十一号館七階の怪 02



 ひとまず最短距離を早足で幸丸大学へ向かう。師匠の家から一番近い南門はすでに閉じられていたが、大学の外壁に沿って回り込むと西門は確かに開いていた。

 西日本屈指の学生数を誇り、普段学生が溢れかえっている幸丸大学鹿嶋キャンパスは、まるで昼間とは別の場所のように静まり返っている。学内に申し訳程度に設置された電灯が足元を照らしているものの、校舎の電気はほとんど消えていた。
 キャンパス中ほどにある十一号館に辿りついてから見上げると、上の階は電気がついている。師匠の言っていた通り、泊まり込みの学生がいるのだろう。

「エレベーターどこだろ」

 こんな時間に校舎に入って警報が鳴りやしないかびくびくしながらドアを開ける。
 一瞬立ち止まって首をひねっていた巽を振り返ると、「なあ」と眉を顰められた。

「……なんも感じんか」
「怖いこと言うなよ。何もないだろ、大学だぞ」
「大学だからなんも出ねぇってこたねぇだろ。初めて会った日だってお前追っかけられてたじゃねぇか」

 反論できなかった。
 確かに視える俺たちにとっては夜も昼もなければ夏も冬もない、そして場所の制限もない。心霊スポットじゃなくてもふよふよしてるもんはふよふよしてるもんだ。

「なんかあるって思ったら怖くなるだろ! なんもない!」
「……お前そんだけビビりでよく師匠に弟子入りしたよな」

 呆れ交じりの表情になった巽を引き連れて、俺は十一号館の校舎内に足を踏み入れた。
 俺より見鬼の強い巽が違和感を覚えたのだとしたら何かがいる可能性は十分にあるが、廊下を歩いてエレベーターを見つけても、俺には何も感じられなかった。巽も首をひねったのは最初の入口だけで、あとは普通に歩いているし何かいると言うこともない。

「六階だったよな」
「ああ」

 一階に降りていたエレベーターに乗り込み、6と書かれたボタンをぽちりと押す。中は電気がついていたので人心地ついた。

「六階の第三講義室?」
「おう」

 上部の階数表示が順調に上昇しているのを眺めていると、六階にランプがついてしばらくしてからゆっくりと止まった。やけに表示と到着にラグのあるエレベーターだなと思いながら、巽とともに降りる。
 十一号館は基本的に大学の事務部が占めている校舎だし、上の階にある講義室は俺たちの学部では使わない。迷子になりながら第三講義室を捜すことしばらく、ふと、巽が足を止めた。

「ねぇぞ、第三講義室」
「まだ突き当りまで行ってねーじゃん」
「いや、ここさっき通った」

 ひく、と顔が引き攣るのがわかった。
 巽が指さす先には、先程降りたばかりのエレベーターがある。

「じゃああれか、A館みたくドーナツ状だったと?」
「だったらいいけどな」
「…………」

 嫌な沈黙になった瞬間、エレベーターの扉が音もなく開いた。
 どきりと心臓が暴れ出す。咄嗟に胸を両手で押さえると、光の溢れる箱の中から女性が一人降りてきた。職員の人だろうか、小奇麗な格好をした女性は俺と巽とは反対方向の廊下へ歩いていく。
 なんだ人間かと思って胸を撫で下ろしたところで、隣に立つ巽が尋常でないほど険しい顔をしていることに気付いて再び緊張が走った。

「おかしいだろ」

 歩いていく女性の後ろ姿が、廊下を左折した。

 俺たちはさっきあそこの突き当りを左折してきた。右にも前にも道がなかったからだ。そしてここまで戻ってきた。
 ――道がないはずの方に曲がっていったあの人はどこに消えた?

「あっちは行き止まりだ」

 呑気にもなんだ人間かとか思って安心していた俺を叱咤するように巽が言葉を重ねる。

「大体こんな時間に何やってんだよ」

 心臓が破裂しそうなくらいどきどきしていた。あれが人間じゃなかったのは痛いくらいわかったからもう黙ってほしい。恐怖で指先から力が抜けていくようだった。
 巽はおもむろに女性の消えた角に向かって歩き出す。

「おいやめようぜもう……帰ろうって……」

 日本男児としてたいへん情けない台詞が喉の奥から零れたが、こんなところで一人取り残されるのも死ぬほど怖いというか死ぬかもしれないので、ふらふらになりながらついて行った。元ヤンの巽はどうも幽霊相手に物理攻撃でどうにかしようとするきらいがあるのだが、今日はその相棒の金属バットがないので心許ない。

 果たしてそこは行き止まりだった。
 防火扉に突き当たり、左にも右にも廊下は伸びていない。

「……俺たちさっきこっちから来たよな?」

 右側を指さすもそこには壁があるのみだった。
 眉間にツンドラ級の皺を刻んだ巽がくるりと踵を返す。一刻も早くここを離れたいのは俺も一緒だったので駆け足気味に後を追うと、エレベーターの前で立ち止まった。

「階段なかったよな」
「…………なかったな」

 先程巽と迷子になった道のりを思い返す。ないはずの道から自分たちが出てきたことは置いておいても、ひたすら第三講義室を捜した道のりに階段があった記憶はない。

 巽がボタンを押そうとした瞬間、扉がひとりでに開いた。
 ――なんでまだ呼んでないのに開くんだよ!
 恐怖のあまり半ば苛立ち紛れに二人して乗り込むと、巽が乱暴に閉まるボタンを連打した。嫌になるほどゆっくりと扉が閉まる。途中で青白い手が無理やり扉を抉じ開けようとするとか、扉の隙間に人ならざるものが覗きこんでくるとかいうようなことはなかった。
 数秒、俺と巽の呼吸の音だけが響く。
 僅かな浮遊感に揺られること十数秒、扉が開いたのでエレベーターから降りて、そこで愕然とした。

 そこが六階だった。

 エレベーターから降りた目の前の廊下の壁にフロア地図があり、でかでか「6F」と書いてある。
 ――そういえば最初に乗った時、やたら階数表示のランプと到着までにラグのあるエレベーターだな、って思ったっけ。

「……俺、今後十一号館で講義があっても絶対取らない」

 心の底から絞り出すと、無言でうなずいた巽と一緒に第三講義室へ向かってUSBを回収し、今度はちゃんとあった階段で一階まで下りた。一分一秒でも早くあのお化け屋敷に帰りたくて急いだ結果アイスを買い忘れ、師匠にはしばかれた。解せない。
 余談だがこの日からしばらく、俺と巽はエレベーターが怖くて乗れなくなった。

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