「…くぁあ…」
ギンコが大きく口を上げて欠伸をする。時は昼近く…
「おはよーさん」
隣に居た帝江に声をかける。
「おはよ。帝江、おはよう、だ」
「……お、はよ…う…?」
首を傾げながら自分の言葉を繰り返す帝江にギンコは笑みを浮かべる。
ギンコは昨日の残りで朝餉を済ませ、帝江の手を引いて歩き出す。
やがて森の空気の中に潮の香りも強くなり森を抜けると丘の上。眼下に広がる久々の漁村にギンコはフゥとため息をつく。
「帝江…、海だぞ」
丘を下りながら二人で海を臨む。
そのまま化野の家へと向かうが、当の化野の姿が見当たらない。どこかに出ているのだろうと、ギンコはしばし待つことにした。
縁側に並んで座り、ギンコは蟲煙草をふかす。
そして海のある方角から聞き覚えのある声がギンコの耳に届いた。
「おっ、ギンコー。久しぶりだなー!」
呼ばれて振り向けば、自分に向かって手を振り上げる右目に丸い片眼鏡を宛がう黒髪の男。
彼が化野だ。
片方の手にはパクパクと口で息をしている魚が入った魚籠。
どうやら飯の食材を調達してきた帰りだったらしい。
「あぁ、久しぶりだな。…すまんがまた蟲が寄るまで世話になる」
ギンコは腰を上げ、化野は久しぶりの再会にギンコに向かって歩き出した。
「おぉ、見事だな」
近づいた化野が縁側に座っている帝江を見て目敏く声をあげる。顎に手を当て吟味する様な真剣な眼差しにギンコは気付いた。
「あのな、化野」
「もしかして蟲関係か?」
興味津々の声、元々収集癖のある化野は蟲に関連する物には更に喜びを感じる質で、今まさしく帝江を見つめる化野の眼差しはそれらを愛でる時と変わらない目つきだった。
「わざわざ見せびらかしに来ただけじゃないよな?」
もっとよく見ようと眼鏡をかけ直し身を屈めた化野のやや興奮気味の声が帝江の耳元で聞こえたが、当の帝江はまだ反応を示さず、化野の執拗な視線を浴びてるにも関わらずぼんやりとしている。
大人しく黙ったままの帝江の瞳は憂いを含んだように伏し目がちとなっている。…その様子は、
「しかし見事な人形だな、一体どんな蟲のいわくつきなんだ?しかもこの造り…遠方で有名な名工の作だろう。まるで生き人形じゃないか、この目や唇なんか特に…」
陶器の様に透ける白皙の肌。
絹のような灰色の髪。
まるで夜に浮かぶ月をはめ込んだような深く澄んだ灰色の瞳…。
美しい人形……そう、化野は帝江を精巧な絡繰り人形か操り人形か何かと判断したらしく、見事だと感嘆し、頷きながら帝江に手を伸ばす。
「おい化野…っ」
ギンコが制止の声を上げたものの…
「ぅおっ!?」
帝江の頬に触れた化野がバッと手を離す。そこに柔らかな感触と温もりがあったからだ。触れられたことで化野の方を振り返る帝江。
「なんだこいつ生身の女じゃないかっ!」
「…お前さんが勝手に人形と勘違いしたんだろ、正真正銘生身の嬢ちゃんだよ。まあ、蟲の気がまだ抜けてねェみたいで、ちとぼーっとしてるけどな」
「ならもっと早く言えっ!」