不器用なひと
世界を白く染めていた雪が溶け、熟れて鮮やかな桃色たちが桑島さんのお屋敷の庭を彩っている。
庭と言うより、もはや果樹園だ。
桑島さんに助けてもらった雪の日から、およそ半年くらいが経とうとしていた。
変わったのは景色だけでなく、私の体もここに来た当初に比べてうんと良くなって、幸いなことに身体機能に関する後遺症もない。唯一、あの人から受けた爪の傷が跡に残ってしまって桑島さんに苦い顔をさせてしまったけれど、正直、私はあまり気にしていなかったりする。
着物で隠れて見えない所だし…。
また、半年も一緒に生活をしていれば自然と桑島さんについて多少知ることができた。
体が回復して少し動き回れるようになった頃に、今程までに家事などをやらせて貰えなかったから時間を持て余していた私は暇つぶしに読み物を借りさせてもらうことにした。
書庫で読み物を物色していた時、白雪家で見ていた手記に似た題名の書物を見つけた。
それは歴代の『鳴柱の手記』だった。
それを見て、どうして桑島さんが白雪夫妻を殺したのが私ではないと分かったのか理解した。
桑島さんは鬼を知っていたんだ。
だから、哉雅さんの部屋に残る爪痕や取り残された着物などで私が犯人じゃないと分かったんだと思う。
ある時、桑島さんが私と同じ年代くらいの男の子を連れて帰ってきた。
その時、これまで自分のことをあまり話さない桑島さんが、初めて自分から私に桑島さんのことを教えてくれた。
桑島さんは若い頃、鬼狩りであったこと。
鬼狩りの剣士を集めた政府非公式の組織"鬼殺隊"に所属していて、その組織で最も強い剣士に与えられる柱の称号を得た元"鳴柱"でもあったこと。
任務で負傷したことから現役を引退し、今では鬼殺の剣士を育てる育手をしていること。
その日からこの屋敷には私と桑島さんの二人だけでなく、桑島さんのお弟子さんも一緒に生活をすることになった。
私のやる事は特別変わることはなく、食事を作って、洗濯をして、お屋敷の掃除をする。桃の木の手入れをしては、合間に読書をする日常。ただ用意する食事や洗濯する着物が少し増えただけ。なんてことはなかった。
だけど、そんな生活は長く続かずお弟子さんは桑島さんの修行に耐えられず屋敷を去っていった。
何人も。何度も。
その度に、桑島さんは少しだけ悲しそうな顔をするのを見て私も切なくなった。
いつか、桑島さんの期待に応えてくれる人が現れますようにー…。
▲▲▲
その人の第一印象はまるで狼みたいだと思った。
鋭い目付きにつり上げられた眉の間にはくっきりと皺が寄っていて、いつも彼は機嫌が悪そうな表情をしている。
獪岳。と名乗る彼は三週間前に桑島さんが連れて来た新しいお弟子さんだ。
いつも険しい顔をしているから始めは怖い人なのかと思っていたんだけれど、いつの日か私がたらいに山積みとなった洗濯物を持って休憩していた獪岳さんの前を通りかかった時に…
「おい」
「ほぇ?」
「貸せ、運んでやる」
「わっ。あ、ありがとうございます」
隣に来た獪岳さんはぶっきらぼうな言い方だったけど、私から洗濯物が山積みのたらいを優しく奪い取り水場まで運んでくれた。
それ以降、獪岳さんは稽古の合間に洗濯物を持ってくれる様になった。
洗濯の他にも食事の支度を一緒にやってくれたり、お風呂は準備から最後の掃除までしてくれるので獪岳さんは見た目に寄らず優しい人だ。
ある日、果樹園のお手入れで外に出た時にお稽古の様子をちらりと覗いたら、桑島さんの厳しい指導にぐったりとするお弟子さん達の中、獪岳さんだけが熱心に修行に取り組んでいる姿を見た。
ひたむきに努力する獪岳さんは純粋にすごいなって思う。
どんなに汗をかいて息が乱れても桑島さんの指導について行く彼の様子に、これまでのお弟子さんには見えなかった強い信念があるように感じられた。
それからも偶にお稽古の様子を覗くと、変わらず獪岳さんは誰よりも一生懸命に稽古に励んでいる姿を見た。
刀術なんてこれっぽっちも分からない素人な私から見ても獪岳さんは他のお弟子さん達より上達が早いように思える。現に桑島さんに「いいぞ獪岳。その調子だ」なんて褒められているのを聞いたので私がそう感じたのも間違ってなかったみたい。
ある日、食事を支度するのに釜戸に焚べる薪を取りに屋敷の裏へ行ったら話し声が聞こえたので、会話の邪魔をしてはいけないと思い歩みを止める。
「…ぇ、……に………られた…ぃで……に……なよ」
「…に……ねぇよ。…んな…なこと………あっ……しはた……たら……んだ?あ……しさん…」
僅かに聞こえてくる声は、獪岳さんと獪岳さんより前に桑島さんのお弟子さんとなった隣町の商家の息子さんのようだった。
「─この野郎っ!!」
途切れ途切れで何を話しているのか分からなかったが、少しして急に商家の出のお弟子さんの大きな声がした。
突然の事に驚いてびくり、と肩が跳ねる。
「調子に乗るな!お前なんてっ、卑しい親無子のくせにっ!!」
なおも続く罵声は私に向けられたものではないのに、心臓が大きく嫌な音で鳴り響いた。
獪岳さんの事情は簡単に桑島さんから教えてもらっていた。
鬼に襲われ追いかけられていたところを桑島さんが助けて、桑島さんの鬼退治の刀術を見た獪岳さんが弟子入りを申し込んできたそうで、弟子入りの前に桑島さんはご家族の方に説明をしてからと言ったら獪岳さんには身寄りがなかったそうなのだ。
その話を聞いて私は、勝手に獪岳さんへ少し親近感を抱いていたのかもしれない。
記憶がないから本当の両親についても知らず、本当の娘のように愛おしく私の名前を呼んでくれてた白雪夫妻はもう居ない。
身寄りがないのは私も同じ。
でも、あの日、あの雪山の小屋で助けられて、このお屋敷で桑島さんとそのお弟子さん達と生活して、…両親と白雪夫妻がいなくて悲しく思うことはあったけれど、幸いなことに私は一人じゃなかった。
獪岳さんだって、もう一人なんかじゃない。
「親がいねぇからなんだよ。親がいようがいなかろーが、お前より俺様の方が腕がいいことに変わりねぇだろうが」
「っ!〜〜新入りが偉そうにっ!!」
ガンッ
固い物が激しくぶつかった音を聞いて思わず影から飛び出す。
その先には、商家の彼に殴られる獪岳さんが見えた。彼が再び腕を振り上げたのを見た瞬間、考えるよりも先に足が動いていた。
「っやめて!!」
「っ!?」
「お前っ!?」
獪岳さんを庇うように商家の彼の正面に腕を広げ立つ。
突然現れた私に二人はすごく驚いた様子で、彼も腕を振り上げたままの姿勢で固まり目を見開いて私を見ている。
「なにがあったか分からないけど、暴力はよくないよ!」
「皐月さん!こんな奴を庇うのか?君がそんな事をする価値が此奴にはない!」
「そんなことない!たしかに口は悪いけど、獪岳さんは優しい人だよ!」
「〜〜っ!男の事情に女が入ってくるな!!」
「やめんかっ!!」
反論した私に苛立った彼はあろうことか、振り上げた腕を私に向けてきた。訪れるであろう痛みに耐えるべくぎゅっと目を瞑ったすぐ直後に、後ろに居た獪岳さんが私を庇うように抱きすくめてくれる。
それと同時に空気を震わせるほどの厳格な声が響いた。
いつの間にか桑島さんがそこに居て、厳しい目つきで商家の出のお弟子さんを見つめている。
殴られなかったことと、桑島さんが来てくれた安心感で強張っていた体の力が抜けていく。
その様子が分かったのか獪岳さんは私の肩を支えたまま傍にいてくれていた。ほら、獪岳さんは優しい人だよ。
「っ先生!これは彼奴がっ…!」
「どんな訳があろうと力で相手をねじ伏せようなどと愚か者!ましてや女子にまで手を上げようとは…」
「〜〜っ!!」
「弱き者へ力を振りかざす者に教えることなどない。お主を破門とする」
「!?〜〜っあんたみたいな老いぼれ爺なんか、俺の指導者に相応しくない!言われなくても出てってやるさ!」
商家の彼は罵詈雑言を吐き捨て、去っていった。
嗚呼、また桑島さんのお弟子さんが一人居なくなってしまった…
離れていく背中を、悲しみを抑えきれない目で私は見送った。