▼ 放課後のハプニング
ぐんっと引っ張られる感覚の後、煙が晴れる。
立っていた私は、見覚えのある部屋にいた。
「天音?」
聞き覚えのあるテノールの声。
後ろを見れば、白い開襟シャツに黒いスラックスというラフな格好の、10年後の沢田君がいた。
「え……また?」
私も驚きから呟くと、沢田君は苦笑して私を抱き上げた。
「わっ、ちょっ……!?」
「軽っ。ちゃんと食べてるのか?」
「た、食べてるけど……」
戸惑いながら返せば、ソファーに座っている沢田君は私を膝の上に乗せた。
何この体勢。逃げられないじゃない。
「沢田君」
「名前で呼んでって言ったよね?」
「……綱吉、この体勢は何?」
腰をガッチリとホールドしているんだけど、何で?
逃げようと肩を押すと、腕の力が強くなる。
「こうしないと逃げるだろ?」
当たり前のことを笑顔で言うな。
退路がないと理解した瞬間、綱吉は私から眼鏡を取る。クリアになった視界に映った綱吉は、色っぽく微笑んでいた。
「顔、赤いよ」
「……かっこいい綱吉が悪い」
軽く睨んで文句を言うと、ピシッと固まる綱吉。
どうしたのかと不機嫌な顔のまま首を傾げると、はぁ、と溜息をつかれた。
溜息つきたいのはこっちなのに、理不尽だ。
「そんな言葉、オレ以外に言うなよ」
……理不尽だ。
なんだか我儘になっている気がするけど、この10年間で何があったのかなぁ。
「そっちのオレ、いま何してる?」
「え? えっと……ランボの保育係を決めようとしてて……」
教えると、「あぁ、あの頃か」と苦笑した。10年が経った今でも覚えているようだ。
懐かしそうに目を細めた綱吉は、私の髪を梳いて首筋を曝す。
て、まさか……!
「つ……綱吉、何するつもり?」
「愛でるんだけど」
「いやいやいや! 子供に何してんの!? ロリコン!?」
綱吉ってロリコンだったっけ!?
慌てて距離を置こうとするけど、突き飛ばすために伸ばした手を掴まれた。
呆気なく強い力で引っ張られて抱きしめられて、身動きが取れない。
「天音限定ならいいかもな」
「はい? どういう……んっ」
綱吉が私の首筋に顔をうずめて吸いついてきた。
だから何でキスマークつけるの!?
私の髪を撫でる優しい手の温もりに気が抜けそうになって怖い。そんな私に気づいたのか、私をギュッと抱きしめて、リボンタイとシャツの第二ボタンを片手で外した。
「つ、綱吉!? いい加減にしっ……やあっ!?」
肌蹴た肩を噛んだと思ったら生温かいものが這う。
子供相手に何してんの!? 綱吉って実は色魔だったの!?
「てぃ、TPO! TPOをわきまえて……ひっ!」
「ここにそんなものないよ。二人きりなんだし」
二人きりでも子供相手にやめて!
クスクス笑う綱吉は本当に危険だ。危ない。ていうかもう無理!
「天音?」
不思議そうに声をかける綱吉だけど、私は両手で顔を覆って俯く。
「無理……もう無理……ほんと無理……」
「何が無理なんだよ」
私の両手首を掴んで、強引のようでいて優しく引っ張る。
きっと情けない顔だと思う。顔が熱くて、涙が滲んでいるから。
「無理……心臓痛い……もう、本当に無理だから……っ!」
心臓が痛いほどうるさく鳴り響いているし、そのせいで息苦しいし。
やばい。本気で泣きそう……。
「……あーもー……その顔ヤバすぎだろ……」
綱吉は何やら文句を言って、私の第二ボタンを留めた。
言葉の意味がわからなくて綱吉を見上げると、彼は目元を赤らめていた。
悩ましそうに眉を寄せて、熱い視線で私を見つめる。
大人の色香を全面的に出している綱吉を見て、また恥ずかしくなって涙が滲み出た。
そんな私を見た綱吉は深い溜息を吐いて、私の顔に眼鏡を付け、リボンタイを返した。
「オレ以外の前で、そんな顔をしないで」
「え……?」
――ボフン
◇ ◆ ◇ ◆ ――ドガァン
まさか……また!? またランボが10年バズーカを時和さんに撃つなんて……!
唖然としていると煙が晴れて、大人っぽいワンピースと、その上にカーディガンを羽織った10年後の時和さん……天音が現れた。
「あれ? また?」
きょろきょろと辺りを見回す天音に、リボーン、獄寺君、山本、ハルは唖然とする。
未来の天音はウィッグと眼鏡をつけてない、色香を滲ませた美貌を晒しているからだ。
「ここ……学校? 綱吉、今何やってるの?」
「え!? ええと……ランボの保育係を決めてて……」
「……あぁ。そういえばやったっけ。懐かしー」
懐かしむように目を細めて微笑む天音に、思わず顔が熱くなる。
これで二度目だけど、この色香は慣れそうにない。
「おまっ……あの地味女か!?」
大声を上げる獄寺君に気づいた天音は目を丸くして、クスッと笑う。
「その呼び方懐かしいね。この頃って落ち着きがなくてトラブルメーカーで、右腕と言うより駄目な忠犬、略して駄犬だったし」
「誰が駄犬だーー!!」
天音の獄寺君への認識の酷さに叫ぶ。
けど、ふっとした穏やかな笑みに、ぐっと獄寺君は息を詰める。
「今は無理でも、周りを認められるようになったら一皮剥けて、右腕らしくなる。こっちのあなたとはかなり差があるけど、頑張ってね」
まさか応援されるとは思わなかったみたいで、獄寺君は赤面して、口をパクパクと開け閉めする。酸素不足の金魚みたいだ。
でも、なんだか面白くない……ような……。
「時和天音だな」
不意に呼ばれて、天音は目元を緩めてリボーンを見下ろす。
「なぁに?」
「お前、いま何やってんだ?」
それは誰もが気になっていること。
尋ねられた天音は、艶やかに笑んで人差し指を口許に当てた。
「それは秘密。言ったら未来が変わるかもしれないから」
(この言い方……こっちが過去だって理解してるな。だとしたら……)
リボーンに笑顔を向ける天音に、なぜだか胸がモヤモヤする。
無意識に目が据わってくると、不意に天音がオレに微笑みかけた。
「ただ言えることは、あなた達と今も変わらず一緒ってこと」
「!」
それを聞いて、ドキッと胸の奥が跳ねる。
もしかして、10年後でも時和さんは――
「……レナータ?」
不意に、ずっと黙っていた尋君が声を漏らした。
誰を呼んだのかわからなかった。そんな中で唯一、天音だけが反応した。
ハッと我に返って顔を上げ、尋君を視界に入れる。
目を見開いた天音は、悲しそうに目を細めた。
「……ごめんね」
「え……?」
「この頃はまだ、思い出せてないの」
天音の言葉の真意が読めない。けれど尋君だけは理解したようで瞠目した。
「置いていって、ごめんね」
いったい、何の話だ……?
息を詰めた尋君は、奥歯を噛み締めて俯く。その反応に戸惑い、天音を見上げて――言葉を失う。
天音のブルーグレーの瞳が、潤んでいたから。
「……そろそろかな。綱吉、こっちの私をよろしくね?」
――ボフン
最後に微笑んだ天音が、ピンク色の煙に包まれる。
戻ってきたのは、現在の時和さん。入れ替わる前と違って、リボンタイが外れて、少し着崩れている。
眼鏡を付けているが、放心している様子がはっきりとわかった。
「えっ、時和さん!? 大丈夫!?」
「っ……沢田君!」
いきなり大声を出した時和さんに、ビクッと肩を震わせて立ち止まる。
時和さんの顔は真っ赤。眼鏡で目は隠れているけど……え、エロイ……って、何考えてんだオレーー!!
頭を抱えたくなっていると、時和さんがオレの肩を掴んだ。
「ロリコン色魔にならないで!!」
「へ!? し、しきま? つーかロリコン!?」
斜め上の発言に頓狂な声を上げてしまう。
ふと、時和さんの首筋に赤い何かがあることに気づく。
蚊にでも刺されたのか? ……違う。これは――
「……誰に付けられたんだよ、それ」
キスマークだ。
無意識に声が低くなる。ざわざわと苛立ちが募る。そんなオレに構わず、時和さんは赤い顔のまま睨んできた。
「10年後のあなただよ」
「……は? お、オレぇえ!?」
10年後のオレは何やってんだー!!?
「天音、あっちのツナに何されたんだ」
(10年後の天音は結婚してんのか。小振りだが、ダイヤモンドを使ったプラチナの指輪だった。相手は誰だ……?)
下から声をかけたリボーンに気づいた時和さんは、その質問に対して顔を真っ赤にして口を引き結んで俯いた。
リボーンの考えは読めないけど、ただ事ではないことは確かだ。
「時和さん。何されたか言える?」
できるだけ優しく声をかけるけど、どうしても目が据わってしまう。
時和さんは赤面したまま、引き結んだ口を、声を震わせて答えた。
「……貞操の危機だった」
――ピシャーン
雷に打たれたような衝撃が走った。
貞操の危機……? 10年後のオレ、何やってんだ!?
「も……むり……かえる……」
弱々しい声で言った時和さんは、フラフラと校舎裏から離れた。
まずい。何がと言うと、全部。あのままじゃあ本当に貞操が危ない。
「ごめん尋君、ランボのことお願いできる!?」
「え!? あ、ああ……」
「ありがと! また明日!」
みんなに挨拶して、オレは駆け足で時和さんの後を追った。
「時和さん!」
呼びかければ、時和さんはビクッと肩を震わせて振り返る。
どことなく警戒されている様子に、未来の自分を殴りたくなった。
「どう、したの?」
「家まで送るよ。今の時和さん、危ないから」
首を傾げる時和さんは、よくわかっていないようだ。
これ以上言うと混乱を呼びそうだから、何が危ないのか黙っておこう。
「それで、その……向こうのオレのこと教えてくれないかな?」
「……いいけど、少ししか知らないよ?」
「少しでもいいんだ」
今後、時和さんが10年後に行くようなことがあれば対策を取らなくちゃ。
そんなオレの心境を知らない時和さんは、ふっと小さく笑った。
「じゃあ、向こうの私のことも教えて?」
柔らかな笑顔は、眼鏡をしていても綺麗だった。
急に顔の熱がぶり返した気がして、オレはぎこちなく頷いた。
そして聞かされた10年後のオレの行動に頭を抱えるのだった。