家族の思い

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 クリスが夕飯の誘いを断って帰り、夕食を終わらせたユリアは風呂に入った。

 この世界で平民の家は風呂という贅沢ぜいたくな物がない。体を洗うとすれば川か井戸でんだ水を使って汗を落とすか、汲み置きの水を使ってタオルで拭く程度。
 しかし、ティエール家には立派な風呂場が外にある。使い終わった湯は外へ押し出して気化させて、浴槽よくそうは浄化魔法で洗えば簡単に終わる。

 ゆっくりと風呂を堪能たんのうしたユリアは湯冷ゆざめしない内に自室に戻って、魔法で乾かした髪を入念に梳かしてからベッドの縁に座る。

「……はぁー」

 ぼんやりした後、重々しい溜息を吐く。

 今日はいろんなことが起きた。
 泉でケット・シーの集会を目撃し、カエレスティス王国にある最大の学園の学園長に勧誘され、両親の説得を受けて編入を受け入れた。
 普段なら滅多にないことばかりで、精神的な疲労感からすぐに眠ってしまいたくなった。

 しかし――

『ユリア、学園に行くとは本気なのか?』

 脳に響いた念で思い止まる。
 姿が見えなくても、周囲に流れる魔力因子の質の変化で判る。

「……クロノス……シェイナ」

 名前を呟いて虚空に目を向けると、二人の人間が現れた。
 否、人間ではない。人間とは思えない神々しい美貌と薄い存在感、そして淡く光る輪郭で、生物を超えるものだと認識させられる。

 この二人――否、二体はユリアと契約した高次の精霊だ。

 一人の男は、あごラインい、明るい青紫の光沢がかかった不思議な銀色の長髪と、切れ長で涼やかな金色の右眼と銀色の左眼という異色の双眸そうぼうが綺麗な、若々しく神々しい美貌を持つ。見た目は二十代後半だが、それよりも長く生きている泰然たいぜんとした雰囲気を纏っている。

 一人の女は、左側を裏編みして目立つように編み目を作った灰色のセミロングと、白色がかかった淡い金色の大きな瞳が美しい、華麗で愛らしい美貌を持つ。十代半を過ぎようとしている少女ともとれる若々しい風貌で、柔らかな雰囲気が特徴的。

 この二人――否、二体はユリアと契約した高次の精霊だ。

 男は、世界に一体のみ存在する時空の精霊、クロノス。
 女は、唯一無二の存在である混沌の精霊、シェイナ。
 クロノスと契約したのは、ユリアがまだ五歳の頃。
 シェイナと契約したのは、ユリアがまだ六歳の頃。

 そんな幼かった自分を、どうして高次の精霊が選んだのか。シェイナは知っているが、クロノスの理由を知らないユリアは、いまだに不思議に思っている。

 ユリアの前では穏やかな表情をしているクロノスだが、いつになく真剣な顔をしている。シェイナも普段の明るさを消して眉間を寄せ、僅かな険しさを含ませた心配そうな表情をしていた。

「……うん。このままじゃあ独り立ちできないし」
『独り立ち以前に、お前の心はどうなんだ。耐えられるのか?』
「それは……」

 身を案じるクロノスの指摘に、ユリアは言葉を詰まらせて視線を下げる。

「……判らないけど、やってみなきゃ判らないよ」

 自分に言い聞かせるような言い方――否、実際に自身を勇気づけるための言葉だった。
 気付いた二体は表情を険しくさせ、シェイナが言う。

『マヤに抗議してくる』
「えっ? いや、しなくていいよ」
『じゃあどうしてそんな顔をするの? 不安で一杯なんでしょう!?』

 澄んだ声を思わせるような念を荒げて訴える。
 顔を上げて制止しようとしたユリアは、シェイナの苦しそうな表情に息を呑む。

『どうしてユリアは自分を蔑ろにするの!? 傷ついているのに誰にも頼らないで! 心が壊れるかもしれないのに無理して受け入れて!』

 怒っているのに泣きそうな顔をするシェイナの叫びに、ユリアは思わず耳を塞ぐ。けれどそれは念話なので、耳を塞いでも否応なく頭に響く。

 クロノスとは違い、シェイナは光の精霊と闇の精霊が結ばれて誕生した唯一無二の精霊で、親の精霊と同じ属性を併せ持つ。
 対極的な属性を持つ精霊は存在自体がありえないのだが、シェイナは奇跡的に極端な属性の均衡を崩すことなく持ち、破綻はたんすることなく存在している。

 ありえない存在。その所為で他の精霊達から畏怖の対象として遠巻きにされた。

 かつての彼女は、理不尽な現実から逃げるために孤独を選んだ。
 しかし、マヤによって強引に連れられてユリアと出会い、心を救われた。
 それがきっかけでユリアと契約を望み、『シェイナ』という名前を与えられた。
 シェイナにとって、心を救ってくれたユリアが何よりも大切で、大好きで、ユリアのためなら危険を顧みないほど護りたいと心に誓っている。

 だからこそ、ユリアがユリア自身を傷つけることに我慢できなかった。
 誰よりも何よりも幸せを願っているからこそ、自分で自分の首を絞める彼女を見たくなかった。
 過去にユリアの心を救えなかった絶望を、二度と味わいたくない。

『不安で、怖くて、辛くて、苦しいくせに! どうして自分を追い詰めて苦しめるの!?』
『……シェイナ』
『どうして……どうして頼ってくれないの!? 私達はユリアの何なの!?』

『シェイナ!!』

 暴走してユリアを責めるシェイナは、クロノスの声で我に返る。
 肩を震わせてクロノスを見れば、彼は悲しげな表情でユリアを見遣る。それに釣られてシェイナも目を向け……瞠目した。
 頭を抱えて、喉を引き攣らせて、ボロボロと涙を流すユリアの痛々しい姿を見て。

『……言い過ぎだ』

 クロノスの呟きで、ユリアを更に追い詰めてしまったのだと自覚したシェイナは泣きたくなる。けれど、ユリアは頭を横に振って否定した。

「……あり、が……とう……」
『……え?』

 言葉が詰まりそうになりながらお礼を言うユリアに、シェイナは目を見張る。
 ユリアは深く深呼吸を繰り返し、顔を上げて……不器用な笑顔を見せた。

「私を……想ってくれて、ありがとう」

 ユリアは想いを伝えようと、震える声を絞り出す。

「二人、が……支えて、くれるから、頑張れる。だから……ちゃんと……泣くことが、できるの」

 泣きたくても泣けない。それは無意識に抑え込んでしまうからだ。
 声を出して泣くことで両親を心配させたくないという強迫観念きょうはくかんねんに似た自制心の所為だ。
 両親を傷付けた。その後悔から心配と迷惑をかけることがより一層苦手になってしまった。

 けれど、クロノスとシェイナは違う。二体は遠慮なくユリアの弱いところを指摘して、心をさらけ出させようとする。
 クロノスとシェイナだからこそ、心から泣くことができる。彼等のおかげで安心できるのだ。

「ありがとう。二人が家族で、良かった」

 泣き笑いの顔で感謝の気持ちを伝える。そんなユリアの切ない思いを聞いた二体は、泣きたくなるほど嬉しくなった。

『全く……我等を家族と受け入れるとは、ユリアは大物だな』

 力無く笑ったクロノスは右手の親指と中指を合わせて、パチンッと音を鳴らす。瞬間、室内に漂う魔力因子の質が変わった。

『防音を施した。これで心置きなく泣けるはずだ』

 時空を司る精霊だからこそできる空間の応用魔法。

 クロノスの気遣いを感じ取ったユリアの瞳から大粒の涙がこぼれ落ち、軽く俯いて目を閉じる。
 引きった嗚咽が喉を痛める。それに気付いたシェイナは、ふわりとユリアを抱きしめた。
 精霊は魔力の塊で実態を持たない。しかし、高次の精霊は自身の魔力を操作して実体化することもできる。

 シェイナ特有の温かな魔力に包まれたユリアは、涙腺が、想いが決壊した。両親の愛情を疑った時と同じくらいの苦しみを吐き出すように、シェイナにしがみついて声を上げてむせび泣いた。

 未来への不安。弱みを見せられない辛苦しんく。他人と関わることへの恐怖。その全てを曝け出した。

 ユリアの頭を撫でるクロノスと、抱きしめて背中を摩るシェイナ。
 ベッドの枕元で丸まっていたミアも、なぐさめるように膝に乗って腹部に擦り寄る。
 家族の優しさに包まれて、ようやく心から幸せだと感じることができた。



 しばらくして涙が止まり、泣き疲れたユリアは二体に勧められて眠りについた。
 彼女の寝顔を見たクロノスとシェイナはほっと安堵して、また眉を寄せる。

 今のユリアは穏やかな表情だ。けれど、頬を濡らした涙のあとが痛々しさに変える。
 ユリアの涙をそっと拭ったシェイナは実体化を解く。

『私、何があってもユリアを護るわ』
『……ああ。我の分まで頼むぞ』

 時空の精霊は稀有な存在。もし学生の中に精霊眼を持つ者がいれば、きっとユリアに波乱が舞い込むだろう。
 ユリアを直接護れない歯痒はがゆさを秘めて望みをたくせば、シェイナは優しい笑顔を見せた。

『勿論よ』

 唯一無二の精霊である自分達を家族として受け入れてくれるユリア。彼女を護るためなら、たとえ滅んでも悔いはない。
 けれど、ユリアは望まない。だからこそ共に生きるために支えようと、改めて誓うのだった。


◇  ◆  ◇  ◆



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