寵愛を失った世界


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「いや――いや、いや、助けて、誰か助けて! わた、わたし、こんなところで死にたくない!」

 レフ・ライノールが聖杯で歪めた時空の先には、赤く染まったカルデアス。
 徐々に引き寄せられる体に、オルガマリーは恐怖に引き攣る。

「だってまだ褒められてない……! 誰も、わたしを認めてくれていないじゃない……! どうして!? どうしてこんなコトばっかりなの!? 誰もわたしを評価してくれなかった! みんなわたしを嫌っていた!」

 周囲の圧力に耐えきろうと気丈に振る舞っていた。カルデアスから青い光が消えて、多くの責任と重圧で発狂することもあった。
 そんな彼女を理解する人間は少なかった。


「だってまだ何もしていない! 生まれてからずっと、ただの一度も、誰にも認めてもらえなかったのに――!」


 でも、私は、私達≠ヘ――少なくとも、あなたを認めているんだよ。


【――『時空断絶』!】

 刹那、カルデアスの映像が歪む。
 干渉魔術を行使しながら、このまま消えてくれと願う。
 だが――

「まったく……余計な無駄をするんじゃない」

 カルデアスと繋げる時空が消えるはずだった。
 なのに、歪んだ景色が元に戻った。

「なっ……! なんで……レフ・ライノール!」

 阻止したと思われるレフに目を向ける。ニタリと笑った彼の手には高密度の結晶体――聖杯があった。

 そうだ、どうして忘れていた。阻止するのなら、まずレフの持つ聖杯をどうにかしないといけなかったのに……!

【オルガマリー」「を」「引き寄せて!】

 宙に浮かんだオルガマリーを助けようと統一言語を行使するが、引き止められない。

 たまらず走り出そうと足に力を込める。

「詩那さん! 駄目です!」

 しかし、マシュに腕を掴まれて引き止められてしまった。

「オルガマリー!!」

 腕を伸ばしても意味がないと分かっている。それでも――手を伸ばしたオルガマリーの気持ちを踏みにじりたくなくて。

「詩那……! たすけっ……いやあぁあああ」

 でも、それは無駄な努力だと、無意味だと突きつけるように、オルガマリーはカルデアスの中へ消えてしまった。

「……ごめん。ごめんなさい、オルガマリー」

 オルガマリーを――大切な友達を救えなかった。
 私の最初の目的は、オルガマリーの魂を助けることだったのに。
 足掻いても叶わない現実を突きつけられて、虚脱感から座り込みそうになった。

「詩那さん……」

 頬を伝う涙が、外気に触れて冷たくなる。
 心配かけたくなくて苦笑してみせると、マシュは痛ましそうに顔を歪めた。

「本当に無意味だったな、詩那」

 レフ・ライノールの嘲笑が聞こえた。
 藤丸君は怒り顔で一歩を踏み出すが、マシュが手を掴んで止める。

「だめです、いけません先輩……! あの男に近づけば、先輩も殺されてしまいます!」
「ほう。さすがはデミ・サーヴァント。私が根本的に違う生き物だと感じ取っているな」

 感心の言葉を贈ったレフは、緑色のシルクハットの鍔に手を添えた。

「改めて自己紹介をしようか。私はレフ・ライノール・フラウロス。貴様たち人類を処理するために使わされた、2015年担当者だ」

 誰もが信頼していた男の裏切り。
 誰もが怒りと恐怖を滲ませて、男――レフ・ライノール・フラウロスを見つめる。

「聞いているな、ドクター・ロマニ? 共に魔道を研究した学友として、最後の忠告をしてやろう」

 あざけるように優しく話しかけた彼は、見るからに吐き気をもよおす邪悪な笑みを浮かべた。

「カルデアは用済みになった。おまえたち人類は、この時点で滅んでいる」
『……レフ教授。いや、レフ・ライノール。それはどういう意味ですか。2017年が見えない事に関係があると?』
「関係ではない。もう終わってしまったという事実だ。未来が観測できなくなり、おまえたちは未来が消失した≠ネどとほざいたな。まさに希望的観測だ。未来は消失したのではない。焼却されたのだ。カルデアスが深紅に染まった時点でな」

 あの爆発の時点で、既に未来の行く末は決まってしまった。
 だけど、私は知っている。足掻く者がいる限り、それは不確定性な未来だと。

「結末は決定した。貴様たちの時代はもう存在しない。カルデアスの磁場でカルデアは守られているだろうが、外はこの冬木と同じ末路を迎えているだろう」
『……そうでしたか。外部との連絡がとれないのは通信の故障ではなく、そもそも受け取る相手が消え去っていたのですね』

 通信機から聞こえるロマニの言葉に、藤丸君とマシュは息を呑む。
 対するレフは、面白みのないロマニの態度に不愉快そうな顔をした。

「ふん、やはり貴様はさかしいな。真っ先に殺しておけなかったのは悔やまれるよ」

 元学友とは思えない残酷な言葉だが、モニター画面に映るロマニの表情は緊迫感のあるものだが、冷静さを保っているように見えた。

「だがそれも空しい抵抗だ。カルデア内の時間が2016年を過ぎれば、そこもこの宇宙から消滅する。もはや誰にもこの結末は変えられない。なぜならこれは人類史による人類の否定だからだ。おまえたちは進化の行き止まりで衰退するのでも、異種族との交戦の末に滅びるのではない。
 自らの無意味さに!
 自らの無能さ故に!
 我らが王の寵愛を失ったが故に!
 何の価値もない紙クズのように、跡形もなく燃え尽きるのさ!」

 レフは声高らかに、自分が選ばれた人間だとのたまった。
王の寵愛≠得ている――と、言外に込めて。

 その時だった。地鳴りが聞こえたかと思えば、空洞内が揺れ出し、壁が軋み始めた。

「なっ、なんだ!?」
「聖杯が無くなったからだと思う! 聖杯で維持していたから、この特異点ももうすぐ崩壊するかも!」

 困惑する藤丸君に説明していると、レフがきびすを返した。

「では、さらばだロマニ。そしてマシュ、詩那、48番目の適性者。こう見えても私には次の仕事があるのでね。君たちの末路を愉しむのはここまでにしておこう。このまま時空のひずみに呑み込まれるがいい。私も鬼じゃあない。最後の祈りぐらいは許容しよう」

 余裕綽々よゆうしゃくしゃくに言い捨てると、レフは特異点から去っていった。
 その余裕が失敗をまねいたってこと、忘れたのかな。
 なんて思っていると、マシュが「地下空洞が崩れます……!」と告げる。

「ドクター! 至急レイシフトを実行してください! このままではわたしはともかく、詩那さんと先輩まで……!」
『わかってる。もう実行しているとも! でもゴメン、そっちの崩壊の方が早いかもだ!』

 焦りをつのらせる二人の声に、小さく嘆息した。

【五分」「だけ」「崩壊」「を」「止める】

 統一言語で世界に話しかけ、世界に催眠術をかける。
 次の瞬間、地鳴りがんだ。

「と、止まった……?」
「五分だけ時間を稼ぐから、その間に急いで」
『わ、わかった! とにかく意識だけは強くもってくれ! 意味消失さえしなければ、サルベージは――』

 ロマニの声が遠くに聞こえる。
 足元がぐらぐらする。

 もう少し……もう少し持て。じゃないと、私――

「神崎さん!」
「詩那さん!」

 倒れかける私の身体を、温かいものが支えてくれた。
 その温もりで意識を戻した直後――レイシフトが開始された。


 
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