どうしても事故の起きやすい場所、というのはどこにでもあるものだ。
見通しの悪い交差点。トンネルを抜けた先の急激なカーブ。生垣で視界が遮られた曲がり角。交通量の多い横断歩道。あるいは夜の用水路の傍。あるいは特定の踏切。あるいはある建物の脇。電柱の足元に花束やお供えの飲み物が絶えず置かれている。悲しい記憶が薄らいだかと思うと、また事故が起きる。そういう場所なのだと誰もが思わざるを得ないほどの経歴が、そこにある。
相も変わらず夏休み真っ盛り。
姉御のお使いで、バイトの帰りに少し歩いた先にあるケーキ屋へ寄って駅まで帰る道すがら、厳しい日差しにがっくりと肩を落としながら俺は項垂れた。暑い。確かに季節は夏ど真ん中だが、俺の地元よりも都会にあたるこの地はヒートアイランド現象も甚だしい。アスファルトの照り返しや建物の蓄えた熱が容赦なく放射されるせいで、そこに立って呼吸するだけで汗が滲むという有様だ。
普段はバイト先と最寄り駅を往復するだけの道のりだが、今日はお使いがあったため別の路地を歩いている。迷子にならないようにと方角を確認しつつ、暑さに参ってしまいそうになりながらとぼとぼと歩いた。
暑いからあんまり急ぎたくないけど、ケーキのためにも迅速に帰宅せねば。
なぜかというと本日は俺の兄弟子、巽の誕生日なのである。
今頃、姉御があのお化け屋敷で腕によりをかけてディナーを作っているはずだ。早く合流して手伝わねばと考えながら角を曲がった瞬間、思わず「どわぁ」と声が漏れた。
噎せ返るような瘴気の集まりだった。
視界に黒い靄や怪しいものは映らなかったのだが、ともすれば肺腑ごと押し潰されそうなほどの『悪いもの』の群れがそこにあった。じりじりと太陽が照っているはずなのにこの路地だけやたら暗い。路地に面してスナックやお好み焼き屋と思しき看板は立っていたが、全てシャッターが下りており長らく営業していないようだった。
そこは丁字路になっていて、俺はちょうど縦棒にあたる部分から路地へと顔を出したかたちになる。主にやばそうなのは左手側なのだが、右手側に迂回するとなると最寄り駅までだいぶ遠回りだ。
俺は苦虫五百匹ほど噛み潰したような顔をして、とんでもなくよくない気配のする左手側の路地と、手の中のケーキの箱を見つめた。姉御たっての希望で中身はなんとホールのショートケーキである。生クリームがでろでろになるのだけは避けたいところ。
頭の中に、高笑いしながら心霊スポットへずかずか歩み寄る師匠の姿や、金属バットでやたらと威嚇する武闘派の巽の姿を思い浮かべた。いやさ男は度胸。その気になればやつらにだって物理攻撃が効いてしまうということを、俺は師匠に弟子入りしてからの数ヶ月で嫌というほど悟っていたし、師匠の物怖じしないクソ度胸を尊敬してもいたのだった。
一歩踏み出して角を曲がり、平気な顔を取り繕って数メートル歩いた時のこと。
背後で急ブレーキの音がした。
次いで、ごっ、と何かが衝突したような鈍い音が響く。
反射的に振り返った俺がそちらを見ると、白い乗用車が進行方向に向かって走り去っていき、それに轢かれたと思われる自転車がからからとタイヤを回していた。少し離れたところで少年が一人倒れている。
「っ――おい! 大丈夫か!」
俺はケーキの入った箱を投げやって、スマホを取り出しながら駆け寄った。高校生の頃、保健体育や交通安全の授業で受けた救命措置の内容が頭の中をぐるぐると巡る。巡りすぎてわけがわからなくなったので、とりあえず地面に倒れ込む少年の肩を叩いた。
「おい、お前、聞こえるか? 意識あるか?」
「――……」
返事はない。中学生くらいの彼の頭部からはひどい出血があり、腕が反対方向に折れ曲がっていた。あまりの光景に絶句しながら辺りを見渡すが誰もいない。
119番通報をして救急車の到着を待つ傍ら、俺はずっと彼に声をかけ続けた。
意識のない少年の近くには、俺と同じケーキ屋のロゴの入った箱が転がっている。同じ店でケーキを買って、おそらく同じ道を通ってここまできたのだ。一歩間違えばこの少年は俺だった。ぞっとして彼の手を握りしめていると、サイレンの音が近づいてきた。
救急車が路地に入ってきて、救急隊員の人たちが降りてくる。
俺がぱっとそちらを見上げた瞬間、彼らはなんともいえない表情になった。
「あの、多分この子車に轢かれたんです、その瞬間は見てなかったんですけど、意識がなくて――」
「……お兄さん。よくあるんです、こういうことは」
「は?」
よくあるって、轢き逃げが?
俺と同い年くらいの救急隊員に肩をぽんと叩かれた瞬間、ずっと握っていたはずの少年の手の感触が消えていることに気が付いた。
視線を落とすと、倒れ込んだままぴくりとも動かなかった少年も、彼がつくる血だまりも、ケーキの箱も自転車さえもなかった。
ただアスファルトの照り返しの激しい道路で、俺が一人しゃがみ込んでいるだけだった。
「あれ……?」
「大丈夫。誰も轢かれてないです。多分、車は通ったんだろうけど、事故はなかった。お兄さんが見たその少年は、五年前に亡くなってます」
「……、よくあるって」
救急隊員が語るには、こういうことだった。
五年前、母親の誕生日ケーキを買って帰宅する途中、中学二年生の男の子が轢き逃げに遭った。自転車で左折しようとした彼は車に跳ね飛ばされ、地面に強く頭を打ちつけてほぼ即死。以来、年に何度か俺のような通りすがりの人から「男の子が車に轢かれた」という通報が入るのだという。
通報されては向かわないわけにはいかないが、やってきたとしてもここにいるのは通報者一人。救急車へ一瞬意識が逸れた瞬間に少年は姿を消し、あとには混乱する通報者と、ことを把握している救急隊員が残される。
彼を轢いた車はまだ捕まっていないが、唯一の目撃者によると白い乗用車だったという。
「下手に車通りが少ないうえ、角には塀があって見通しも悪いし、カーブミラーの位置がよくないのかちょっと死角が多いんですよ。そのせいで昔から事故が多い丁字路なんだそうです。俺、二年目ですけど、ここにこうやって出動するのはもう五回目ですよ」
「そんなに……」
つまり俺はまた、『ヒトではないもの』を人と誤認したらしい。
視える体質に関わる問題ではないとしても、こういうことが起きると落ち込んでしまう。
少年の自転車が転がっていた辺りに立っている電柱の足元に、缶ジュースや花が供えられていることに気付いた俺は、ひっそりと溜め息をついた。先程あんなにも度肝を抜かれたこの路地の瘴気は跡形もなく消えている。どうやらあれは、事故を再現するためのエネルギーの役割を果たしていたようだ。
へこむ俺を気遣うように「たまにあることですから、あんまり気に病まないで」と声をかけて、救急車は静かにその場を去っていく。
投げやったケーキの箱の中身は当然、生クリームがでろでろどころか原型を留めないほどぐっちゃぐちゃになっていた。それにもまた溜め息をついて、俺は先程までの七倍ほどもとぼとぼと帰路を辿った。