「なあ、秋津あれ視えるか」
ある日、巽が俺の肩を叩いた。
前期の考査を直前に控えた七月も末の頃で、俺たちは相も変わらず師匠の家もといお化け屋敷に入り浸っては、レポートを作成したり勉強をしたりゲームをしたりだらだらしたりしていた。師匠はどうやら学業で忙しいらしく、俺たちを追っ払いはしないもののいつもの心霊スポット巡りや百物語はしばらくお休みとなっている。
その憂さ晴らしだかなんだか知らないが先日、手近な心霊スポットである幸丸大学十一号館にけしかけられた。
後日、学部の友人に探りを入れてみたら、どうもあそこは色々起きると有名らしい。六階で集団自殺があったという噂があり、度胸試しに訪れる学生が後を絶たないものの、呼んでもいないのにエレベーターの扉が開いたり、誰もいなかったはずなのに廊下の電気が明滅したり、幸丸大学一の心霊スポットとして堂々たる心霊現象が起こるようだ。
だが誰も、俺と巽が紛れ込んだ『幻の七階』のことは知らなかった。
閑話休題。
次の講義が行われる教室へ向かいながら巽の指さす先を見たものの、そこにいるのは数歩前を歩く学科の友人たちで、至っておかしなところはなかった。いつも通り昨日のテレビの話をしてはけらけら笑っている。
「そこじゃなくて、足元」
「ん? ……んん?」
その姿を見ながら今日も平和だなと思っていたら、巽はその中のニシノという男の足元を指さしていた。
ニシノは貧乏学生ながらたいそうお洒落な奴で、一緒に講義を受けているグループの中では頭一つ飛び抜けて顔と愛想がいい。中学や高校ではクラスをまとめるリーダータイプだったんだろうなと想像がつくし実際そうだったらしく、知り合った当初はそのまばゆいばかりのパリピ臭に若干恐れをなしていたが、慣れたら意外とただのばかだった。
そのニシノのデニムの周りに、何やらでっかい毛玉がまとわりついている。
ケサランパサランを何十倍にも膨らませたようなもので、大体サッカーボール大くらいだろうか。ふわふわの白いそれは廊下を歩くニシノの右足に飛び付いたり、並んで歩いたり、たまに蹴られたり、左足に掴まったりしている。頭も手足もない。
「……いつからあんなの憑けてんだ、ニシノのやつ」
白い毛玉が階段を転がり落ちた。ニシノの後ろを歩く俺たちの横をころころと転がっていくと、また階段を上がっていっては足にまとわりつく。
「わからん、さっき気付いた。……害はなさそうだから放っとくか」
「ニシノも気付いてないもんな」
俺たちに視えているああいうものは、大抵の人には視えていない。
そういういわゆる幽霊とか妖怪とか何やらかんやらよりあと、神霊に至るまでのものひっくるめて、師匠は『ヒトでないもの』と呼んだ。
世界には層がある。
俺たち人間の住む層の他に、何十、何百、それこそ八百万の層が重なって全ての世界ができている。そして人間が物理的に関与できる層の他は全てがヒトでないものの棲家なのだそうだ。
そしてそれぞれの層を生きるモノは、同じ層のモノしか五感として認知できないのが一般的である。
その例外が俺たち、巷に言う『霊感のある人』、師匠が言うには『見鬼の人』。
人間以外が生きている層の波長に、自分の生きている波長を近付けることが、無意識本能的に得意な人なんだそうだ。普通の人たちよりもちょっとだけ、そうでないものに近いということ。
師匠にかつて教えてもらったその理論は特に根拠や典拠のある話ではなかったけど、ざっくばらんに「幽霊が視える」というよりは、地に足のつく感じのする話だった。
とはいえ、ヒトでないものには謎が多い。
特に俺は見鬼が特別強い方ではないし、物心ついた頃から危うきには近寄らぬスタイルを貫き通してきていたので、ああいうものと向き合い始めたのは大学に入ってからだった。
つまり、ニシノにまとわりつく毛玉が何だかわからん。
俺よりかは見鬼の強い巽が害はないというのだからないのだろう。こういうものは、害意があるやつはとても厄介だが、そうではなくて何も考えていないものとか何が何だかよくわからないものは、雨の日に地面を跳ねる蛙みたいなものなのだ。
毛玉は結局ニシノから離れることなく、一日中足にまとわりつき続けた。