平穏の終わり

 我が家から徒歩10分ほどで見えてくる、ありふれた鉄筋コンクリート造りの校舎。
 正門に嵌め込まれた大理石には『並盛中学校』と刻まれている。

 ……うん。【REBORN!】の舞台だね。
 名門女子中で有名な緑中に行く予定だったんだけど、家から一番近い場所にある中学校といえば並盛中学校しかなかったんだ。

 実はこれ、両親とおじいちゃんが決めたこと。
 私は遠くても構わなかったけれど、安全性を考慮こうりょした結果がこれだった。


 それはまだ許容できる。でも……だからって主人公とクラスメイト? なにそれ、仕組まれているの? これ。
 入学式から数日間、そんな憤りばかりで余裕がなかった。そのせいで近くの席の子が怖がったりしたっけ……うん、反省。


 1年A組の教室に入り、窓辺に近い席に座ると机に突っ伏す。 いつも思うけど、同年代とはいえ子供の騒がしい声は苦手だ。特に中学生の男子。

「……今日、かぁ」

 今日は6月の第三月曜日――6月18日。
 とうとう原作が始まる日だ。
 私は傍観者を希望しているから、登場人物とは関わりたくないなぁ。

 内心でぼやき、今日も退屈な授業に取り組んだ。



◇  ◆  ◇  ◆



 その翌日の学校は、いつも以上に賑やかだった。

「……あー。そういえば……」

 昨日に原作の幕が上がって、今日から本格的に始まる。
 色々と思い出した私はげんなりして、うるさいクラスメイトを無視して机に突っ伏す。

「パンツ男のおでましだー!」

 一人の男子生徒が叫ぶと、バカ笑いと冷やかしの声で溢れ返った。
 あぁ、沢田綱吉が来たのか。あー、帰りたい。

「持田センパイにきいたぞーっ。めいっぱい拒絶されたんだってなーー」

 確か……持田、剣介……だっけ? 委員会が同じだけのヒロイン・笹川京子と付き合っていると思いこんでいる阿呆は。

 沢田綱吉が剣道部の部員に担がれて道場にさらわれる。
 一連を見たクラスメイト達は面白そうだと道場へ走って向かう。

 ……行きたくない。けど、行かないと余計に厄介なことになりそうだ。

 深い溜息を吐いた私は、重い腰を上げて教室から出た。


「きやがったな、変態ストーカーめ!! おまえのようなこの世のクズは神が見逃そうが、この持田がゆるさん!! 成敗してやる!!!」

 道場では持田の一人舞台となっていた。
 カッコつけで大言壮語を口にした持田は、青ざめて震える沢田綱吉に竹刀を向ける。

「心配するな。貴様のようなドアホでもわかる簡単な勝負だ」

 成敗って言っておきながら勝負っておかしくない?
 幼気いたいけな下級生を見世物にするなんて……上級生として失格だな。

「貴様は剣道初心者。そこで10分間に一本でもオレからとれば貴様の勝ち! できなければオレの勝ちとする! 商品はもちろん、笹川京子だ!!!」

 うわぁー……下衆だ。これは笹川京子も幻滅しただろうね。

 道場の壁にもたれて眺めていると、沢田綱吉が道場から出て行くのが見えた。
 これは逃げてもいい。なんたって公衆の面前で叩きのめされるといういじめ≠ェ行われているのだから。
 一応、先生に告げ口した方がいいな。なんて思っていると、持田が高笑いした。

「これで不戦勝だ!! 京子はオレのモノ!!」

 うわー、モノ扱いにされているよ。こんな人と結婚する人はさぞかし不憫ふびんだろうなぁ。

「……気持ち悪」

 こんな茶番に付き合いきれなくなった。
 早く帰りたい。そう思い始めた頃、道場の外から雄叫びが聞こえた。

 どんどん近づいてくる声に、いよいよだと期待を膨らませて入口に目を向けると――

「いざ! 勝負!!!」

 ダンッと床を踏み鳴らして登場したのは、下着一枚だけの沢田綱吉。
 いつもの変化はそれだけではない。
 小動物のような弱気な表情が多いのに、今は鬼のような迫力のある形相ぎょうそう

 そして――額に灯る、橙色の炎。

 あれが大空の炎か。荒々しいけど、綺麗だ。

「ぅぉおぉぉおぉお!!!」

 誰もが変態だとののしる中、沢田綱吉は暴走車の如き勢いで突っ走る。
 誰もが目を見開くが、対戦相手である持田は唾を飛ばすほど吹き出した。

「ギャハハハ、裸で向かってくるとはブァカの極みだな!!!」

 気持ち悪い顔でバカ笑いする持田が一番バカみたいなんだけど。

「手かげんするとでも思ったか!! 散れ!! カスが!!」

 威勢のいい罵倒ばとうとともに竹刀を振り下ろす持田。相手は防具も何も身につけていないのに、本当に手加減もしてない。
 普通だったら頭がカチ割れて傷害罪に問われるというのに、本当にバカだ。

 思わず眉を寄せてしまうが、小さな呻きを漏らした沢田綱吉は押し返し――

「だあ!!」

 竹刀を壊すほど勢いの良い頭突きをました。

 しん、と静まり返るギャラリー。
 仰向あおむけに倒れる持田の上に、沢田綱吉は飛び乗る。

「マウントポジション!?」
「何をする気だ!!?」

 誰もが困惑の声を上げると、沢田綱吉は手刀を掲げる。
 面を打つ気だと誰もがうたがわなかったが――ベリッと、痛々しい音が微かに聞こえた。
 よく見ると、沢田綱吉の手には黒いかたまりがあった。

 それは、持田の髪の毛。


「100本!!! とったーーっ」


 ようは頓智とんちだ。何を取るか言っていないし、髪なら何本でも取れる。争い事が嫌いな彼らしい戦い方だ。

 思わず歪む口に手を当て笑ってしまった。
 私以外の野次馬達も笑っているから、この込み上げる愉快さは変なものではないはず。

「これでどーだぁ!」
「ひぃっ」

 審判に髪を突き出す沢田綱吉。審判は持田の息がかかっているが、この場合は恐怖で旗をげられない状態だった。

「ちっくしょ〜っ。うおおおおっ」

 悔しがった沢田綱吉は暴走して、ブチッブチッと持田の髪を引っこ抜く。
 鬼気迫る形相で、止まることなく。
 誰もが青ざめる中、私はただ笑った。

 ツルッパゲになった持田は白目を剥いて泡を吹き、とうとう気絶。
 沢田綱吉は引っこ抜いた全ての髪の毛を審判に向けた。

「全部本」
「赤!」

 次は我が身と感じたのだろう。審判は青ざめて旗を揚げるげる。

「旗が…あがった…」
「スゲェ!! 勝ちやがった!」

 どっと湧き上がる歓声。野次馬達が押し寄せても、沢田綱吉は実感が湧かないのか呆然とするばかり。

「ツナ君ってすごいんだね。ただ者じゃないって感じ!」

 けれど、笹川京子が褒め称えると、ようやく実感を持ったようだ。

 一件落着して、ほっと一安心。
 ……けど。

「気持ち悪い」

 この光景は気持ち悪く感じる。
 だって、あんなに酷いことをしたのに、あっさり手の平を返したんだから。

「……先生に言った方が……いいよね」

 ぽつりと呟き、私は道場から出た。

「ちゃおっス」

 教室ではなく職員室に行く方が確実だろう。そう思って廊下を歩いていると、子供特有の高い声が聞こえた。

 ドキッとした私は、後ろへ振り返る。
 誰もいないと思ったが、下に目を向けて……目を丸める。

「……赤ん坊?」

 くるんと丸まったチャーミングなもみあげと、大きいつぶらな黒い瞳。
 漆黒のスーツにオレンジ色のアクセントがある鍔広つばひろの帽子。
 胸には、黄色いおしゃぶり。

 彼こそが最強の赤ん坊・アルコバレーノの一角を担う、殺し屋リボーン。

 何でこんな所に!?

「お前、ツナを褒めにいかねーのか?」
「……えっと、ごめん。ちょっと気持ち悪くて……」

 戸惑いながら答えると、リボーンは首を傾げる。
 その様子で、ちょっとだけ苦笑する。
 気を抜いたらいけないけど、このモヤモヤを吐き出したかった。

「みんなして沢田君をけなしたり、見物したりしたでしょう? 沢田君が負けるって判り切っているのに、一方的ないじめを面白がって。……それなのに手の平を返して……」
「それで気持ち悪かったんだな」
「うん。……ごめんね。変な理由で」
「だったらお前はどうして見に行ったんだ?」

 純粋な疑問に、私は思い返す。
 面倒なことにならないためだった。けど、それと同じくらい……。

「心配だったから。あと、この騒動を引き起こした元凶を先生に伝えたかったから。私、気持ち悪いままは嫌なの」

 素直に答えると、リボーンは大きな目をしばたかせ、ニッと口角を上げた。

「そうか」
「うん。じゃあ、行ってくる。気をつけて帰ってね」

 軽く手を振って私は職員室へ向かった。
 少しだけ胸がすっきりしたのは、抱え込んだ気持ちを話したおかげだ。



 ――でも、これがいけなかった。

「面白い奴だな」

 羽根がない貪欲な天使が、私に興味を持ったから。


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