遠国の護衛人


 雪のリングを手に入れた日の夜。眠った私は、あの銀世界の精神世界に立っていた。
 チオノドクサという美しい青い花の畑が広がる中に、ぽつんと立ち尽くす。

「手に入れたな。雪のリングを」
「……雪華」

 目の前に現れた、和服を着た中性的な美女、雪華。
 彼女は私の手の中にある指輪を見て、目を細めた。

「お前に重荷を押し付けて、悪いと思っている。けど、六華以外に適応者はいないんだ」
「……うん。大丈夫。精一杯頑張るよ」

 重々しく言う雪華に、今更だと思う。
 小さく笑って受け入れれば、雪華は切なげに微笑んだ。

「『雪』の影響で氷雪の力を操れるようになる。リングとおしゃぶりの二つが揃えば完璧なんだが、リングだけでも相手の死ぬ気の炎を凍らせ、封じることができる。工夫次第では遠隔操作で相手の一部を氷結させられる」
「何だか超能力みたいだね」
「それが陳腐ちんぷだと感じるほど強大な力だ」

 最強のようでいて最強とは言いにくい『雪』。それは弱点も少なからずあるからだ。
 それにしても、氷雪の能力を使うコツは何だろう?

「能力の使い方は、モノを拒絶すること。『雪』の特性は『拒絶』だから、心から拒めば周囲の冷気を操れる」

 拒絶……簡単そうで難しい問題だ。
 今まで何かを拒絶することはあったけど、能力なら一定の境界線を越えないといけないはず。
 実践してみたいけれど……今はこっそりできそうにない。
 でも、やるしかない。

「扱い方は俺がビシバシ教えるからな」
「うん。よろしくね」

 頼もしい雪華に、私ははにかんだ。


◇  ◆  ◇  ◆


 お母さんが科学者だから、ある程度の語学力はついている。
 英語、中国語、イタリア語、ロシア語、フランス語、ドイツ語……エトセトラ。
 小学3年生になる頃には8ヵ国語も話せるようになった。

 おかげで勉強も得意になったし、運動はお母さんの友人が師範を務めている総合武道場に通っているおかげで図抜けている。
 剣道、柔道、合気道、空手、射撃、棒術など。大変だったけど、私のためだ。
 お母さんは有名だから、子供である私が誘拐されないということはない。だから日々鍛錬して、身を護れるほど強くなった。


 そんなある日、我が家に男の子が来た。
 程良く短いサラサラの金髪にロイヤルブルーのように澄んだ瞳の美少年。

「オレはアルド・ダンブロージョ。よろしく、Principessa della neve.」

 アルドという男の子はイタリア人だった。
 お母さん曰く、依頼人が彼を護衛として送ってくれたから安心だからとか。

 でもさ、その依頼人ってボンゴレだよね。彼の言った『ネーヴェ』って『雪』の意味があるんだけど。
 数年前にもお母さんに依頼を出して、私まで巻き込んだくせに……また依頼を出すなんて、私ごと引き込む気?

 お母さんは護衛として来てくれたアルドと仲良くなった。けれど、私はまだ仲良くなれていない。
 指輪のこともあるから、やっぱりマフィアって時点で信用できない。

 私は『雪』――誰のものにもならない『中立』の存在。
 私は理解しているけど、ちゃんと理解しているのかなぁ、ティモさん。


 去年からお母さんは海外の依頼を受けるようになった。
 一人暮らしになっていたけど、アルドがホームステイに来てから、それもなくなった。
 でも……気まずい。私の家なのに、居心地が悪い。
 ちょっと憂鬱になってきたある日のこと。

「六華さん、どうして僕を避けるのか教えてくれない?」

 夕食後、食器洗いをしているとアルドが訊ねてきた。
 この1ヶ月で仲良くなれていないから、疑問を持つのも無理はない。

「……あなたがティモさんの配下だから」

 食器を洗い終わって手を拭く。
 振り向けば、アルドは目を見開いて固まっていた。

「……いつから」
「最初から」

 掠れた声で問いかけられて即答する。

「Principessa della neve. ――雪の姫。それって、これと関係があるんでしょう?」
 いつも首にかけているペンダント、雪のリングを見せて言う。
 アルドは緊張気味に表情を引き締めて喉を鳴らした。

「『雪』の継承者――それが私。これの本当の意味を理解しないで、私をボンゴレに引き込むなら、私はあなた達と関わらない」
「引き込むって……九代目は一般人の君を引き込むなんて……」
「するでしょう。どうせ『雪』と親が目当てなんだから」

 お母さんは世界的に有名な科学者。そんな彼女の持つ頭脳と技術力を欲しがらないわけがない。
 それに、裏社会の人間は『雪』の意味を知らない。――否、知ることができないからこそ、未知なる力を欲しがっている。

「初代適応者だった氷沢雪華は、たまたまボンゴレにいただけ。それなのに『雪』を自分達の所有物として扱って、継承者である私を引き込むなら――私はあなた達と敵対する」

 敵意を込めた厳しい眼差しで見据えれば、アルドは息を呑む。

「……解って、言ってるのか? マフィアだぞ?」

 取り繕うことをやめたのか、砕けた口調でアルドが脅す。
 それに対して、私は鼻でわらう。

「マフィアが何? そんなもの、母から習った技術で社会的に抹消してやる」

 お母さんから受け継いだのは語学だけじゃない。ハッキングや情報収集の技術や、それを利用して表社会に流出させる方法まで伝授された。
 今の私なら、これまでボンゴレファミリーがしてきた所業の数々を暴くことができる。
 それに――

おごっているわけじゃないけど、私にだって戦う力がある」

 すぅ、と目を細めて花瓶に生けているガーベラという花を見つめる。
 次の瞬間、ガーベラは凍り付いた。
 氷で覆われたのではなく、氷像のように芯まで凍ったのだ。

 指を鳴らした途端に、ガーベラが砕け散る。
 この光景を見たアルドは目を見開いて、跡形もなくなって残された花瓶を凝視する。

「『雪』の適応者は、継承した時点で氷雪の能力を手に入れる。今はリングだけだから全身は無理だけど、一部を凍らせて砕くなんてこともできる」

 雪のリングを得た時から鍛えた芸当だ。 これがあったから、お母さんの依頼について行った時に『あの人』を助けることができた。
 でも、これ以上の力は欲しくない。

「これは危険な力だ。おしゃぶりまで手に入れたら、人を殺せるほど強くなる」

 この力は、私が心から『拒絶』した時に発動する。つまり、私の心の持ち様で、相手の命まで奪ってしまう。
 いつかおしゃぶりも継承される。そして完全な力になって、拒絶した物を無差別に破壊するだろう。

 私は……それが何よりも恐ろしかった。

「あなたを拒絶したら……『存在を否定』したら、その時点で命を奪ってしまう」

 一種の殺人兵器だと、暗に告げた。

「それに、私には複数の超能力がある。お母さんと綱吉は受け入れてくれたけど、これのせいで父親に捨てられた」
「!!」

 息を呑むアルド。父親がいない理由はまだ知らなかったようだ。

「……だからね、私を護ろうとしないで。傷つけるだけの力を持つ私なんて、護る価値なんてないから」

 痛む心を振り切って見据えれば、アルドは傷ついた顔をした。
 どうしてそんな顔をするのか理解できないけど、今は早く部屋に戻りたかった。

 こんな感傷、表に出したくないから……。

 そっと目を伏せて、ダイニングから出て行こうとしてアルドを横切る。

「っ……え?」

 不意に、アルドに右手を掴まれ、手の甲にキスされた。
 思わぬことに、カッと顔が熱くなる。

「えっ、なっ!? 何して……!」
「それくらいで六華さんを拒絶しない」

 どうしてそこまで言えるのかわからなくて戸惑う。
 すると、何も持っていないはずのアルドの手に一本のナイフが出てきた。
 驚いていると、そのナイフはサラサラと霧のように崩れて消えた。

「オレは術士だ。有幻覚を作り出す才能があったから親に捨てられて、マフィアに拾われた」

 術士……幻覚を扱う特殊な人間。
 彼もマフィアに利用されているのか。そう思ったけど、彼は自分の意思でマフィアにいるように見えた。

「オレを受け入れてくれた九代目に応えるために、君の護衛を引き受けた。……君を軽んじて引き受けたんだ」

 ティモさんの期待に応えたくて、ただ私を護衛することだけを引き受けたと告白するアルド。
 彼の眼には後悔と悲壮が込められていた。

「君を利用した非礼を詫びさせてほしい。そして君を狙う何者からも、君を護る許可を貰えないだろうか」

 どうして、これを知っても護るなんて言えるのか。
 『雪』にはあっても、私自身は護る価値なんてないのに……。

「……それは、ボンゴレも含まれることになるよ」
「わかってる」
「私は『雪』を護るだけの存在だよ。中立だから、使命を下りない限り、誰のモノにもならない。……なれないんだよ。私自身に価値なんてないのに……」
「価値がないなんて、そんなことはありえない」

 真っ直ぐ、私の言葉を否定するアルドの瞳の強さに息を詰める。

「残酷なことを言っても、君は優しい。じゃないとオレに忠告なんてしない。それに、君はそれを護るために、犠牲を出さないように、独りになろうとしている」
「……!」

 確かに私は、私を狙うことで殺してしまうだろう敵を減らしたくて、他人と距離を置こうとした。
 それを、見抜かれるなんて……。

「頼れる人がいないなんて苦しいだけだ。だからせめて、オレが六華さんの頼れる人になる」

 真摯しんしな言葉に嘘はない。けど、どうしても疑心を持ってしまう。

「あなたは……同情じゃなくて、自分の意志で護るって言うの?」

 確かめるように問えば、アルドは頷く。
 揺るぎない意志を秘めた眼差し。これは梃子でも動かないだろう。
 目を伏せて、そっと息をつく。

「……わかった。でも、護られるばかりは嫌だから。背中合わせでもいい?」

 今度はしっかりアルドを見て言えば、彼は泣きそうな顔で笑った。

「あなたの御心のままに。La mia unica principessa. (我が唯一の姫君)」

 姫はガラじゃないけど、嬉しそうな顔をしたから何も言えなかった。
 私も笑って、改めて「よろしくね」と言葉を交わす。
 これがアルドと仲良くなるきっかけだった。


 こうして友達がもう一人できた。
 アルドが呼び捨てで呼んでくれるようになるまで、さほど時間はかからなかった。




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