ニシノとセットになっている白い毛玉の存在が視界に馴染んできた頃、前期期末考査が開始した。
これが終われば夏休みだ。盆は実家に帰るとして、それ以外はどうせ師匠のオカルトツアーに日々を浪費することになるんだろうと思う。怖い思いをするのは御免だが、自衛の力が身につくに越したことはない。今しばらくは師事していようと思っている。
次のテストまで一コマ時間が空いたので、俺たちのホームであるA館一階の学生ホールで勉強をしていると、ニシノが溜め息をついた。
「どうした、ニシノ」
目敏く気付いた巽が声をかける。
巽は入学当初、長身からなる抜群のスタイルや目を引く金髪おまけに美形というスペックを持ちながら、目つきは悪いし無口なうえ地元では名の知れたスーパーヤンキーだったという噂が流れたため遠巻きにされていた。巽にも同じようなものが視えていると知った俺の熱烈なアタック、そして俺の相方である間宮千鳥の人たらしスキルによって、どうにかこうにかグループに引き込んだ次第である。
一旦友だちになってみると、巽はぶっきら棒だがよく気の利くやつで、男どもとはすぐに打ち解けた。
ニシノもそんな巽を気に入っている一人だ。
「……巽ぃぃ、聞いてくれぇぇ」
「聞くからくっつくな」
わあっと泣き真似をしながら巽にタックルをかましたニシノの足元では、相変わらず毛玉がうろちょろしている。
「……実家で飼ってた犬がな、生まれた頃から体が弱かったんだけどさ」
――犬。
巽と目が合った。
「この間、死んじゃったみたいで。テストが近いからって母ちゃん俺に黙ってたんだけどさ、昨日『サクラ元気?』って訊いたら、一週間とちょっと前に、苦しまず逝ったよって教えてくれたんだ」
一週間前。
毛玉が現れ始めた頃と一致する。
「……サクラ、何犬だったんだ」
「ポメラニアン。ちょっと小っちゃくてさ、サッカーボールくらいの大きさだったんだよ。いつも俺の足にくっついてて、よく転ばされたり蹴っちゃったりしたわ」
ニシノがちょっと目を潤ませながら頬杖をついた。
「テスト終わったらすぐ会いに帰ろうと思ってたんだけどな、間に合わんかったや」
その足元にはやっぱり毛玉がうろうろしているが、ポメラニアンと言われて視てみれば、なんだか顔や脚があるような気になってくる。
「……犬も猫も飼ったことがないからあんまりわからんが、大事にしてたんだな」
巽の正直で不器用な言葉にニシノが笑う。
もふもふの毛玉がその靴にじゃれついたのを眺めながら、俺は「でも」と口を開いた。
「そんな大事にしてたわんこなら、会いに来てくれてるかもしれないな」
「なんだよ秋津、お前そういうの信じるタイプ?」
ニシノはけらけらと笑い声を上げたが、「でもそうだといいなぁ」とひとつだけ涙を零した。
会いに来てるよ。
多分、苦しまずに逝ったその瞬間から、お前目がけて真っ先に飛んできた。
高校卒業してから会えなかった分埋め合わせるみたいに、一生懸命お前と遊んでるよ。お前、たまに蹴ってるよ。それでもサクラは嬉しそうにお前にじゃれついてるよ。
でも視えないんだよな。
俺と巽にしか、視えていないんだよな。
子どもの頃はおばあちゃんが死んだことが悲しくて、幽霊みたいなものは視えるのになぜおばあちゃんは俺に会いに来てくれないんだろうと泣いたこともあったが、今ではあんまり気にしなくなった。
会いたい人には会えない。そういうものなのだ。
だけど、ならどうしてあれは俺の目に映るのだろう。
どうして、誰にも気付かれないでひっそりとそこにいるものたちを目に映してしまうのだろう。
どうして会いたい人には会えないのに、視えない人に会いにきたものが視えてしまうのだろう。
自分の持つ見鬼と正面切って向き合ってこなかった俺は、あの人に師事していたこの頃、こうして無性に視えることがしんどくなるときがあった。師匠はついぞその答えを与えてくれることはなかったのだけど、もしかしたら世界の全てを見透かしたようなあの人にも、わからないことがあったのかもしれない。
そう思うと、やたらと師匠に会いたくなる。
だけど、――そういうものなのだ。
その後サクラは一か月ほどニシノと一緒にいたが、気付いた時にはいなくなっていた。