09

真新しい制服も、手のひらも、もちろん手の中にあるハンドタオルも真っ赤に染まっている。これは悪い夢だ。そうに違いない。きっと、すぐに目が醒める。そう言い聞かせるけれど、目の前の景色はいつまで経っても変わらなかった。周囲のざわめきがひどく耳障りで、個性を使うことを強くイメージした。







あのあと、警察官とともに救急隊員も到着した。わたしはパトカーに乗せられ警察署で保護され、彼女は救急車で最寄りの病院へと運ばれて行った。警察官がわたしの姿を見ると、どこからか大きなバスタオルを持ってきて肩へかけてくれた。制服を見て学校へはすぐに連絡を入れてもらえたようで、放心状態のままのわたしはただ自分の名前だけを告げた。警察官は他にも何か質問をしていたようだったが、映像としては目に入ってきても言葉は何一つ聞き取れなかった。

「遅くなってすみません」
「イレイザーヘッド、お疲れ様です。苗字さん、とても頑張ってくれたようですがショックが大きかったようでして…あとはお願いしてもよろしいですか?」
「ああ、はい。簡単なもので構いませんので経緯書いただいてもいいですか」

ぼーっとしたまま扉の向こうから警察官と入れ替わるようにして現れた相澤先生を見つめる。「除籍だ」という無慈悲な言葉が再び頭をよぎった。
先生は警察官からファイルを受け取ると、わたしの頭をポンポンと叩く。先程までよりも周囲の声がはっきりと聞こえるようになったのは気のせいなのか、それともまた先生に個性を使われたのか。先生の顔を見上げるが、その時にはもう先生の目線はファイルの中へ落とされていた。

「悪い、待たせたな。これでも急いで来たんだが」
「…いえ。お手数おかけしてすみません」
「確かに手間だがおまえが気に病むことはない」
「こんなトラブルを起こしたら、除籍でしょうか…」
「お前は巻き込まれただけだ。いちいちこんなことで除籍にはしないよ。ここへ来るまでに簡単にいきさつは聞いた。落ち度がないわけじゃないが、おまえなりに最善を尽くしたんだろ」

優しい言葉に瞳が熱くなるのを感じて、グッと我慢しようとしたがうまくいかない。ぼたぼたと溢れる涙を袖口で拭い、鼻をつく血液の匂いに顔をしかめる。

「あの、先生…、あの人はどうなりましたか」
「どっちのことだ?」
「……被害女性です」
「…まだわからん」

ぴくり、と先生の眉が動いた。その言葉が嘘か本当かを確かめる術は私には無い。肩にかけられたバスタオルがひどく重たく感じる。この感情は何だ。暗くて、どんよりして、もがかなければこのまま何も見えない場所へ沈んでいってしまいそうなこの気持ち。
先生はそれ以上はわたしには何も話しかけたりはしなかった。戻ってきた警察官と二、三の連絡事項を確認し、やっと解放されたのはもうすぐ日付が変わる頃。警察署まで迎えに来てくれていた両親は先生の姿を見るなり、平身低頭していた。その次にわたしを見て血まみれになった娘の姿にショックを受けた母は額を抑えて父の胸の中へ倒れこんで行った。父も顔色を青くしながらも、母を支え、相澤先生の前だからか気丈に振る舞っていた。しかしそんな父も車に乗り込んだ途端にハンドルへ頭をぶつけ、深夜の警察署でクラクションを響かせ慌てて見送りの警察官や相澤先生に謝罪の言葉を連発していたので、かなり動揺していたようだ。

自宅へ走る車の中で聞いたことにはわたしが何をしたかはわからないまま、警察署へ迎えに来るよう連絡が入ったため、2人とも、わたしがまさか事件の被害者になったとは思わなかったらしい。「名前ちゃんが何かやらかしたと信じて疑ってなかった」という母の言葉に悲しくなりながらも、先生から簡単に事情を聞いてから優しく抱きしめてくれた父の温もりでそんなことはどうでもよくなったのだった。

「お母さん、お父さん、わたしちゃんとヒーローになってみせるよ」

飯田くんの言う"雄英らしさ"はまだわからない。それでもわたしが今感じているようなこの気持ちを味わう人がひとりでも少なくなるように。そして、あの女性のように傷つく人がいなくなるように。幸運にも雄英高校に入学できたのだから、最善を尽くそう。

――わたしはきっと、今日この日のことを一生忘れられないだろう