野球少年の苦悩

 今日の体育は、男子は野球、女子はソフトボール。

 ソフトボールは苦手だ。だって球の軌道が低いから。
 でもまぁ、できないわけではない。これでも運動神経はいい方だ。

「たけしー、がんばってー!」

 一部の女子生徒が男子に向かって声援を送っていた。
 顔を向けて、あぁ、なるほど、と理解する。


 1年A組、山本武。
 日に焼けた肌と黒い短髪が特徴の、爽やか系スポーツ少年。
 中学1年生なのに170センチ以上もあるし、スポーツで鍛えられているからスタイルも文句なし。
 幼い頃から野球が大好きな生粋の野球少年で、1年生でレギュラー入りした野球部の期待のホープ。

 同級生から熱い視線を送られても、持ち前の天然スキルで気づかない。
 そんな彼はスポーツばかりに熱中しているから、勉強の成績はかなり悪い。やればできる子だって知識で知っているけど、彼は野球のことばかりで授業中は寝てばかりだし。

「……あれ?」

 山本武が最初のボールを空振りした。
 彼の実力なら、ただ真っ直ぐ投げられたボールは必ず打ち返せるのに。
 けど、二度目の投球はホームランで打ち返せた。
 調子の悪さを払拭する勢いに、誰もが肩を叩いて褒め称え、ファンクラブの女子生徒は歓声を上げる。

 誰も気づかない……?

「時和さん、出番だよ」

 同じチームの黒川花に声をかけられた。
 彼女は笹川京子の親友で、可愛い系の彼女とは正反対で大人っぽく理想が高い。
 波打つ黒髪に綺麗な顔立ち。身長は私より若干低いけど高い方。

 黒川花の声で意識を戻した私は、彼女からバットを受け取る。

「時和さんって、山本のこと好きなの?」
「……は?」

 黒川花の発言に胡乱うろんな声が出てしまった。

「まさか。ありえないんだけど」
「じゃあ何で熱心に見てたの?」

 熱心……? いったいどこが?

「熱心じゃないよ。ただ……調子悪そうだなぁって気になっただけ」
「え? どのへんが?」

 私の言葉に黒川花は目を丸くする。
 私は「後で言う」と言って、ベースに立つ。

 バットのグリップをしっかり握り、鋭い投球を見極め――振るった。


 ――カキーン


 空高く飛ぶボールに、相手チームは慌てて追いかける。けど、これはホームランで間違いないだろう。
 私は三塁まで止まっているチームメイトと一緒に駆け抜けて、一気に四点を獲得した。

「すごーい! 時和さんって帰宅部でしょ?」
「うん」
「ほんと意外だわ」

 一緒に走り切った笹川京子に褒められて、黒川花にも驚かれる。
 ふと、視線を感じた。
 男子側に目を向ければ、山本武がこちらを見つめていた。

 私が顔を向けたことで顔を背けたけど……何なの?

「それで、時和さん。あの山本のどこが調子悪いって?」
「え? ……あぁ」

 そう言えば、後で話すって言ったっけ。

「彼の実力なら、一回目で打ち返しているから。話を聞く限りじゃあ、そうだと思って」

 私がそう言うと、黒川花は「ふーん」と相槌を打った。
 それを聞いた笹川京子が不思議そうに首を傾げる。

「何の話?」
「山本が調子悪いって」

 黒川花が山本武の方を見た時、沢田綱吉が空振り三振で交代になった。

「あーあ。やっぱダメツナだ」

 息をするようにバカにする黒川花。それにムカッとしたけど、私の視線は別の方へ向いていた。
 それは、山本武。なぜなら、さっきの彼は――



 ――体育の後は放課後。私は帰宅部だから学校にいる必要はない。
 校舎から出た時、残ってトンボ掛けしていた沢田綱吉、山本武、小津尋が来た。

「ん? もしかしてもう放課後か?」
「……そうだけど」

 山本武に声をかけられた。
 戸惑いながら頷くと、彼は沢田綱吉と小津尋を見下ろす。

「ツナ、尋、先に行っててくんねーか? オレ、部活もあるからさ」
「わかったよ。……えっと、さよなら」
「さよーならー」
「え? あ、うん……」

 頷いた沢田綱吉と小津尋は私に挨拶して、校舎へ入った。
 反応が遅れてしまったけど、軽く手を振って見送る。

 ……律儀だ。私なんて無視しておけばいいのに。

「なあ、時和」

 不意に、山本武に呼ばれる。
 どうしたのかと振り向くと、彼は真剣な顔をしていた。

「一番得意だったことが急にできなくなっちまったら、時和ならどーするんだ?」

 最近、目覚ましい活躍をしている沢田綱吉を頼ったはずだ。

 ――そして、骨折する。中途半端な子に頼ったせいで。

 沢田綱吉の言葉で焦るだろう。努力もしていない子が「努力」と言ったから。
 私なんかの言葉で変わらないだろうけど……。

「休んで気晴らしになることをする。もし立ち直れなかったら信頼できる人に頼るけど」
「時和もそーいうことあるのか?」
「当たり前だよ」

 当然だ。私だって人間なんだから、スランプの一つや二つ、あるに決まってる。
 悩みは妹や祖父達に打ち明けて、それ以外は音楽を聴いたり読書したりして気晴らしをするのだ。

 山本武は考えたことがなかったのか、不思議そうな顔をした。

「ツナは『努力しかない』って言ったぜ?」

 ……やっぱり、虚栄の言葉を使ったか。
 これから成長していく沢田綱吉には期待できるけど、今の彼は嫌いだ。

「もしかして、彼が活躍してきたから焦ってる?」
「!」

 感じたことを言えば、図星なのか息を詰める山本武。
 彼も愚かだ。気持ちは解らなくもないけど、自分より劣っている他人を比較するなんて。

「自分より劣っている子が目立ってきたから?」
「そんなこと……」
「じゃあ何で、彼が野球で失敗したのにほっとしたの」

 気づかれないとでも思っていたのか、山本武は目を見開く。
 偶然だったけど、沢田綱吉が空振り三振したせいで負けたのに安堵している山本武の姿を見てしまった。
 やっぱりあれは、見間違いじゃないようだ。

「自分より劣っている他人と比較して見下すなんて低劣な人がすることだよ。スランプを理由に、他人の優しさに付け込まないで」

 責める言葉を言い切れば、山本武は視線を下げて拳を握り締める。

 これで少しは解ってくれるといいんだけど……。

「周りが見えなくなるって、すごく怖いことなんだよ。スランプなら無理しないで休んだ方がいいんだから、あまり思い詰めない方がいいよ」

 最後に声を優しいものに変えて忠告すれば、山本武は目を丸くして驚いた。
 私はそんな彼など気にせず、さっさと帰った。



◇  ◆  ◇  ◆



 帰宅後、向かった先は商店街の路地裏。
 入り組んだ道を進むこと数分で、秘密のお店――『時の箱庭』に到着。
 建付けの悪い旧いガラス戸の奥には、テーブルやショーケースに宝飾品が置かれている。

 ここは知る人ぞ知る、秘密の宝飾店だ。

「こんにちはー」

 ガラガラと音を立てて扉を開き、挨拶する。
 すると、紫煙しえんくゆらせて笑む男性が奥の畳座席にいた。

「来ると思っていたぞ、天音」

 白で彩られた青い着流しと薄墨色の打掛を羽織っている男性は、脇息きょうそくに肘をかけて、片足を立てて尊大な姿勢で座っていた。

 中年と思わしき彼は、実はイタリア人とのハーフ。
 若い頃は彫金師の道を歩み、隠居した今は秘密の宝飾店を営んでいる。
 ほとんど誰にも知られていないけど、少なくとも売れているのだとショーケースの中身でわかる。

 そんな彼が、私の祖父。

「おじいちゃん、今日は何する?」
「死ぬ気の炎の研究を推し進めたい。天音、リング出せ」

 ぞんざいな物言いはいつものことなので、気にすることなく首につけているものを外す。
 服の下から出したそれは、地球の礎を管理する者から受け取った、桜を閉じ込めた桜色の指輪。

 名は――因果のリング。

「はい」

 指輪を渡そうとするが、おじいちゃんは片手を上げて制する。

「天音が指につけろ。わしじゃ死ぬ気の……いや、因果の炎は灯せないからな」

 この世界には死ぬ気の炎という、生命エネルギーを凝縮させた力がある。
 しかし、因果の炎は世界の礎に属さない。なぜなら因果のリングは地球外から現れたからだ。

 因果のリングの原石は、隕石の中から発見されたもの。それ故にトゥリニセッテの一部に入らない。だが、因果のリングは7³と同等の力を持っている。本来なら厳重に保管すべきものなのだが、管理者では持て余してしまう。
 だから適応者である私が選ばれたのだ。

「それじゃあ上がってくれ」

 おじいちゃんに促されて、私は靴を脱いで店の奥へと向かった。
 建物の奥には地下に通じる階段があって、地下に行けば研究室に到着する。

「現時点で判ったことは、因果の炎は死ぬ気の炎と違い、覚悟ではなく思いの力≠ナ灯ることと、干渉した相手の死ぬ気の炎を操り、死ぬ気の炎を吸収して自分の力に還元できることだ。つまり、因果の炎の特性は『支配』」

 おじいちゃんの言う通り。
 因果の炎の特性は支配。接触した相手の死ぬ気の炎を操り、吸収して力を増幅させる。

 それを研究して結果を導き出したおじいちゃんは、やっぱりすごい。

「それと、武器のメンテナンスが終わったぞ」

 研究室の大きなテーブルにあるシルバーのアタッシェケースを取ると、私に渡す。
 この中には、おじいちゃんが作ってくれた二つの武器が入っている。
 一つ目は、普段は34センチの棒だけど、振るうことで身の丈まで伸びる棍。ステンレス製で、現在の身長に合わせて調節した結果、170センチ。
 二つ目は、通常より小振りだけど、死ぬ気の炎を凝縮して連射するマシンピストル。死ぬ気弾のような実弾は必要なくて、銃火器内に炎を圧縮する仕組みが組み込まれている。
 死ぬ気の炎を研究しているおじいちゃんだからこそ作れた代物だ。
 しかもこれは、因果の炎にも適応されている。

「ありがとう」
「ああ。……で、いつまでその格好なんだ」

 おじいちゃんに指摘されて、「あ」と声を漏らす。

「ごめんなさい。忘れてた」
「まったく、いつわりりの姿に慣れ過ぎだ。わしとしても悪い虫がつかんようにしてほしいが、家族の前では偽るな」

 文句を言われて苦笑する。

 確かにおじいちゃんの言う通り、家族に偽りの姿のままでいるのは失礼だ。
 それに、自分と同じ色彩を持つからか、孫の中で一番私をかわいがっている。証拠に、変装を解くと、おじいちゃんは満足そうな笑みを浮かべて深く頷いた。

「よし、研究の続きだ」

 そうして、おじいちゃんの研究に付き合うのだった。


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