「ぼさっとしている時間はねえぞ」

エンデヴァーさんに脳無を任せて出久くんから送られてきた住所へ向かって走りながらご老人はわたしにそう言った。そうだ、自分の非力さを嘆くのは今でなくていい。人の気配はないが、出久くんや轟くんがいるであろう路地へ近づくにつれて空気が重くなっていく気がした。

「…む?」

指定された路地がもうすぐ、というところでご老人は地面を蹴って飛び上がる。そして、そのままの勢いで路地から出てきた人影に靴底を押しつける。少し離れた場所から見ていたわたしにはひと目ではわからなかったが、あれはどうやら出久くんだ。誰かにおぶられているというのにあのご老人は器用にも出久くんだけ狙ったらしい。さすが、エンデヴァーさんに認められていただけある。

「座ってろっつったろ!!」
「グラントリノ!!」

ご老人に蹴られつつも明るい声を出した出久くんの隣には轟くん。その少し後ろには飯田くんの姿も見える。そして轟くんがロープで縛って連れている人物の姿に、思わず目を見張った。飯田君がここにいることにも驚いたが、それ以上の衝撃だった。

「それって…」
「エンデヴァーさんから応援要請承った…んだが」
「ひどい怪我だ。救急車呼べ」
「おい、こいつ…ヒーロー殺し!?」

続々と現れたヒーローたちもわたしと同じように驚きを隠せないようだった。まさかただの学生である彼らがヒーロー殺しと出会い、あろうことか捕獲するなんて。
そんな3人も何か一悶着あったようで、飯田くんが出久くんと轟くんに頭を下げ、それぞれ言葉を交わしているのを少し離れたところから見つめる。わたしと彼らの違いは何なんだろう。わたしはどうしたら、追いつける?

「嬢ちゃん、どうかしたか?」
「…いえ、なんでも」

わたしはきっと優秀でもなんでもないのだ。ただ、個性便りに彼らと同じ場所へ転がり込んでしまっただけ。個性がすべてと言っても過言ではないこの世界で、恵まれた個性を持っているから勘違いしてしまったのだ。同じ場所にいるように見えるけれど、本当は彼らはずっと高いところにいるのではないか。出久くんたちの無事を喜び、駆け寄りたい気持ちとは裏腹に、わたしの足は数歩後ずさるのだった。ああ、なんて、情けない。
そのざわめきから少しとはいえ距離があったからだろうか。背後から羽音が聞こえ、振り返るとエンデヴァーさんに任せてきたはずの脳無の姿が小さく、しかしはっきりと見えた。空高くから、急降下――明らかにこちらを狙っている。

「危ない!」
「なんだ?…ッ伏せろ!!」

わたしの声にいち早く気づいたご老人、グラントリノが大声で叫ぶ。ヒーローたちも、脳無が来たことには気づいたが攻撃に移る前に出久くんを攫われてしまった。出久くんの悲鳴が少しずつ遠ざかる。どうしたらいい?わたしは多少なら跳べるかもしれないけれど、あの高さは無理だ。今ここにいるヒーローたちのうち誰か空を飛べるだろうか?いや、もしそうだとしたら出久くんを連れ去られたあの瞬間にきっと動いているはずだ。ダメ元でもいい、とりあえず出久くんをこのまま連れて行かせるわけにはいかない。地面に対して個性を使おうとしたその瞬間。縛られていたはずのヒーロー殺しが動いた。べろり、と脳無の血がついたヒーローの頬を舐め、飛び上がる。

「偽物がはびこるこの社会も、いたずらに力を振りまく犯罪者も、粛正対象だ」

脳無の背に飛び乗り、その頭にナイフを振り下ろす。そして出久くんを脇に抱えて地面へ降り立った。

「すべては正しき社会のために」

わたしは、このとき本当に自分のことが嫌いになりそうだった。ヒーロー殺しが脳無の頭からナイフを抜いたその瞬間に誰かほかのヒーローが動かないかとちらりと様子をうかがう自分に気付いたからだ。

「出久くん!」

今、動かなければ。今度こそ地面に対して個性を使う。

「なぜひとかたまりで突っ立っている!?そっちに一人逃げたはずだが」

背後から聞こえたエンデヴァーさんの声にわたしよりも大きな反応を見せたのはヒーロー殺しだった。傷だらけで、どこにそんな力があるのかわからない。それでもヒーロー殺しはエンデヴァーさんの声が聞こえた方へと一歩、一歩と足を進める。

「ヒーローを取り戻さねば!!来い、来てみろ、偽物ども」

背筋が凍るような気がした。でも、ここで立ち止まったらだめだ。

「俺を殺していいのはオールマイトだけだ!!!」

ビリビリと空気が震える。ヒーローたちは誰も動かなかった。わたしも地面に対しての拒絶が解け、空中から地へと降りてしまった。何も、されていないのに。

「気を、失っている」
「……出久くん!」

立ったまま気絶しているヒーロー殺しの横を駆け抜け、出久くんのもとへ走る。目に見えて重傷ではあるけれど無事でよかった。ボロボロになった出久くんとは対照的に傷一つない自分を思うと複雑な気分だ。

「苗字くん、その子を担いで救急車へ乗せてやってくれ」

改めてヒーロー殺しを捕縛したエンデヴァーさんからの指示に従い、出久くん、飯田くん、轟くんを救急車へと運ぶ。無傷のわたしはエンデヴァーさんと一緒に周辺の被害状況の確認や警察への引き継ぎをさせてもらうことになったが、あまり集中できずどこか上の空だった。ヒーロー殺しのいう偽物とはなんだろう?ヒーローらしくないヒーロー?彼の餌食になったヒーローたちはわたしからすれば皆とても優秀で、すばらしい人々だった。彼らが偽物だといわれるのならわたしは一体?
ほぼ何もしていないのに身体がひどく重く感じる。見上げた空は真っ暗でたった一人で敵と向き合ったときのことを思い出してしまった。あの人をすぐに救えなくて後悔したあのとき、本当にスタートラインに立てたのだろうか。