見鬼があるからといって何でもかんでも視えるわけではない。
よく言うように相性というものがある。
巽に視えて俺には視えないもの、その逆も然り、俺には黒い靄に視えても巽には小さな子どもに視えるもの、別のケースもまた然り。初めて出会った霊感のある人間だと思ったら、視えている世界が全く違って驚いた。
そもそも俺は人間の姿をしたそれらに出会ったことがほとんどなかった。しかし師匠に弟子入りしてからは、彼の力の強さに引っ張られて強制的に見鬼が底上げされているらしく、たまに人と見間違えて恐ろしい思いをした。
だけどそれでも、身近に死んだ人を視たことはない。
子どもの頃はおばあちゃんが死んだことが悲しくて、幽霊みたいなものは視えるのになぜおばあちゃんは俺に会いに来てくれないんだろうと泣いたこともあったが、今ではあんまり気にしなくなった。
会いたい人には会えない。そういうものなのだ。
その日は雨が降っていた。
ニシノの足に白い毛玉がまとわりつきだしてから四日が経つものの、一人と一つはもはや一心同体かというほど常に一緒にいる。というか毛玉がニシノから意地でも離れない。たまに後ろから蹴ったりしてみるのだがすり抜けるので、俺も巽も「ありゃどうしようもねぇな」という結論に至った。
悪さをするようなら師匠に相談もしたものだが、本当にただ一緒にいるだけなので見守っている状態にある。
ともあれ日曜日の午後、少し前から始めている喫茶店のキッチンでのバイトから帰る途中、駅で電車を待っていたときのことだ。
ホームは割合混雑していた。俺は電車を待つ列に並んで音楽を聴きながら、ニシノと毛玉についてぼんやり思いを馳せていた。
「ああ……」
隣から声が聞こえて視線をやると、スーツ姿の男が俯いている。身長は俺と同じくらいで痩せぎすだが、ひどい猫背のせいで一回り小さく感じた。
「もう駄目だ」
随分でかい独り言だな。
ちょっとあれな人なんだろうかと思って視線を逸らそうとしたその時、男は「そうだ」と天を仰ぐ。
「死ぬしかない」
「え――」
ぱちりと瞬いたその隙に男はふらりと列の前の方まで歩いていくと、ホームに滑り込んできた快速電車に飛び込んだ。
ごうっ、と風が吹き荒ぶ。
「っ――!」
「秋津くん」
思わず駆け寄ろうとした俺を引き留めたのは、今日も着物姿の師匠だ。
息もできないでいる俺をそっと列から引っ張り出す。人が一人電車に轢かれたというのに、誰も気付いていないかのように平然としていた。みんなスマホに視線を落としている。そのせいで見えなかったのだろうか。誰にも?
誰にも、見えていない?
「……師匠、あれってもしかして」
「ああ。大丈夫だから息、してごらん」
指摘されてそこで初めて自分が呼吸を止めていたことに気が付いた。
空いていたベンチに座らされる。師匠が自販機で買ってきてくれたカフェオレを一口飲んで、ようやく冷静になった。
師匠は俺の隣に立ってお茶を飲みながら、いつも通りのホームを眺めている。
「何年か前に飛び込んで亡くなった人でね。雨の日のこの時間帯は大体ああやって、死んだ時のことを繰り返している」
「…………」
「よく悲鳴を上げなかったね」
今まではこんなこと、有り得なかった。
ただなんとなくそこに在るのがわかるだけのときもあれば、シルエットが視えるときもあるし、声だけが聞こえたり足だけが視えたりする。例え姿かたちがはっきり視えたとしても、僅かに輪郭がぼやけていたり薄い膜を被ったように視えていたりしたから区別はついた。
なのに、今、俺はあれを生きた人間だと判断していた。
師匠に止められなければ線路を覗き込んで「人が飛び込んだ」と大騒ぎしていたくらいには、切羽詰まっていた。
「まあ、でも――」
その声に顔を上げて、師匠の横顔を見た。
師匠の憂いを帯びた視線を辿っていくと、電車待ちの列に並んだたくさんの人がいた。どいつもこいつも下を向いていた。手元の端末に視線を落として顔を上げやしない。
「あれがもし生きている人だったとしても、飛び込んでも誰も気付かなかったかもね」
この人はたまに、こういうことを言うから困る。
本当に怖いのは生きた人間だと言い切ってしまえる人には、生きた人間しか見えていない。
視えてしまう俺たちにとって本当に怖いのは、理屈も常識も通じないヒトならざるものなのだ。そう俺に教え込んでいるのは師匠だ。生きた人間は殺せば死ぬ。だけれどああいうものは、近付かないことや追い払うことはできても殺すことができない。
それなのに、この人は時折、ひどく人間を憎んでヒトではないものたちを慈しむようなものいいをする。
だから危なっかしくて、傍を離れる気になれないのだ。
「本当に怖いのはどっちだろう」
師匠の見鬼は俺なんかよりも遥かに強い。
そんなこの人でも、会いたい人には会えなかったりするんだろうか。