抑えきれない感情

 投身自殺未遂が過ぎて昼休み。
 屋上のフェンスが壊れたせいで封鎖され、しょうがないから人気のない中庭の日陰で食べて、ゆっくり読書しようとした。
 けど、いつになく強い睡魔が襲いかかり、本を膝の上に落として壁に寄りかかって、意識を手放した。


 ――はずだった。


「――■■■■。大丈夫か?」

 目の前に、見覚えのない青年が私の顔を覗き込んでいた。

「うわあっ!?」

 驚いて仰け反ってしまったせいでバランスを崩す。
 けど、青年が慌てて私の背中を支えてくれた。

「おっと……そんなに驚くことないだろ?」
「ご、ごめんなさい」

 自然と申し訳ない顔で謝る。
 すると、青年は私の頭をぽんっと撫でた。

「元気がなさそうだが、どうした?」

 心配してくれる青年。
 元気がない時とか、いつも∴齡ヤに気づいてくれた。

 けど……。

「……ねえ、戦力って元に戻せない?」

 今は、気づいてほしくなかった。

「……■■■■も、■と同じことを言うのか」
「違う! 私はただ……攻守の分配を変えたいだけ。部下を減らすのは、守りを減らすのと同じだから……」

 どこか失望した彼の声音に強く返せば、彼は困った表情で私を見下ろしていた。
 彼の否定的な視線が悲しくて、苦しくて……

「……ごめんなさい」

 もう、何もかもを諦めてしまった。
 彼を説得したくてもできない。できたとしても、きっと良からぬことが起きる。
 戦力を元に戻す――増やすと、争いの火種が生じる可能性があるからだ。

「明日から■と■■■が支部の視察に行く。話しておきたいことがあれば今のうちに」
「私も行くから大丈夫」

 私は知っている。これからの行く末を。

「前に行った時、ちょっと気になることがあって。確認しておきたいの」

 私は■■■を護りたい。じゃないと■が善良な道を踏み外すから。
 彼を裏切ってしまうのは重々承知。でも、私はどうしても、この先の××≠変えたいから。
 親友の幸福と仲間の××≠守りたいから。

 だから……嘘を吐く私を、どうか許して。

「……わかった。ちゃんと帰って来いよ」
「……うん」

 最後に私の頭を軽く撫でた彼は廊下を歩いて行く。
 彼の姿が見えなくなった時、私は掠れた声で言葉を漏らした。

「――さようなら、■■■■」

 ――ごめんなさい、最愛の人。
 あなたを置いて逝く私を、どうか許して。

 込み上げる感情を抑えきれなくなって、静かに涙を流した。



「――さん。時和さん」

 誰かの声で意識が浮上する。
 深く眠っていたのか頭が痛い。それでも薄目を開けると、近くに人の顔があった。

「ひぇっ!? いっつぅー……!」

 反射的に変な声を上げて仰け反ると、壁に後頭部を打ち付けてしまった。

「だ、大丈夫?」
「う……うん」

 一瞬、夢の中に出てきた人の声とダブる。
 心が痛いと感じたけど、後頭部の痛みで気を紛らわせた。
 緩慢かんまんに顔を上げて声をかけた人を見れば……。

「……え? 何で……ここにいるの?」

 沢田綱吉と山本武がいた。

 どうして彼らが中庭にいるの?

「オレは保健室に用があったんだ。ツナは付き添い」

 山本武が近くにある部屋……保健室に指差して言った。
 そう言えばここは保健室に近い。場所選び、失敗したな。

「……そう」

 素っ気なく返し、膝の上にある本を鞄に入れて立ち上がる。
 さて、教室に戻ろうかな。

「時和」

 不意に山本武に呼び止められて、歩き出した足を止めて振り返る。
 すると、山本武が頭を下げていた。

「悪い! ツナを自分と比べて、優しさにつけ込んでた。時和の言うとおりにすりゃよかった……」
「何で?」

 自分の間違いを認めるのはいい。沢田綱吉を傷つけた自分の非に気づけたのだから。
 でも、私の言う通りにすればよかった=H

「私の言う通りに? 何で私の言うことを聞くの?」
「え、何でって……」

 顔を上げて、戸惑う山本武。
 その表情に、さっきまで鎮まっていた怒りが込み上げてきた。

「あなたは何もわかってない。人が死ぬことで周りがどうなるのか。あなたがした軽率な行動にも責任がないことにも」
「なっ、軽率って……!」
「あなたがしたことは、周りを悲しませる行為だよ」

 反論する彼の言葉をさえぎって、私は続ける。

「神様に見捨てられた? 自分が神様に愛されているとでも? ……そんな人間、いないんだよ。あなたは神頼みで野球の腕を上げたんじゃないのに、何で自分の努力を否定するの」

 私の言葉に、山本武は瞠目した。

「スランプの悩みだってそう。何でちゃんと関わってない沢田君に頼ったの?」
「それは……」
「確かにあなたの才能はすごいよ。他のみんながスランプなんて疑うほど図抜けてる。でも、普通は信頼できる人に相談するものだよ。あなたの家族なら、ちゃんと親身になって相談に乗ってくれるはずなのに。家族なら、無理しないでって言うはずなのに……」

 私の家族がそうだから、きっと山本武の家族だってそうだ。だって男手一つで、こんなに真っ直ぐに育てたのだから。

「それに、世の中には生きたくても生きられない人が大勢いる。死にたいけど、大切な人を悲しませたくなくて死ねない人もいる」

 私は、後者だった。私を大切に思ってくれた人の気持ちを踏みにじりたくなくて、そして死ぬことで最悪なことが起きることを恐れて。
 だから私はみっともなく生にしがみついた。

 でも……結局死んでしまった。

「なのにあなたは、ただ自分の弱さから逃げたくて死のうとした。何かを守りたいとか、そんな覚悟もなく。家族や友達を苦しめることも考えずに」


 ――『私』はあの人≠苦しませた。でもそれは、■■■を助けたかったから。

 ――『私』はみんな≠悲しませた。でもそれは、違う××≠望んだから。

 ――ただ、みんな≠ェ笑っていられる××≠作りたかったから。

 自己満足だって解っていた。それでも可能性にすがりたくて……。
 でも、本当は……――


「死にたくなかったのに……」

 ぽつりとこぼれた一言に、私は我に返る。

 ――私は今、何を思って言ったの?

「……そう思うことすら叶わないんだよ。悲しませた相手に償うこともできない。何もかもが、なくなる。それが死だ」

 なんとか誤魔化すように言葉を繋げたけど、自分でも良く解らない感情に支配されて、不可解なことを口走る。
 無意識に手を握り締める力が強くなる。
 爪を立てた手のひらが痛い。

「みんなといたかった。笑い合っていたかった。そんな未来すら、全部捨てようとして……」

 それ以上に、心が痛い。

「私は……そんなあなたが大嫌いだ」

 喉の奥が熱くて、痛い。それでも震える声で吐き出すと、熱くなった目から涙がこぼれ落ちた。
 にらんだ相手がショックを受けた顔になる。それがとても腹立たしくて、苛立たしくて。
 私は逃げるように階段へ走った。

「時和さん!」

 沢田綱吉の声が聞こえたけど、無視して階段を駆け上った。
 涙で視界がぼやける。それでも、あの場所から少しでも離れたくて……。

「ぅあっ……!?」

 屋上には行けないけど、階段を上り切った場所は誰も来ないはず。
 そこを目指していると、誰かと階段の踊り場でぶつかった。
 よろけて倒れそうになったけど、なんとか踏ん張って壁に手をついて防ぐ。

「ご、ごめんなさい!」

 人にぶつかるなんて最悪だ。ちゃんと前見ないと……。
 自分の失態に嫌気が差して頭を下げて、急いで階段を上ろうと踏み出した。

「君、屋上は封鎖されているよ」

 抑揚よくようの欠ける少年の声に足を止める。
 振り返ると、そこにいたのは見目麗しい少年。

 ぼやける視界の中でもはっきりわかる。
 彼は、雲雀恭弥だ。
 また彼と遭遇するなんて……ついてない。

「屋上の入口に行くだけです」

 それでも言葉を返して階段に向き直る。
 でも、一歩踏み出したところで腕を掴まれた。

「わっ!? なっ、何っ……!?」
「君、何で泣いてるの」

 雲雀恭弥の一言で、自分がまだ涙を流していることに気づく。
 慌てて手の甲で拭うけど、なかなか止まってくれない。

 何で? 自分のことじゃない、他人事なのに……何で私がこんなに泣いてるの?

 奥歯を噛み締め、震える吐息を漏らしてしまう喉に手を当てて押し殺す。

「来なよ」

 黙り込んでいると雲雀恭弥に引っ張られる。
 すべもなくついて行くと、誰も訪れたがらない応接室に入った。
 どうしてここに……と思っていると、ソファーに無理矢理座らされた。

「なっ……んで……」
「そろそろ掃除時間だ。あのままだと邪魔だから」

 雲雀恭弥は簡潔に答えたけど、それだけだろうか。
 よくわからないけど、でも、隠れて泣く場所を提供してくれたのは確かだ。

「……ありがとう」

 お礼を言うと、彼は不可解な顔を向けた。

「どうしてお礼を言うんだい」
「だって……私がここにいたら、仕事の邪魔に、なるでしょう……? なのに……かくまってくれた……」

 震える声で言えば、彼は目をみはる。
 人間らしい表情に、何だか笑みがこぼれた。

「だから……ありがとう」

 もう一度感謝の気持ちを伝える。
 すると、雲雀恭弥はそっぽを向いた。

「……泣くか笑うか、どっちかにすれば」

 素っ気なく言って、雲雀恭弥は厳かな席に着いて書類仕事を始めた。

 適度に離れた距離が、なんだか落ち着く。心が安定してきて、ハンカチで顔を拭いた私は、膝に乗せた鞄に顔を埋めて目を閉じる。
 次第に精神的な疲れが押し寄せて……意識が闇に沈んだ。


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