲みながら感じ入り、アスクレピオスは二個目のタルトへ手を伸ばした。


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