朝早く、白い少女は冷蔵庫を漁っていた。
強盗の類ではなく、この部屋の住人の立派な同居人である。
白い少女―――××は、深い溜め息を吐いた。
何もない、否、殆ど物が入っていない冷蔵庫から視線を落として脚立代わりに使っていた木製の椅子を退かし、冷蔵庫の扉を閉めた。
ててて、と臨也が未だ眠る寝室へと駆ける。
「おりはらさん、おきてください。あさですよ」
身体の上に乗っかり、ゆさゆさと揺さぶりをかける。
暫くして、んんーと声を漏らした臨也に安堵する。
「おりはらさん、おはようございます」
「××ちゃん…」
ぐいっと腰を引き寄せられて自然と抱きつく体勢になる。
「ねぼけているのですか?セクハラです」
「セクハラって……過剰なスキンシップと言ってほしいね」
髪を混ぜられ頬に手を添えられ、目を細める。顎を持たれ、前のめりになった。
ちゅっ
唇と唇とが触れあい、軽いリップ音。
呆然としている××に、臨也は、
「おはよう」
優しく微笑んだ。
これも過剰なスキンシップのひとつだろうか。
悶々と考え込む××に臨也は声をかける。
「朝ご飯作ってくれるんだって?」
「あっ!はい!すこしまってくださいね」
「珈琲煎れてくれる?」
「わかりましたー」
居間に戻り、鼻歌を歌いながらお湯を沸かし始める。
その様子に臨也は新聞片手に問う。
「ご機嫌だね。何かあった?」
「ゆめみがよかったので」
「それはそれは」
「おりはらさんがへいわじまさんにたおされるゆめでした」
「何その悪夢」
ぶっきらぼうに答える臨也に××はクスクスと笑う。
「何?」
「いえ、ただ…ほんとうににがてなんだなぁって」
「苦手っていうか嫌いだね」
フライパンに油を垂らして熱がある程度上がるまで待ち、卵をくぐらせたパンを焼いていく。
隣のコンロでは薬缶がピーピーと音を立てながら激しく湯気を噴き出していた。
それを止めてサーバーにセットしたフィルターに注ぐと珈琲の完成。
それを持って臨也の元へと歩み寄る。
「おりはらさん、こーひーいれました」
「ありがとう」
ソーサーを机に置いて乗せてきたお盆をさげる。××はお茶でいいや、とキッチンに引っ込んで茶葉を探す。
「おりはらさん、おちゃのちゃばがみあたりません」
「その辺にない?」
「いちねんまえにしょうみきげんのきれたものならはっくつしましたが」
「ふうん…」
話を聞いていないのか、聞いていても筒抜けのようで、返事も適当。
仕方なしに自分も珈琲を煎れようとフィルターを取り替える。
「おりはらさん、かいものにいきましょう」
「なんで?」
「しょくたくのききです。こんばんのごはんはなべにしようとおもうのですが」
「えー、寿司でいいじゃん。露西亜寿司の大トロが良いなぁ」
「おりはらさんはおおトロばかりたべるんですもの。えいようがかたよります。カッパもたべてくれるならかんがえてもいいですよ」
「やだ」
ぴしゃりと拒否され、やっぱりね…と思いながら皿にトーストを盛りつける。
バンで狩沢達と知り合った日の晩、唐突に"寿司が食べたい"と言い出した臨也は、××を引き連れて露西亜寿司に行き、たらふく大トロを食べたばかり。
その様子に××は、この人の栄養管理は私がしっかりしないと…と決意したのである。
「じゃあ、晩ご飯は事務所で食べよう。今日は遅くまで波江さんも居るしね」
「なみえさん?」
「俺の秘書だよ」
正直、××は臨也が何の仕事をしているのか知らないのだ。
秘書ということは社長だろうか。
それならばこの広いマンションのことも頷ける。
「びじんさん?」
「世間的にいうとそうだね。何、気になるの?」
「すこし…」
つくん、と胸が痛む。
傍に居るのは自分だけだと思っていた。
これは多大な自惚れであろうか。
フレンチトーストを渡して××は自分のご飯も机に運ぶ。
「洋食と和食なんて正反対だね。それに和食に珈琲って」
「パンがひときれとたまごがひとつしかなかったんです。わたしはひじょうしょくのごはんをひっぱりだしてきました」
「じゃあお米と食品を買いに行こうか。××ちゃんの服も買いに行かなきゃいけないしね」
「ふくはあかばやしさんにかってもらったものがありますよ?」
「予備だよ、予備」
××は手を合わせて、いただきます、と呟いた。
臨也は珈琲片手にトーストを噛じる。
「××ちゃんの洋服は洗濯機じゃ回せないね。頼まないと」
「わざわざすみません…」
朝食を終えた××達は渋谷の109に来ていた。
××の好きなブランドがLIZLISAなので本店に来ることになった。
洋服から財布、小物類まで様々な商品に××はどれにしようかと迷っている。
「これなんかどう?」
フリルが程好く施されたワンピースを持ってきた臨也に目を輝かせる。
「おりはらさん、にあいそうですね」
「そんな趣味ないよ」
「なにいってるんですか、かんらさん」
「きゃっ☆琥珀さん、私に似合いますぅ?……って何させるのさ」
「あははっ」
カゴにポイポイと洋服を入れていく臨也に制止を掛ける。
「いれすぎです」
「だって似合うんだもん」
「だって、ではなく…」
2着減らして、3着をレジに持っていく。
「ポイントカードはお持ちですか?」
「はい」
す、と差し出したのは紛れもない××の物だ。
いつの間に、と内心思う。
「ありがとうございましたー。またお越しくださいませー」
袋を手渡され、店を出る。
「次は食品だね」
「スーパーいきましょう。きょうはおこめがやすいんです」
「運び屋を呼ぼう」
池袋に戻りスーパーで米や野菜、肉などを買った2人は両手が荷物でいっぱいだった。
タクシーを呼んでも良いのだが、臨也が"知らないおじさんに家を知られるの嫌だしー"と言い出したのである。
女子高生みたいだ、と××は考える。
「すぐに来るってさ」
携帯を折り畳み、公園のベンチに座る。
「何か飲み物いる?」
「りんごジュースでおねがいします」
荷物をベンチに置いて自販機に飲み物を買いに行く。
そういえば静雄さんと会ったのも、この西池袋公園だったなぁ、と思い耽る。
ひやり、と頬に何かがあたりビクッと肩を揺らす。
「ん」
「ありがとうございます」
プシュッ、とプルタブを開けてジュースをごくごくと飲む。
臨也はお茶のようだ。
「何考えてたの?」
「おりはらさんがふきげんになること」
「シズちゃんのことだ」
「あたりです」
「そんなこと考えてないで俺のこと考えてよ」
「おりはらさんのことはいつもかんがえてますよ。たいちょうかんりのこととか」
「ちょっと意味合いが違うけど、まあいいか」
今日の折原さんは何か変だ。
渡すだの渡さないだの、私は逃げやしないというのに。
ああ、変なのは元からか。
ふと馬の嘶きが聞こえ顔を上げると、いつ振りか、セルティの姿があった。
『悪い、遅くなった……って何で××が此処に居る!?粟楠会の連中はどうした!?』
慌てるセルティも可愛らしいなぁ。
あれ?前もこんな会話しなかったっけ?
「何から話したものか……っ、××ちゃん!屈め!」
「え…」
言われるままに屈むと、その位置にあった辺りに道路標識が飛んで来た。
この力を私は知っている。
「ちっ、シズちゃんの馬鹿力」
「何で手前が××やセルティと一緒に居るのかなぁ、臨也君よぉおおお!!」
「危ないなぁ。いたいけな少女に当てる気?これだから単細胞は…」
「手前が避けなければ全て解決したのによぉ!あ゛あ?何でこいつらと居るのかって聞いてんだ!答えやがれ!!」
「俺に勝ったら教えてあげるよ」
臨也は××に近寄り、紙切れを握らせる。
「その場所へ運び屋に連れてってもらいな。波江には話してあるから」
「え、はい…」
「こっちの話を聞きやがれ!臨也ああああ!!」
ミシ、メキッ…
先程まで使用していた自販機が悲鳴をあげている。臨也は"後で追い付くから"とバタフライナイフを取り出して構える。
『行こう。此処に居ては格好の的だ』
シューターに跨がり、ヘルメットを被ってセルティの細腰にしっかりと掴まる。
こうして××は荷物と共に、非日常である戦場から抜け出したのだった。
都心のマンションに降り立った××はセルティと別れ、機械に暗証番号を入力してエレベーターを上がる。
「おも…い…」
10Kgの米をそろそろと運びながら、扉の前に立ってインターホンを鳴らす。
程なくして女性が姿を現した。
わ、美人さんだ。
息吐く暇もなく米は軽々と女性の腕の中へ。
「あなたがなみえさんですか?」
「そういう貴女は××ね。話はアイツから聞いてるわ。災難ね、アイツに"かわれる"なんて」
「えへへ、せいかつはわるくないですよ」
「人間性の話よ。鍋の用意はしてあるわ。荷物を運びましょう」
2人で玄関を行き来しながら荷物を運ぶ。
やっぱり頼りになるなぁ。
お姉さんって感じ。
「なみえさん、おとうとかいもうといますか?」
「ええ、可愛い弟が1人」
「なるほど」
「誠二って言うの。写真見る?」
携帯を取り出して待ち受けをこちらに向ける。
そこには利発そうな男性が映っていた。
私にも兄弟が居たら人生変わってたのかなぁ。
否、こんな女の兄弟なんて嫌か。
「鍋に野菜入れちゃいましょう。手伝ってくれるかしら?」
「はい。でもおりはらさんがまだ…」
「いいのよ、またすぐにひょっこり帰ってくるわ」
キッチンに向かう波江に続いて歩いていく。
暫くしてインターホンが鳴り、そこにはケロリとした顔の臨也が突っ立っていた。少々息が荒いのは走ってきた所為だろう。
波江さんの予想では電車で帰って来た筈なのだけれど。
「肉まだ入れてないよねぇ?」
「態々待っていたのよ。制止を掛けた××に感謝なさい」
「ありがと、××ちゃん」
ちゅ、と再び唇に感触。
「幼児誘拐で訴えるわよ」
「やだなぁ。挨拶だよ挨拶」
「立派なロリコンよ」
たまにはこんな晩ご飯も良いかな、と考える××であった。
old | ◎ | new