「……秋津クン、憶えてるかな。五月頃、きみに教えた話」
「え?」
輪っかを壁に貼り付けていると、ふと師匠がそんな言葉を漏らす。
「視えない人や力の弱い人にも問答無用で干渉し、姿を見せつけてくる奴。そういうものには注意しなさいって話だよ」
「ああ、理不尽組ですね?」
「……その組み分けのネーミングにはセンスの悪さを感じざるを得ないが、まあそういうことだ」
俺たちに視えている『ヒトでないもの』たちは大概が、生前の強い感情や心残りによって生まれる思念の残滓に近い『何か』だ。それらは余程に大きな自我、執着、執念を持たない限り人の姿をとることはない。大抵は俺が普段目にするような黒い靄、透けた手足のみ、あるいは音、気配、影だけの存在となる。
だが極まれに、本来関わるはずのない此岸と彼岸の層をぶち破るほど理不尽な強い力を持ったモノがあるという。
――と、そこまで師匠の教えを頭の中で反芻してから、俺はぱっと師匠を振り返った。
視えない人にも姿を見せつける。
まさに今回のパターンではないか。
ようやく俺がそこへ思い至ったことに気付いた師匠は呆れた様子を隠すことなく溜め息をついた。
「いや、違いますよ、忘れてたわけじゃなくて」
「はいはい。出来の悪い弟子を持って悲しいナァ」
「最近しっかりばっちり視えるケースが多すぎてちょっと慣れちゃったっていうか!」
「師匠なんて呼ばれたってどうせこんなもんですヨ」
「師匠棒読みすごいっすよ!」
師匠はしばらく「アァ悲しい」「秋津クンは薄情ダナァ」と素晴らしく感情の籠もらない声で俺をいじってから、輪っかを飾り付け終える頃ようやっと本題に戻ってくれた。
「……とにかく、年に何度もそういう事例が起こり、なおかつ実際に救急車を呼びつけてしまうほどの現象でしょう? 轢かれた瞬間を再現してハイ終わりではなくて、救急車が駆けつけるまでの時間も持続する厄介なポルターガイストだね。下手なのが近づいたら事故が誘発される」
「どうにかなりませんかね? あそこ、近付くだけでヤバイってわかりますよ。相当事故件数も多いと思います」
「無理」
果たして師匠はあっさり肩を竦めた。
半ばこの返答がくることはわかっていたが、それでも「うーん」と唸ってしまう。
師匠を始めとした俺たちは決して心霊スポットにまつわる謂れを解決しようとか、霊障が起きないように尽力しようとか、やつらの心残りを払拭して成仏させてやろうとか、そういう慈善事業めいたことは一切していない。
そもそも『ヒトでないもの』は言葉や理屈が通じないことが多く、大抵は心霊スポットに訪れて「何があるのか」を実証し、どうしようもなくなったら「物理的に撃退」が基本スタイルになっている。従って、いくら目につくところに幽霊めいた女性がいようとも、いくら事故多発地点があろうとも、よっぽど明快な解決法がない限りは放っておくことになるのだ。
「ま、それほどの現象を引き起こすだけの瘴気が集まる場所っていうのは興味あるけど、さすがに不謹慎が過ぎるねェ」
「あ、一応、師匠にも不謹慎とかそういう気持ちはあるんですね」
「失礼な」
それから俺と師匠は姉御の指示に従って食堂を飾り付け、料理を並べて、巽を呼び付けた。食堂に入ってきた巽にクラッカーを破裂させたら目をぱちぱちさせて驚いて、誕生日会だとわかると少し恥ずかしそうに笑った。
姉御が腕に寄りをかけたパスタやピザ、ビーフシチューやシーザーサラダを摘まみながら吐息を漏らした巽を見ると、長い前髪の向こうで鋭い双眸が緩んでいた。
「仁葉が生きていた頃、こうやってパーティーした」
「巽の誕生日に?」
「一緒だったから、二人分。あいつが死んだから、もうこんなことしないと思ってた」
この言葉が聞こえていたのは俺だけだったらしい。
照れくささや悲しさが織り交ざってしまった俺が無言で背中を叩くと、巽は何も言わずに口元だけ微笑んだ。
ちらりと背後二メートルの黒い人影を見る。
あの少年もかつてはこうして誕生日を祝ってもらったことがあるだろうし、亡くなった当日はこうやって母親を祝う予定だったのだろう。生きていたら俺と同い年だったからついてきたのかもと師匠は言っていたけど、本当は、俺が持っていたケーキにくっついてきたのかもしれないなと、なんとなく感じた。