穏やかな朝

 ふわふわとする中、水中から浮き上がるような感覚に支配される。
 ゆっくりと意識が戻って、そっとまぶたを開ける。
 しばらくぼーっとして枕元の目覚まし時計に目を向けると、時刻は六時前だった。

 今日も目覚ましより早く起きてしまった。まぁ、いいけど。

「よっと……」

 ベッドから降りると寝間着ねまきを脱ぎ、かごに入れる。
 箪笥たんすから取り出した黒いハイソックスを履き、長袖のブラウスとスカート、それからリボンを身につける。これで学校の女子制服が完成した。
 ちなみにライトブラウンのブレザーは入学式と冬頃に着るものなので、次の衣替えまでクローゼットに封印。

 鏡台にあるヘアブラシを取って、腰まで真っ直ぐ伸びた薄茶色の髪をかす。

 普段はヘアクリップでハーフアップに整えているけど、学校では黒いウィッグで隠し、さらに後ろ側を一つに束ねている。
 とはいえ、まだ出発の時ではないから、いつものようにシュシュで一つにまとめる。

「これでいいかな?」

 鏡に映る自分の姿を確認すると、視線がかち合う。

 母と祖父譲りなのは髪だけではない。瞳の色も同じく、青灰色。

 穏やかさの中に凛とした印象を持たせる目付きで、優しげな美麗と表現できる。
 顔立ちは全体的に母親譲りだけど、凛とした目付きによって生み出される雰囲気は父親譲りかもしれない。

 綺麗だから好きだけど、家族から隠せと言われているのは不満だ。
 まぁ、目立たないためだから仕方ないけれど。

「あとは……」

 机から取ったのは、不思議な指輪を通したペンダント。
 桜花を閉じ込めた桜色の指輪は、いつか私をこの世界の物語に引き込むだろう。それまで穏やかな日常を過ごしたい。
 複雑な感情を持ちつつもペンダントを首に付けて、服の下に隠す。

「えーっと……筆記用具、よし。教科書、よし。読書用の本も、よし。財布も鍵もケータイも、よし……」

 スクールバッグの中を確認して、最後に枕元に置いていた大切な物を取る。

「……懐中時計、良し」

 これは両親と祖父がおくってくれた高価な品だ。
 唐草と月桂樹が絡み合った模様を蓋の縁に施して、三日月型の瑠璃色のオパールと、桜の形に組み合わせた微細にカットされたモルガナイトとルビーが嵌っている、芸術品のような金の懐中時計。
 しかも、オルゴール仕掛けなのだ。
 時計とオルゴールの仕組みはよく似ているから、海外でもオーダーメイドで作られるそうだ。私の懐中時計は、私のイメージ通りの懐中時計を作りたいからって、祖父みずから手掛けた作品。

 本当にやりすぎ。でも、「呆れ」より「嬉しい」という気持ちの方がずっと大きい。
 蓋を開ければ、私の好きな自作の音色を奏でる。きっかり1分間で流れるように両親が調節して編曲してくれたんだって。
 ちなみに楽譜は、幼い頃に口ずさんでいるのを聴いた祖父が、それを両親に言って作ってくれた。
 家族が作ったオルゴールを内蔵した金の懐中時計は、私の宝物だ。

「よしっ、行きますか」

 パチン、と片手で蓋を閉じて鞄に入れた。



 やることを済ませてからリビングに入って、キッチンで朝食を作る。
 味噌汁と焼き魚が完成する頃、階段を下りる足音が聞こえた。

 あ、この音は……。

「おはよう、天音」

 リビングの扉が開いて、最初に入ってきたのは祖父だった。

「おはよう、おじいちゃん」

 時和恢。ちょっと謎めいた、私の祖父。

 今年で65歳なのに、目元以外のしわは少なく、足腰も丈夫で背筋も綺麗。
 どことなく色気のある若々しい美老人で、近所の人々に昔から年齢詐欺師さぎしと陰で言われている。

 まぁ、仕方ない。私が小学時代の時から、あまり変わってないし。

「今日は和食か」
「うん。おじいちゃんの好きな鯖の塩焼きもあるよ。半身だけどいい?」
「ああ、ちょうどだ」

 嬉しそうな微笑を浮かべるおじいちゃんに安心して、完成した料理を盛り付ける。
 その時、どたどたと慌ただしい足音が廊下から聞こえて、リビングの扉が勢いよく開いた。

「寝坊したーっ! ごはん冷めちゃった!?」
「してないから、大丈夫だよ。おはよう、紗綺」

 にこりと笑いかければ、紗綺はほっと安堵してはにかむ。

「おはよー、お姉ちゃん。おじいちゃんもおはよー」

 時和紗綺。私の二歳下の妹。

 薄茶色の髪はセミロングで、毛先に柔らかなクセがついている。
 瞳は父譲りの綺麗な黒目で、ぱっちり二重瞼のおかげで大きい。
 お母さんの遺伝が強く出ている可愛らしい顔立ちで、学校では常に人気者。

「おはよう。時計の調子、悪かったのか?」
「あはは……七時半を過ぎてて……」
「それは慌てるね」

 おじいさんが訊ねると紗綺は苦笑して、私は相槌あいづちを打つ。

 紗綺と料理をダイニングテーブルに配膳はいぜんして席に着くと、両手を合わせて「いただきます」の音頭とともに、揃って食べ始めた。

「……あ。この卵焼き、このお味噌汁の出汁を使ったの?」
「正解」

 一口食べただけで、紗綺が言い当てる。
 なぜか知らないけど、紗綺はよく私が作った料理を言い当てるんだよね。

「天音も料理が上達したなぁ。紗音よりうまい」
「本当? よかったぁ」

 父・天は科学者兼技術者だから、いろんな依頼が来る。
 母・紗音はその助手であり現役の情報屋だから、依頼主の安全性を事前に調べるために同行しているから、二人とも家にいない。

 兄も都会で最も有名な難関大学に入学したから、長期休暇でもなければ帰省できない。

 おじいちゃんは普段は秘密のお店で隠居生活を楽しんでいるけど、二週間に一回は様子を見に来てくれる。今日がその一回なので、次に泊まりに来るのは二週間後だ。

「ああ、そうだ。紗綺、今日はどうする?」
「おじいちゃんのお店に行くよ。今日、体育だもん」

 おじいちゃんが思い出したように訊ねると、紗綺は当たり前のように言う。
 待って、ちょっと待って。

「紗綺……また学校休むの?」
「だって面白くないんだもん」

 またしても当たり前のように……これは甘やかしすぎたかなぁ……?

「お姉ちゃんだって、学校退屈でしょ?」

 紗綺の言う通り、確かに退屈だ。両親の英才教育のおかげで大学レベルまでの頭脳を磨き上げたから、何もかもが簡単に見えてしまう。

 でも、私は前世のように無意味な人生にはしたくない。ちゃんとした普通の人生≠謳歌したいのだ。

「……それでも真っ当に生きたいから。テストの範囲だって把握しておきたいし」
「お姉ちゃん真面目だねー」
「いや、不真面目なところもあるぞ?」
「基本は真面目!」

 紗綺がおかしそうに笑うと、おじいちゃんもフォローにならない訂正ていせいを入れる。
 二人揃ってグサグサと言葉の槍を……。

「じゃあ、どう? 友達できたの?」
「……いないよ。相変わらずゼロ」
「え! 何で?」

 紗綺が目を丸くして驚く。
 不思議そうな反応に、思わず苦笑してしまう。

「ほら、私って地味子に変装しているでしょう? 根暗とガリ勉のイメージがあるみたいで、誰も近づこうとしなくて。関わったとしても嫌味を言われるし。まぁ、仕方ないって割り切っているけどね」

 黒いウィッグと分厚い銀縁の伊達メガネで学校生活を送っているせいで、誰かと関わることは少ない。あったとしても一瞬だし、特に男子が陰でからかってくる。
 格好だけで友達ができないのも、なんか切ないけど……。

 眉を下げて言うと、二人が黙り込んだ。
 ……顔がちょっと怖い。


(お姉ちゃん、お母さんと同じで超絶美人だし、あんまり自覚してないから地味になると安全なんだけど……それで悪口言われるなんてやだなぁ。一度乗り込んじゃおうかな? あと嫌味言う人、お兄ちゃんにリークしちゃお。新作の盗聴器で録音しててよかったー)

(天も紗音も、いくら何でもここまで隠すか? 地味だからって友達ができないなんて、それこそ差別じゃないか。いっそのこと外させてやろうか? いや、それで変な虫がつくと不安だ。そうなれば一家総出で、ありとあらゆる地獄を……)


 ……どうしよう。二人から禍々しいオーラが見える。

「紗綺? おじいちゃん?」
「なぁに?」
「何だ?」
「いや……なんか顔が怖かったから……」

 物凄く不機嫌な顔で笑っている紗綺も、殺気が滲み出た据わった目で考え込んでいるおじいちゃんも怖い。何を考えているかわからない。
 怖々と声をかければ、紗綺は無邪気に、おじいちゃんは誤魔化ごまかすように笑った。

「なんでもないよー」
「気にするな。些細ささいなことだ」

 些細なことって……さっきの顔は些細≠カゃないよ。

「それより学校の時間は大丈夫か?」
「あ、うん。そろそろかな? ごちそうさま」

 手を合わせて食器を流し台へ片付けて、弁当を入れた巾着をリビングのソファーに置いているスクールバッグに入れた。最後に黒いウィッグをつけて一つに束ね、分厚い伊達眼鏡を装着。
 もう一度リビングに行って、お菓子のことを知らせる。

「今日のお菓子は紅茶クッキーだから」
「やったー!」

 諸手もろてを挙げて喜ぶ紗綺はとてもかわいい。見ていて癒される。だからつい甘やかしてしまうんだよね。

 ほのぼのとほおを緩めると、おじいちゃんが私の頭を撫でて微笑む。

「気をつけて行ってきなさい」
「あっ、私も! お姉ちゃん、いってらっしゃい!」

 駆け寄った紗綺も、私に抱き付いて挨拶した。
 すごく嬉しくて、紗綺を抱きしめ返す。「きゃー」と嬉しそうな声を上げる紗綺につられて笑顔が浮かび、放すとお祖父ちゃんの手を握って……。

「うん、充電完了。いってきまーす!」

 家族との触れ合いで癒しを充電し、元気よく挨拶して家から出る。
 玄関の扉が閉まる際、紗綺もお祖父ちゃんも笑顔で手を振ってくれていたのが見えた。

「……よし。頑張るぞ、オー」

 中学1年生になって早2ヶ月。
 妹と祖父に見送られて、私は学校へ向かった。


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