心配と優しさ

 昨日の棒倒しの練習で川に落ちたオレは、案の定風邪をひいた。
 でも、それを言い出すタイミングがなくて……結局体育祭に出ることになった。

「ツナ、顔色悪いけど大丈夫か?」

 一年生の100m走後、尋君が声をかけた。

「え、あ……ちょ、ちょっと……」

 言いにくいけど、この際尋君だけでも打ち明けてしまおう。
 そう思ったのに……

「10代目! 飲み物です!」

 獄寺君が笑顔でスポーツドリンクを差し出した。
 ……出端を挫かれた。

 苦笑いを浮かべて受け取り、甘みのあるスポーツドリンクを飲む。

 そういえば、そろそろ女子の100m走がある。
 時和さんは大丈夫かな?

「あれ、京子ちゃんと花ちゃんじゃん。一緒にいるのは……」

 尋君の声につられて見れば、京子ちゃんと黒川が誰かと話していた。
 一緒にいるのは、時和さんだ。

「なあ、ツナ。あの子、名前何だっけ?」
「……時和天音だよ」

 答えれば、尋君は「ふぅん」と呟いて時和さんを見る。

「彼女、何モン?」

 視線を逸らすことなく、尋君が質問した。

 何者って……?

「……おい、まさかマフィアじゃないだろうな」
「時和もマフィアごっこしてんのか?」
「ごっこじゃねえ!」

 獄寺君が険しい顔で食いついて、山本が天然発言をする。
 このままじゃあ獄寺君が勘違いしてしまいそうで、慌てて否定した。

「ち、違う! 彼女は普通のクラスメイトだから!」
「ほんとか?」

 尋君が疑わしそうに聞き返す。
 どうしてそこまで疑っているのかわからない。なんだかモヤモヤしてきた。
 もう一度時和さんを見ると、競技に出るために京子ちゃんと立ち上がった。

「沢田君、保冷剤預かってもらってもいい?」

 すぐに出場すると思っていたのに、時和さんがオレに近づいた。
 そして、市販の保冷剤をオレに差し出した。

「え、お、オレ?」
「うん。沢田君、顔赤いし。熱中症になったら大変だから」

 ……そんなに顔が赤かったのか。
 風邪だってわかっていなくても体調不良に気づいてくれた。それが無性に嬉しかった。

「私が終わるまで使ってて」

 受け取ると、時和さんは急いで立ち位置へ向かった。
 ぼーっと見送ったオレは、その保冷剤を額に当てて深く息を吐き出す。

「ツナ?」
「……普通じゃなかった」

 普通じゃない。『普通』なんてひとくくりにできない。

「時和さんとはクラスメイトだけど、とても優しい子だよ」

 仲良くなりたい。そう思うほどいい子だし、何よりオレの心を癒してくれた。
 今も、風邪で逃げ出したいオレに優しくしてくれた。
 彼女にとって、オレはただのクラスメイトだろうけど。それでも彼女は、オレにとって大切な――

「……ん?」

 大切な……? 彼女とはクラスメイトなのに……友達じゃないのに。
 何なんだ、この感情……。

 悶々と考え込んでいるうちに、障害物競走が始まった。
 そう言えば時和さんが出ているんだっけ。

 グラウンドを見れば、時和さんはネットで二番目になったけど、跳び箱の次の竹馬で相手を追い抜かした。パン食い競争でもあっさりゲットして、一輪車では信じられないくらい爆走して……。

「すっげー。噂以上だな」
「噂?」

 山本の言葉に首を傾げる。

「知らね? 時和って見かけによらず運動神経抜群なんだって」
「え、そうなのか?」
「おう。一学期のソフトボールの時なんて、ホームランをかっ飛ばしたぜ」

 意外な情報に驚くと同時に、モヤリとする。
 何だ、これ……。なんか最近、不意に出てくるけど……。

 悶々としているうちに障害物競走は終わって、時和さんが戻ってくる。
 ……ん? なんだか……顔色が悪い?

「ツナ?」
「……保冷剤返してくる」

 ちょうどいい口実を言って、時和さんのところに行く。
 近づいてみて、オレより顔が赤くて、意識がはっきりしていないように見えた。

 暑さに弱かった? ……いや、真夏の公園ではそんなことなかった。
 そういえばあの時はウィッグを外していたんだっけ。……それだ。ウィッグをしたままあんなに動いたら熱中症になってもおかしくない。

「時和さん、ごめん。これ、借りてて……」

 急いで時和さんの頬に保冷剤を当てる。
 すると、気力のない時和さんの表情が、ふにゃり、和らいだ。

「きもちぃ」

 気の抜けた、それでいて掠れた声。
 今は地味に変装しているってのに……。

「京子ちゃんごめん。これ、時和さんに当てていて」
「うん。ツナ君も保冷剤貰った方がいいよ。顔、赤いよ」

 京子ちゃんに指摘されて、自分の顔が熱くなっていることに気づく。

 うわあぁ、なに赤くなってんだよ!?

「だ、大丈夫! オレ、これから競技だから!」

 そろそろオレが出場する競技が始まる。
 慌てて京子ちゃんに保冷剤を渡して、最後に時和さんを見る。

「がんばれー」

 すると、柔らかな笑顔でオレを応援した。
 ……眼鏡しててよかった。これが素顔だと絶対危ねー。

「が、ガンバル」

 カタコトになったけど、何とか言葉を返して向かった。

「や……っべぇ」

 あの時和さんが色っぽかった。
 普段は凛として、微笑むと綺麗で、満面な笑顔は可愛くて。
 なのに、さっきの気の抜けた笑顔と声が……可愛いのに、妙に色気が……。

 心臓に悪い中、ピョンピョンに意識を集中して邪念を払った。
 結果はいつも通りビリ……と思ったのに。

「君、5位ね」

 下から二番目だけど、初めてビリじゃなかった。
 5位だけど、すっげー嬉しかった。

 午後はいよいよ体育祭の醍醐味、棒倒しが始まる。



◇  ◆  ◇  ◆



 その後、昨日と同じく獄寺君と京子ちゃんのお兄さんが喧嘩して、C組の総大将を殴り飛ばして気絶させた。リボーンの策略で、B組の総大将まで……。
 最終的にB・C連合が結成して……負けた。

 途中で死ぬ気になったけど。
 獄寺君・山本・尋君・お兄さんで騎馬を組んだけど。
 獄寺君とお兄さんの仲間割れで、結局連合チームにボコボコにされてボロボロになった。

 その後も獄寺君が投げたダイナマイトの雨に遭い、今度こそ死ぬかと思った。

「沢田君、大丈夫!?」

 その時、時和さんの声が聞こえた。

 驚くと同時に、仄かに甘い花の香りと温かなものが頭から被さった。

「えっ!? な、なんだ……!?」
「私の上着。これで顔を隠して。早く保健室に行こう」

 顔を上げると、すぐ近くに時和さんがいた。
 びっくりして心臓が跳ねたけど、よく見ると心配そうな顔でオレを見ていた。
 自然と頷いて、オレは時和さんについて行った。


「失礼しまーす」

 時和さんが間延びした声とともに保健室に入るが、保険医のはずのシャマルはいない。
 あの人、女子生徒を追いかけに行ったきりだな。

「沢田君、ベッドに行ってて。タオルと着替え、借りるから」

 そう言った時和さんは、保健室の抽斗からタオルを取り出して、部屋の水道で軽く濡らしてオレに渡した。

「これで体を拭いて。泥だらけは気持ち悪いでしょう?」
「あ……ありがと」

 受け取って体を拭くと、あっという間にタオルが真っ黒になった。
 その間に持ってきてくれた体操服に着替えると、次に体温計を渡される。

「え?」
「沢田君、風邪ひいてるでしょう。顔色、すごく悪いよ」

 ……そう言えばオレ、風邪ひいてたんだ。
 自分でも忘れていたことなのに、時和さんは気づいてくれた。

 なんだか……胸がすごく熱いな。

 熱を測っている最中に、怪我した顔の消毒のあとにガーゼを貼ってもらって、終わる頃には体温計の音が鳴った。
 結果は、38度。見事に悪化していた。

「見せて。……うわぁ」

 体温計を見た時和さんは顔をしかめた。

「よく頑張ったね」
「……ほんとは休みたかったけど」

 頑張りたいとか、そんな高潔な思いはない。
 でも、時和さんは――

「それでも耐えきったのはすごいよ。風邪なのに周りに助けを言えないなんて、普通は心が折れるのに」

 オレを肯定してくれた。

「とにかく早く帰ろう。沢田君のお母さんを呼んでこないと」

 時和さんは、そう言って立ち上がった。
 離れていきそうな様子に、無性に心細くなって――

「! 沢田君?」

 無意識に、時和さんの手を掴んでしまった。
 放さないといけない。なのに、行ってほしくないくて……。

「一緒に行く?」

 一緒、と言われて心が軽くなる。
 不思議な心地に頷けば、時和さんは体温計を片付けて、オレの手を取って保健室から出た。……歩調を合わせてくれている。その気遣いが温かい。

「10代目ぇー!」

 獄寺君の声が聞こえた。
 顔を上げると、走ってきた獄寺君が険しい顔で詰め寄った。

「てめえ! 10代目に何しやがった!?」

 怒鳴った獄寺君の獄寺君に体の芯がすくむ。それ以上に大きな声で頭が痛い。
 小さく呻くと、時和さんがオレの背中をさすった。

「あのねぇ……沢田君は風邪をひいているんだよ? 大声出したら頭に響くでしょう」
「……は?」

 胡乱な声を出す獄寺君はオレを見て困惑し、どんどん青ざめた。

「熱は38度。無理が祟ったんでしょうね」
「なっ!? す、すみません10代目!!」
「謝るくらいならちゃんと気づいてあげて。それに聞いたよ。他の総大将を倒したんだって? 沢田君に余計な負担をかけるなんて……そもそも彼は総大将を嫌がっていたのに、強引に据えたのに護らないなんて。酷いと思わないの?」

 固い声で静かに怒る時和さんに驚いた。
 彼女がオレの本心に気づいて、こんなに怒ってくれるなんて思わなかったから。

「体調不良すら言えないなんて……いったいどんな環境にいるんだか」

 時和さんの声が湿っぽくなって、オレの手を握る華奢な手の力が少し強くなる。

「沢田君、あとは獄寺君と一緒に行ける? 無理なら付き添うけど」
「……お願いしても、いいかな……?」

 これ以上時和さんに迷惑かけたらいけないのに、どうしてもこの手を放せなくて。
 時和さんの手を強く握れば、彼女は穏やかに微笑んだ。

「うん、いいよ」

 笑顔で受け入れてくれて、目頭が熱くなる。
 そうして歩き出し、進むにつれて頭が重くなる。

 ふっと意識が真っ暗になって、気づけば見慣れた天井が目に映った。

 いつの間に帰ったんだ……?
 ぼんやりする頭で疑問が浮かんだけど、看病してくれていた母さんが、「風邪に気付かなくてごめんなさい」とオレに謝った。

 その間も、オレは時和さんのことが頭に浮かんだ。
 どうして頭から離れないのかわからないまま、もう一度眠った。


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