悲劇は突然に訪れる

―カコンッ

斧を振り下ろすと薪が割れる音がしんしんと積もる雪に吸われて小さく木霊する。
体を動かしているからなのか今日は朝から雪が降り続けていて気温も低い筈なのになんだか体がポカポカするなぁ。ふと西の山を見ると日が落ち始めて空も山も茜色に染まっていた。大分日が傾いてきたなぁ、でも今晩は冷え込むだろうからもう少し薪を割っておこう。
そう思い斧を持ち直し再び振り上げた時―…、

「皐月」
「!哉雅さん…?」
「今日は一段と冷える。それに日も落ちてきているから中に入りなさい」
「はい、分かりました」

声がした方を見ると少し開かれた襖の隙間から哉雅さんが顔を覗かせていて、私の返事を聞いた哉雅さんは小さく笑みを見せると、静かに襖を閉じ部屋の中へと戻っていった。

哉雅さんに拾ってもらってから約二年の月日をこの白雪家で過ごした。
二年の歳月が経っても尚、私の記憶は何一つ戻る気配もなくその間ずっと白雪夫婦のお世話になっている。

この二年で変わったことは二つ。

一つは私の姓が白雪になったこと。
ここで生活をして半年も経てば私も慣れてくるもので、また哉雅さんは村唯一のお医者様なので毎日誰かしらがこの屋敷を訪れる。その度に顔を合わせていればお互いに顔見知りになるのは当然で村で会えば「あら白雪先生の所の皐月ちゃん」と呼ばれるくらいには馴染んできていた。元々、白雪夫妻は子供に恵まれず跡継ぎがいないことは村の人達に周知されていたこともあって、子供が居ない筈の家に半年間も寝泊まりする子供がいれば白雪夫妻の養子と思われても可笑しい話でもない。

そんな噂話が村中に広まった頃、白雪夫妻から正式に養子縁組を結ばないかと言われた。始めは言われた言葉の意味を理解出来なくて上手く答えられなかったけど、改めて考えると二人が私と家族になってくれようとしたことが本当に嬉しかった。

でも、記憶のない私が優しい二人の家族になんてなっていいの?そう不安になって何も答えられずに俯く私に乙羽さんは「私達は皐月ちゃんに家族になって欲しいと思っているけれど、皐月ちゃんが気にするのなら記憶が戻った時にはこの縁組を解消するかお話しましょう」と言ってくれてその時は思わず涙が溢れた。
そして私は白雪夫婦の養子となり、白雪皐月の名前を得た。

二つ目は、哉雅さんが病気で床に臥せることが増えたこと。

私と出会った時にはすでに病気を患っていたらしいのだけど、ここ一年で急激に病状が悪化して今では薬を飲んでも起き上がることさえとても辛そうだった。だから畑仕事や薪割りなど、これまで哉雅さんがこなしていた家の仕事を私は進んでやり始めた。薬の調合は哉雅さんの指示をもらいながらじゃないとまだ不安だけど…

力仕事が主だから最初は私が無理していないかと心配させちゃったけど、二人の役に立てると思うとむしろやる気が出てきて何でも出来ちゃう気がする。

「…戻りました、乙羽さん」
「あらあら、寒い中今日もありがとうねぇ。皐月ちゃん」
「へへ、これくらい全然平気ですよ」
「ふふふ、頼もしいわぁ」

土間に入ると、台所で夕飯の支度をしていた乙羽さんが濡れた手を割烹着で拭くと、私に積もった雪を払い落としてくれた。

「風邪を引いたら大変だから先にお風呂に入ってらっしゃいな」
「でも、お夕飯の準備が……」
「あと少しで終わるから私一人でも大丈夫よ」

乙羽さん越しに台所をちらりと覗いてみると、乙羽さんが言うようにほとんどの料理がすでに出来上がっているようだった。払い落としたとはいえ既に私の全身は雪で濡れている。こんな状態で台所に立ったら、かえって乙羽さんの邪魔になっちゃう。

「……じゃあ、先にお風呂に入ってきます」
「ええ、しっかりと温まってくるのよ」

後ろ髪引かれる気持ちを押し込めて、私はお風呂場へと足を向けた。






▲ ▲ ▲







お風呂から出た私は体についた雫を拭きとって肌襦袢の上に就寝用の長襦袢に袖を通す。はじめ湯舟に手足を浸からせた時は、自分が思っているよりも体が冷えていたようで少しびりびりと痛みがあった。改めて考えると手先が冷えて感覚がなかった状態で台所の手伝いに立たなくてよかったと思う。じゃなきゃ今頃は乙羽さんに迷惑かけてたかも…

長襦袢の前を合わせ腰帯を締めた時だった。ドガァンッ、と屋敷の方から戸を突き破るような轟音が聞こえてきたから、私は急いで音のした哉雅さんの部屋へ向かった。いつもは一言、声を掛けてから開いている哉雅さんの部屋の襖をこの時は焦りで勢いに任せて開く。


「哉雅さん!だいじょ…う…ぶ……っ!?」





「なんだ?まだ人間がいたのか」






部屋の中は頭から血を流して倒れている乙羽さんと乙羽さんを背に見たこともない険しい表情で刀を構えている哉雅さん、そして哉雅さんと対峙するように立っている人影には、鋭い爪とギザギザに尖った牙、生きてる人間とは思えない程に青白い肌をしていて、その額からは角が生えていた。


鬼だ。


なんでか一瞬見ただけでそう確信した。
人間とは違う角や牙なんかの容姿はもちろんだけど、彼が纏う得も言えない雰囲気がそう思わせる。経験したことのない彼の威圧感に私の思考はぐちゃぐちゃで体は凍り付いたみたいに動いてはくれなくて息が上がる。


どうしよう?、まず乙羽さんを助けなきゃっ、この鬼から離れた所に逃げないとっ…!…でも、その間、哉雅さんはどうするの?、ここに一人置いては行けない………どうしようっ!?


「皐月っ!!!」
「っ!?」

哉雅さんの私を呼ぶ声がごちゃごちゃだった思考を一気に吹き飛ばし、混乱して乱れていた呼吸が正常にもどる。

「私達のことはいいから逃げなさいっ!!!」
「…………え?」

しかし、次に続いた哉雅さんの言葉に私の頭はまた機能を停止するように鈍くなった。

「ハッ!老いぼれがオレの足止めになると思ってるのか?」
「敵わぬと分かっていても、易々と可愛い我が子を喰わせてなるものかっ!」
「っ!!」

鬼の嘲笑に哉雅さんは聞いたこともないような厳格な声で言葉を返す。その言葉の中で哉雅さんは私をはっきりと”我が子”と言った。血の繋がりもなく、自分で自分のことすら何も知らないこんな私を”可愛い我が子”なんだとー…

嬉しかった。だから私の大切な家族である哉雅さんを失いたくないとも思った。

「クックッ!バカな家族愛だな」

「皐月!早く逃げなさいっ!!」
「〜〜っ嫌だ!二人を置いてなんて、行けないよっ!!」
「っ!?私達はいいからっお前だけでも生きなさい!!!」

これまで哉雅さん達の言うことに反対したことがなかった私は、初めて哉雅さんに反抗の意を示した。言い返した私に哉雅さんは驚いたみたいだったけど、それも一瞬のことですぐに刀を構えなおして再び私に逃げるよう叫ぶ。
そんな私達のやり取りを鬼が大人しく待つ訳がなく、驚いて私に意識が向いた一瞬の隙を狙って鬼が哉雅さんに襲い掛かった。

「っ哉雅さん!!!!」
「ぐ、、ぁっ!!」

「ゴチャゴチャうるせぇな。ジジィも女も逃がしゃしねーよ」

鬼の攻撃の威力で吹き飛ばされた哉雅さんに思わず駆け寄る。その体を見ると攻撃をもろに受けたようで、哉雅さんの首からは血が止めどなく流れ体を支える私の腕を伝い着物と畳に朱い染みを広げていく。
止血っ!止血しないとっ!!

朱が流れる哉雅さんの首に手を当て呼吸器を塞がない程度の力で圧迫する。
お願いっ!死なないでっ!二人を連れて行かないでっ!!
でも私の願いとは反対に血が止まることはなく、哉雅さんの意識も段々と薄れているようだった。ゆっくりと力なく哉雅さんの左腕が私の頬に触れた。


「…………さ、つき……、生き…な、…さい、………」
「っちかまさ、さん……」


蚊の鳴くような掠れた声で私に”生きろ”と言って、哉雅さんの鼓動は静かに消えていった。


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