「顔がコンプレックスね。それであんなに頭に澱が集まっていたのか……」
師匠曰く。
ヒトでないもののうち一般的に「幽霊」といわれる、生きていた人間の魂とか思念のあととか想いの残滓が生きていた頃の形を保つためには、余程の執念や執着あるいは純粋な想いが必要になってくる。つまり人間の形をしたものは想いが強く、そうでないものは自分がなにであるかさえわかっていないことが多い。
そして人間の形をしたものの中でも厄介なやつというのが、悪い方向への執着が強すぎてよくない思念や邪気の類いを集めてしまったものだそうだ。
そういうものの集まった個所は肥大化して視える。
つまり今回の女性も、よくないものが集まった結果、頭があんなにも大きくなってしまったのだ。
巽も意識を取り戻して車の中にいて明るいコンビニの近くにいるということで、気が抜けてしまった俺はコーヒーを飲みながら、あんなに顔が大きいと重たいだろうなぁと呑気なことを考えた。
「俺、本当に殺されると思ったんですけど、追ってこなかったんですね。あれって別にあの病院に縛られているわけじゃないでしょう」
「そうだね。それでいうと、お前は秋津くんに命を救われたようだ」
「俺ですか?」ぱちくりと瞬きながら首を傾げると、運転席で紅茶を飲んでいた師匠が俯いて「ふふ」と珍しく笑い声を上げる。
この人が笑うときというと、なにか嫌なことを思いついたときか俺たちの反応を面白がっているときか俺たちをからかっているときか――大概ろくでもないのだが、今のこれは純粋に思い出し笑いをしているらしい。
「顔がコンプレックスの女の子に向かって『頭でっかちさんめ』は傷付いたろうなぁ」
なんじゃそらと思ったところで、車が発進する直前、とにかく巽が殺されると切羽詰まって彼女にメンチを切った記憶が蘇った。
――た、巽は渡さんぞ!! 頭でっかちさんめ!!
「え……? あ、ああっ! 確かにひどいことを言ってしまった!」
「おい俺の服にコーヒー零してんじゃねぇ殺すぞ」
「俺命の恩人な?」
「傷付いた女の子に『頭でっかちさんめ』とか言うひでぇやつな」
さっきまで性質の悪い女性に追っかけられていたこともなんのその、俺たちは行きの道中以上に高いテンションで、鹿嶋市へと帰還したのだった。
俺たちの別荘たる師匠の家に到着した頃には、東の空も白んでいた。
帰宅する元気もなかった俺たちはそのまま泊めてもらい、客間のソファに二人で寝転んで数時間の睡眠をとった。
目を覚ました頃には昼ご飯どきだった。部屋の外からアブラゼミの大合唱がしゅわしゅわと響いている。
「おはよう、二人とも」
ほぼ同時に起床した俺と巽を覗き込んでいたのは、姉御だった。
起き抜けにフランスの印象派絵画に描かれているお嬢さまみたいに顔の整った姉御がいたから、俺はびっくりしてソファから転げ落ちた。巽の方はむくっと起き上がって「おはようございます」と返事している。
「お昼できてるよ」
「うわ、まじっすか! 風呂にも入ってねぇや」
「お素麺だから、お風呂から上がってからでもいいよ。行っておいで」
ふふふと姉御が微笑んだところで、師匠がドアの隙間から顔を覗かせた。
「起きたか、バカ弟子二人組。面倒だから二人まとめて風呂に入ってこい」
「勘弁してください!」
交代で風呂に入った俺たちが食堂に向かうと、師匠と姉御はすでに昼食を終えて食後のティータイムに突入していた。広い洋館なので、食堂にも雰囲気がある。アガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』の映画に出てくるような食堂で、これぞ日本の夏ともいうべき素麺を啜るのはなんだか変な気分だったが、そんなことに突っ込むようなやつはいない。そもそも家主が着物なので、これが在るべき姿のようにも思えてくる。
「そういえばね、しぃちゃん」
姉御は師匠をこう呼ぶ。
ちなみに『師匠』の『し』らしいが、知り合って三か月が過ぎた今でも、そのネーミングセンスだけは解せない。
「今朝ちょっと二度寝したんだけど、そこで夢を視たの」
「へえ、どんな」
先に述べた通り、姉御の見鬼は師匠のひとつもふたつも上を行く。
そんな彼女の視る夢は、たまに予知夢だったりもするのだ。
「廃墟で女の子が泣いてたのよ。近寄って話を聞いてみたら、男の子に『頭でっかちさんめ』っていじめられたんだって。確かにちょっと顔の大きな子だったけど、ひどいこと言うわよね」
「…………」
「…………」
「…………」
「ね?」
黙りこくった男連中にだめ押しするように姉御が首を傾げたので、俺たちはこくこくと無言でうなずいた。
全く、ひどいやつだな! うん、ひどい! 許せない! 女の子を泣かすなんて男の風上にもおけないやつだ!
にっこりと笑う姉御にどこまで視えているのやら、俺たちには一生わからないんだろう。