猫と室町

過ごしやすい気温となったのどかな春の風に乗って桜の花びらが舞っていた。

「温かくなったなぁ」

春一番の風を受けて思わず小さくそう呟く。
手に持つ学校帰りに寄ったスーパーの買い物袋も一緒に揺れガサガサと音をたてる。今日の夕飯はハンバーグだ。

夕飯の支度をするためにも桜の花びらが舞ってくる目の前の真っ赤な鳥居を潜る。

少し私の家の話をさせてもらうと、実家は室町時代から続く小さな神社だ。
”時”を司る神様を祀る神社であると神主の父や亡くなった祖父に幼い頃に教えてもらっていたが、うちの神社の詳しい歴史についてはよく分かっていない。なぜ分からないのかというと保管されていた書物、文献があまりにも少なかったからだった。分かったのはこの神社、お社は室町時代後期頃に建てられ”時”を司る神様を祀られているということ。神社の娘の私でも分からないことが多い不思議な神社ではあるけれども、令和のこの時代まで参拝者が訪れる程には信仰がのこる神社であることも確かだった。

鳥居を潜り進むとうちの神社でもひと際、存在感があるご神木が出迎えるようにそこに鎮座している。この時期になるとご神木は満開の桜の花を開花させそれはもう見ごたえのある姿となる。ご近隣の方々の他にもご神木の桜を一目見ようと訪れる参拝者も少なくはない。
しかし今日はもう黄昏時であるからかすでに参拝者の姿はなく境内はとても静かだった。

「………ん?」

静かな境内にかすかな猫の鳴き声が聞こえた気がして足を止めた。周りを見渡して探してみるとご神木の枝の上に小さな黒い塊を見つける。それはいつの日からかうちの境内によく現れる為、勝手に”アサ”と名前をつけて可愛がっていた黒猫だった。

「あらら、随分と高いところまで登って…降りられなくなったの?」
「……ミィ〜、」
「大丈夫だよ。今助けに行くから」

食材の入った買い物袋をそっと地面に置き、枝に引っ掛けたりしないように袖を捲る。制服のままだったけども周りに人はいないし、まぁ大丈夫であろう。

幼い頃には境内のあらゆる木やそれこそご神木にも登って遊んでいたこともあった為(神社の娘のくせに罰当たりな話だが…)、木登りには多少自信がある。当然だが木登りには向かないローファーに学校の制服で踏み外さないよう慎重にアサのいるところまで登っていく。

「ふぅ…、久しぶりだから少し緊張した〜。ほら、もう大丈夫だからおいで」
「ニィ〜」

なんとかアサがいる枝まで登ると、待っていたとばかりにアサがすり寄ってきた。バランスを崩して落ちてしまわない様に一度、枝に腰かけてアサを抱きかかえる。下から見た時も十分高いと思ったが登ってみるとより高さを感じて、久しぶりの木登りだったがこんな高いところまでよく登ったものだと自分に少し賞賛の気持ちが沸いた。

「さ、降りるから君は私の服の中で大人しくしているんだよ」

流石に片手で猫を抱えてこの高さを安全に降りるのは至難の業な為、制服のカーディガンをスカートのウエストにインしてその中にアサを入れる。これで少しは服の下から落ちにくくなるはずだ。大人しく服の中に入ったアサの安全を確認し、今度は降りるため慎重に木の凹凸に足をかける。ローファーが滑って足を何度か踏み外したが登る時より慎重にゆっくりと降りていく。

「…おっ…と…、ローファーは滑って危ないなぁ……」
「…ンニィ!ミィー!」
「わわっ…!ちょっ、あぶないって………あっ!!」
「ンミャァッ!!」

足を踏み外した衝撃に驚いたアサが服の中で動いたことでスカートのウエストをすり抜けて下からアサが落ちた。落ちるアサを見て考えるよりも先に体は動いていた。落ち行く小さな体を自分の胸に強く抱き寄せ、地面に叩きつけられる衝撃を想像してぎゅっと固く目をつむった。

「…っつ!…えっ、なっ!?」

目をつむった瞼の隙間から鋭く入り込む強い光に何が起こったのかと確かめようとしたけれど、あまりの光の強さに瞬く隙もなく再び目を閉じることになった。

トンッ

一瞬でも見た強い光に目をチカチカさせていると、想像していたよりも軽い衝撃がお尻に当たる。ゆっくりと目を馴染ませるように瞬きをしながら瞼を上げると、青々と生い茂る草木に囲まれるように私は地に座っていた。

「……え…。なに…?どういう事……?」

一瞬にして神社の境内から見覚えのない森の中へと移動したこの状況に脳の理解が追い付かない。周りに建物は一切なく、あるのは生い茂る草木と目の前にひと際存在感を放つ満開の桜の大木だけ。目の前の桜の大木はどこかで見覚えがあるような気がするけど…。

突然、腹部のぬくもりが動きだしたことで思考を止めて抱きかかえていた存在を見下ろす。

「ンミャァ〜」
「あ…、よかった…。怖い思いさせてごめんね」
「………ンニ」

膝の上のアサは何もなかったかのように落ち着いており、そんなアサの姿を見たら私も動揺していた気持ちが少し落ち着いた。ずっと座っていても仕方がないのでアサを抱きかかえて今一度周りを見渡してみる。

「…何度見ても…森、だよね…」

ゆっくりと瞼を閉じて再度見てみてもやはり周りの景色が変わることはなく、ただ鬱蒼とした森が広がっているだけだった。自分がいるこの場所がいったいどこなのか、知るにしても人の気配はなく方角すら分からない。どこへ向かって行けばいいのかも判断が出来ない状況に頭を抱えてしまう。

「あっ!ちょっ、待って!どこへ行くの!?」

右を見て左を見て、また右を見てとどうしたらいいのかと思っていたらまたも突然に抱えていたぬくもりが腕から降りてどこかへと駆け出して行く。私は知らない土地で独りぼっちになるのが怖くて、腕から抜け出たぬくもりを慌てて追いかけた。
その足は先程まで悩んでいた気持ちはどこへやら、自然と森の中へと踏み入れることとなった。

2026 03.26

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