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ブーブーというバイブレーションの音で目を覚ました。アラームかと思ったが、いつまで経っても鳴り止まないのを不思議に思ってスマホを手に取れば登録した覚えのない電話番号がスマホの画面に表示されていた。一度切れてから、番号を検索してみようと思って放置していたが、切れたと思えばまたすぐに同じ番号から着信が入る。

「…もしもし」
「相澤だ。寝てたか?昨日伝え忘れたことがあったからかけたんだが」
「あ、相澤先生?!す、すみません、知らない番号だったので」
「あーそれは悪かったな。今後も連絡することはあるだろうから登録しとけ。オレの仕事用の携帯だ」

耳元から聞こえてくる気だるそうな声に思わず背筋をピンと伸ばす。ベッドの脇にある時計はいつもの起床時間よりも一時間ほど早い時刻を示していた。

「今日は午後からUSJでレスキュー訓練が予定されている。午前の教養科目は休んでも構わんが、午後からは必ず参加するように」
「あ、お気遣いありがとうございます。朝から行くつもりでした」
「そうか。制服は新しいものを用意しているが届くのは今日の夕方になる。ジャージで良い。おまえあと何分あれば準備できる?」
「ジャージで良いなら10分もあれば…」

電話の向こうで相澤先生がどのような表情をしているかはわからないが、会話の内容には優しさが散りばめられていた。第一印象があまりにこわかったため、誤解をしているだけかもしれない。声色はいつもと同じで感情の機微も伝わってこない。それでも、今後は相澤先生の顔を見て身が縮むことはなくなるかもしれない。

「昨日の事件の現場検証に付き合っていて近くにいる。今回限りだ。学校まで送ろう。20分後に家の前にタクシーつけるから出て来い」
「あ、ありがとうございます」

慌てて着替え、ゼリー飲料を一気に呑み込み、15分後には自宅の前で待機していればきっかり20分後に相澤先生の乗ったタクシーが到着した。軽く会釈して隣に乗り込む。
先生はちらりとこちらを見て、また手元のファイルへ視線を戻した。心なしか昨日より分厚くなっている気がする。

「昨日の質問だが、おまえが助けた女性は一命を取り留めた。まだ目を覚ましはしていないがこのまま安静にしていれば大丈夫らしい」
「……そう、ですか。よかった」
「野次馬の中に動画を撮ってたヤツがいたんで、確認させてもらった。担任としてはおまえの行動を褒められたもんじゃない。だが、プロヒーローとしてはおまえの存在を誇らしく思うよ。おまえのおかげで助かった命がある」

意外だった。相澤先生のことだから「寄り道せずに帰れと言っただろう」くらい言いそうなのに。鞄をギュッと握り、ホッと息を吐く。
あの血だまりのことを思い出すとまだ暗い気持ちになるが、それでも助かったなら良かった。

「わたし、悔しいです。目の前で傷付けられた人がいるのに何も出来ませんでした。その場にいない警察やヒーローの力にすがることしか…」
「…何言ってんだ」

相澤先生の視線だけがこちらへ向いている。ファイルをパタン、と閉じ先生は続けた。

「今オレが褒めたのはあの敵に立ち向かったことじゃない。被害者が負った怪我にすかさず個性を発動させただろう。彼女が助かったのはおまえの個性のおかげだ」
「わたしの、個性…」
「人を救けるのがヒーローの本分だからな」

昨日のことを思い返す。わたしが個性を使ったのはあの敵に対してだった。被害者に触れはしたが、個性を発動させた覚えはない。

「わたし、そんなことしてないです」
「…おまえ自分の個性、ちゃんと理解してるか?」
「わたしに触れるものや不快な状態を拒絶するものだと思っています」
「具体的には?」
「寒暖差や痛みを感じることは滅多にありません。水風呂や温度設定を高くしすぎた湯船でも快適に過ごせます。つまずいても地面にぶつかる前に跳ね返るので怪我をしません」
「……具体案がチープだな」

相澤先生は呆れた様子だったが、今までずっとそう説明してきただけに何といえば良いかわからない。はあ、と溜息をつき頭を掻きながら先生が口を開く。

「じゃあな…入試の時のことだが0ポイントのメカを破壊しただろ。あれは何を拒絶した?」
「あれはロボット自体を…」
「その時、壊れた腕や部品は?」
「そこまで考えていませんでした」
「入試中、砂塵で汚れたりは?」
「…していなかったと思います」

そこで、おかしなことに気づいた。あの時、確かにわたしは汚れ一つなく入試を終えたのだ。それなのに昨日、制服だけでなく、生身の部分まで血にまみれていた。常に発動しているはずの個性を消していたのだろうか。

「恐らくおまえの個性はすべての現象に干渉できるんだろう。オレも昨日の映像を見て、そうじゃないかと思った程度だから確信は持てない。だがコントロールが疎かだったな。被害者の怪我…まあつまり流血を拒絶することで、あれ以上の重症化は防いだ。しかし対人経験不足のせいで、自分への意識が薄くなったんじゃないか…。まああくまでオレの見解なんで意見のひとつとして気に留めておいてくれ」
「…すべての現象に、干渉ですか」
「可能性の話だ。これから座学や訓練で個性と向き合うことで理解を深めていけばいい。この話はここまでにしよう。オレは寝る」

相澤先生は一息に言い切ると、目を閉じた。分厚い隈がいつもより色濃く見えて申し訳ない気持ちになる。昨日わたしたち家族の見送りをしてくれたのに、今日も朝早くから警察署へ出向いてくれていたのだ。いくらプロヒーローといえ、疲れないはずがない。眉間にしわを寄せたまま腕を組み、寝ようとしている姿をじっと見つめる。やっぱり、相澤先生は厳しいけどとても優しい。まだ数日の付き合いしかない生徒のことをここまで見てくれるのだから。

タクシーに揺られながら、自分の個性について考える。コントロールするなんて意識したことが数えるほどしかないからわからなかった。本当にわたしの個性があの人を救ったのだとしたら、それはとても嬉しいことだ。