15

「よく降るな…」


 梅雨入りが始まり、毎日続く長雨に、ギンコが化野家の縁側で薬を調合しながら呟いた。
 化野の家に帝江共々寄寓になり始めた矢先に突入し、続く偏降り。
 旅を始めたばかりの帝江にこの霖の中の旅はつらいだろう。
 ここに訪れる頃合いを合わせた訳ではないけれども、今化野の家で世話になるのは正直ギンコにとってもありがたかった。
 蟲もまだ寄る気配はない。
 しかし、咥えた蟲煙草に火をつけて、ギンコは縁側の隅でまた空を仰ぎ見ている灰色の髪の娘に視線をやった。


「帝江」


 同じ縁側に居る二人だが、隣に居るというわけではなく、少しばかり距離がある。呼ばれた帝江は空から視線を下ろし、ギンコを見る。


「?」


 ちょいちょいと手招きされ、帝江は立ち上がり、ギンコの傍に腰を下ろした。


「今日は冷えるからな…あんま外、出るなよ」


 帝江が空を仰いでいるのを見る度、自分の機嫌が降下していくようになったのはいつからだったか。
 最近は少しずつ自我らしきものを感じるようになったが、以前は違った。本当に抜け殻のような面持ちで。それでも、帝江は出逢った時から、空を見ていた。蟲がそうさせているのかとも思われたが、蟲の気配が薄らいで行くのに反して、空を見上げる時間は増えていった。それは蟲の影響ではないことを証明していた。
 ただただ空を見る。何かを待つかのように。


(そう感じてからだったか…)


 ギンコが知らない何かを帝江は待っている。そう感じるようになってからだ。ギンコの中で、帝江のその行動が何か引っかかるようになったのは。
 梅雨寒にギンコは帝江の肩に外套をかけてやり、しばしその顔をジッと見つめる。
 見つめられた当の本人は、自身にかけられた外套を見つめて首を傾げる。


「あり、がとう…?」
「ああ」


 いつものように、言葉を発した帝江の頭をわしゃ、と撫でてやり、躰を横たえてひと眠りしようとした。


(…………あ?)


 床に手を突っ張らせて、横たえようとしていた躰を持ち上げる。碧眼を丸く覗かせて、帝江を見上げる。外套をかけたら、【ありがとう】と返ってきた。まあそれは別段気にするようなことではないはずだが、言葉を理解していない帝江が口にした。
 また一つ、通じた、とギンコは口元を緩め、今度こそ寝転ぶ。
 雨が続けば気も滅入る。が、たったこれだけのことで気分も変わる。
 この気分のまま眠りにつこうとしたが…


「おいおい、こんな昼間から何ゴロゴロしてんだよ」
「…あ?」


 枕元で声がして、ギンコは床の上で仰向けになり、自分を見下ろす人物を見上げる。
 そこには腰に手をあて片手には箒を持つ化野。ご丁寧に頭には三角頭巾を巻いていた。


「よぉ、精が出るな。化野」
「【よぉ】じゃねぇだろ、居候。ちっとは手伝え」


 見下ろす化野の視線から逃げるようにギンコは再び外の方へと寝返りをうつ。


「…蔵のもんはみんなお前さんが愛でているもんだろが…」


 手伝ってもいいが止まらない自慢話しと、うっかり触るだけであーだこーだ言われるのが目に見えているので。ギンコはそんな目に遭うなら端からしないと雨の音を聞きながら目を閉じた。


「…帝江は手伝いしてくれるよなー?」
「こいつはだめだぞ」
「わーってるよ。掃除も知らねぇんだろ?これを機に覚えさせりゃいいだろうが」
「そうじゃなくて、こいつは蟲に同調しやすいたちなんだよ。蔵には近づけない方がいいんだよい」
「同調しやすい…?」


 ギンコの言葉に化野は帝江へと視線を向ける。


「おい」


 まさかと思ったが、ギンコは化野を訝しむように見上げた。


「な、なんもしねぇよ。な?帝江」


 そうギンコが言ったものの化野が帝江の腕を掴み引き上げる。


「……?」


 腕を引かれるまま立ち上がった帝江。


「帝江ー、雨だからってな。ぐうたらしてばかりいたら駄目だろ」
「…?」
「お兄さんと遊ぶか?」
「遊ぶっておまえ…」


 二人共そんな歳かとギンコは内心思ったが、帝江の言動はまだ子供のそれと変わらないかとも思った。
 ギンコがそんな事を考えていると…


「ごめん下さい。化野先生いますか?」
「こんな雨降りに客か?」


 玄関から聞こえてきた声にギンコはやっと床からノソリと起き上がった。


「…いおに頼んどいたものがあってな。あぁ、いお…今行く」


 帝江の手を離し、玄関に向かう化野にギンコは首を傾げる。
 玄関から化野と、そのいおの話す声が聞こえた。
 そんな声にギンコは立ち上がり盛大に溜息をついてからドスドスと足音立てて玄関に向かう。


「おい、化野。またいおに迷惑かけてんじゃねぇだろうな」


 居間から顔を出したギンコに、傘を閉じていたいおはぺこりと丁寧に頭を下げた。そして、手にしていた荷物を思い出しギンコに風呂敷に包まれた物を差し出した。


「はい、ギンコさん」
「…あ?」


 訳が分からないギンコだったが、とりあえずそれを受け取って風呂敷を解いて見れば…


「着物…」
「村の奴らに頼んどいたんだよ。もう使わない着物をわけてくれないかってな」
「そしたらみんな、けっこう持ってきてくれて…修繕も手伝ってくれたんだよ」


 「だからほら、すごい綺麗なの」とギンコの手にある着物を見て言った。
 帝江が元々着用していた衣服はここでは目立つし、呉服屋で買ったもの一着では心許ない。
 そんな帝江を化野が見兼ねていおに帝江の新しい着物を頼んだのだ。


「…そうか、すまんな」


 ギンコの礼に微笑むいお。


「帝江さん」


 それから帝江に視線を遣った。
 帝江は素直にいおに近付いて行く。


「帝江さんはどういうのが好きかな?」


 着物を広げて帝江にあてがってみるいお。
 きょとんとしている帝江はいおが何をしているのかわかっていない様子。


「帝江、【ありがとう】だろ?」
「……ありがとう…いお」


 ギンコに促されて帝江はそう言った。


「!どういたしまして」
「助かったよ、すまんね」
「全然」


 二人が話しをしている間に、化野は帝江を連れて居間に向かう。


「…雨が強くなりそうだから帰りますね、えと…化野先生は?」


 しばらく話し込んでいた二人だったが空を見上げたいおがギンコに尋ねれば。


「…そういやさっきから姿が見えんな」


 ギンコも聞かれて土間を見回す。


「なぁおい、ギンコ、いお」


 噂をすれば化野の声。
 居間から聞こえてきた声にギンコといおが振り返った。


「可愛いだろ?」


 居間から帝江の背を押しながら出て来た化野。
 紺碧の布地に小さな花柄をあしらった着物に身を包む帝江。
 「着物が変わっただけで印象も変わるもんだろ」と化野が言いながら玄関に戻ってきた。


「大きさは大丈夫みたい。よかった。帝江さんすごく似合ってます」


 早速袖を通した着物を見ていおが笑えば、帝江はいおに近付いた。


「?」


 三人がどうしたのかと見守っていると…


──ぎゅ…


「!」
「いお…」


 いおをそっと抱き寄せて、頭を撫でていた。


「帝江さん…っ?」


 名を呼ばれた帝江がいおから少し離れる。少し首を傾げる様は、嫌なのか?と言っているようにも見えて…


「い、嫌じゃないよ!」


 咄嗟にそう言うと、伝わったのか、ぎゅっと抱き着きなおした帝江だった。


「なんか…いおにはすげぇ懐いてるような…」
「いつも…こうじゃないんだ?」
「ああ、帝江から来る事は無いな…」


 いおは帝江に抱きしめられたまま、若干落ち込んでいるように見えるギンコと化野の姿を見たとか…