16

「なぁ、ギンコ」


 囲炉裏の側で夕餉をとり終わりくつろいでいたギンコと化野。


「…ん?」


 相変わらず食事はとらず、縁側でのんびりしている帝江を見ていたギンコが呼ばれて顔を上げる。


「蟲はまだ大丈夫なのか?」


 蟲煙草の草を香のように部屋で焚き漂う煙り。
 ある程度、日持ちはする。


「…まだ気配は感じられんよ」
「そうか、……った」


 徳利の酒を猪口に注げばぶつかる陶器がカチンと音を立てた、クッと煽る化野の言葉の途中が聞き取れなくてギンコが前に身を屈める。


「すまん、今なんつった?」


 そんなギンコに化野が小さく笑って首を振った。


「なんでもないさ」
「?」
「なんでも…、な…」


 縁側に座り、こちらに背を向けている帝江を見る化野が、まるで慈しむかのように。
 その化野の視線をギンコが見て不思議そうに首を傾げた。




















 翌日は、梅雨時にしては珍しく晴れ、差し込む淡い光りと穏やかな波の音にまだ誰も起きていない早朝、帝江が一人うっすらと目を開けた。
 しばらく仰向けのまま天井をぼんやりと見上げてから起き上がろうとする。


「…………」


 しかし、起き上がろうとしたのだが自分の躰をがっちり掴んでいる腕に帝江はまた布団の上に寝転がる様に戻ってしまった。


「あー、わかったわかった…」


 耳元に聞こえてきた低い声に帝江は頭だけ動かして間近にまだ寝ているギンコの顔を見る。
 しかししっかりと目は閉じていてどうやら動いた帝江に半ば眠りながら反応したようだ。
 ぽんぽんとまるで父親のように優しく、帝江を寝かしつけようと躰を軽く叩くギンコの手が徐々にゆっくりになって、仕舞いには止まってしまう。


「……。」


 身動きできない帝江がまた頭だけ動かして細く開いた襖、隣部屋で寝ている化野をぼんやり見つめればゆっくりと上下に動いている胸が見える。
 帝江がゆっくりとギンコの腕の下から這い出した。


「…ん」


 ギンコが動く気配にぴくりと反応したが、しばらく待っても動かなかったため、帝江はその腕を持ち上げ這い出し布団から出ると立ち上がり、静かに襖を開ける。


「…………」


 布団を蹴って眠る化野を遠巻きに歩き見ながら、外へ向かう帝江だが、一人だけで起きている静かな時間…。
 聞き慣れていた筈の波の音がやけに耳に貼り着いて、不思議に思いきょとりと顔を上げた。
 戸を開ければ白い光が目に痛い。涙が滲む目を拭い、瞼を庇っていた手の平を離しながらゆっくりと灰色の瞳を開けた。
 一面の青。空も海も。


「…………」


 しばしその光景にただただ見入る帝江だったが、やがて海に向かって一人歩き出す。
 サクサクと鳴る砂浜を歩いて波打ち際に。
 ギンコはここの事をなんと言っていたか。忘れてしまった。


(のじゅく…むし…しめじ…)


 どれもしっくりこない。たぶん違うのだろうと帝江は足元に寄せては返す波を不思議そうに見つめた。


「!、」


 しかし初めて間近に見る海は色んなものがあり、帝江は何かを見つけて興味をそそられ、それに歩み寄る。


「…?」


 巻き貝がカサカサ動いていて帝江はそれをそっと摘み上げるが見えてた足が中に隠れて帝江は訝し気な顔して貝殻を覗き込んだ。
 こんな時ギンコがいれば【宿借り】だと教えてくれるだろう。
 一向にうんともすんとも言わなくなった発見物に飽きてまたそれを砂の上に置く。
 その時砂浜をカサカサ歩く蟹を見て、そちらに意識を持っていかれる。


「!?」


 手を伸ばしてきた帝江に威嚇でその指をハサミで挟んできた蟹に驚いて帝江はビクリと固まる。ジンジンと痛みは退かず、帝江は目を細めた。


「───♪〜」
「───♪〜」



 帝江は痛みに耐えつつ、熊にしたように唄を歌い始めた。


──〜♪


 その歌声は浜に響き、村にも爽やかな風と共に流れ行く。
 暫くすると蟹が自主的にポトリと落ちた。
 離れたことに気づいた帝江は歌を止めて、挟まれてほんのりと赤くなった指がじんじんと痛むのを不思議そうに見つめる。


──さわ…


「?」


 風が吹き、帝江が顔を上げた。


「…あだしの」


 籠を小脇に抱えた化野が、目を丸めて帝江を見下ろしていた。此処へ来る途中聞こえてきた歌声に惹かれ、そのまま足を進めればそこに居た帝江。
 化野は帝江が歌い終わるまで、そこで見つめていたのだ。


「おまえ…そんな特技があったのか!」


 帝江の前に来ると化野はしゃがんでいる帝江と同じようにしゃがみ込み、目線の高さを合わせてくしゃくしゃと灰色の髪を撫でた。


「驚いたぞ〜帝江!あんなに歌上手い奴は他にいねぇ!」
「?」
「しっかし早起きだな。なんかいいもの見つけたか?」
「…?」
「俺か?俺は朝飯になるもの探しに来たんだよ、手伝ってくれるか?」


 と言っても通じるかどうか。
 そう思ったものの、帝江は化野が持つ籠を見て、いつも籠の中にいれているものを思いだそうとしていた。
 そこで、歩きかけた先程の宿借りをまた手にして化野に差し出す帝江。


「いや…、さすがにそれは遠慮する…」


 とりあえず帝江は海藻な、と波打ち際にあったワカメを見せれば帝江はちょこちょことワカメを拾って歩く。


 その時、砂地に開いてた小さな穴に気付いた帝江がしゃがんで穴を指で突いた。


「?」


 その小さな穴の中に浅蜊がいるなんて当然わかる筈もなく、帝江はゆっくり身を屈めて小さな穴をじぃっと覗き込んだ…途端、


──ぴっ


 危険を察知したのか浅蜊が砂水を噴いて、それが帝江の大きな目に直撃…


「!」


 滲みる目を押さえたが、痛みは一向に引かない。軽い傷ならばすぐに塞がるはずなのに。痛みが引かないのはどうしてだろうと帝江も首を傾げる。
 もしかしたら向こうに原因があるのだろうかと攻撃してきた者の正体を探ろうと砂を空いている手で彫り返し始めた。


「どうした?」


 ワカメを拾っていたはずの帝江が砂を掘り出したので、何か見つけたのかと化野が声をかけた。


「おー、アサリか」


 帝江が片目で見つめるのは、砂だらけの手に摘まれた浅蜊、化野が浅蜊を見て歓喜の声を上げる。


「すごいじゃないか、帝江…っと…どうした?」


 だがいつまでも目を押さえている様子に、化野は何事かと立ち上がり前に座って手を退けさせてみた。目が充血している。そして帝江の手の中の浅蜊。


「ははは、こいつにやられたのか。…大きい目だからなにかと入りやすいのか?どれ…」


 前髪を掻き上げて目を診てやれば、砂が目に入ってしまっていて、成る程…こりゃ痛い筈だと化野が帝江の頬を手の平で包んだ。


「あだしの…?」
「砂取ってやる、動くなよ」


 帝江の瞼に唇でそっと触れる。


「…!」
「動くな」


 目に直接触れる化野の舌に帝江がビクリと肩を震わせ戸惑い、顔を横に反らそうとしたが、今度はその声に身を強張らせた。
 砂が瞳を傷つけないように丁寧に舌で舐め取る。


「…」


 瞳を熱い舌でなぞられる感覚に最初はびくついていたがやがて痛みが消えていく事に気付いた帝江が力を抜いて大人しく化野に身を任せた。
 捕まえていた浅蜊が力の抜けた帝江の手から砂の上に落ちる。
 その時、二人の側までうち寄せては引く波に浅蜊はまるで二人から距離を置くかのようにコロコロと転がりながら波に掠われていく。
 帝江はそんな波の音を聞きながらしばらくぼんやりと痛くない片目で化野の黒い髪を見つめていたが、やがて。


「…ん、…っと、よし取れた」


 口に入って来た砂の感触に化野が唇を離した。


「まだ痛いか?」


 舌についた砂を指で摘んで出しながら化野が聞くと、しぱしぱと目を瞬かせた帝江の眼が少し元に戻って行くのがわかった。


「大丈夫そうだな」


 立ち上がりポンッと頭に手を置いてからその手を帝江に差し出した。


「?」
「アサリ」


 なんのことか分からずに首を傾げた帝江に砂の上に落ちていた浅蜊を指差し笑う化野。


「あさり」


 いつの間にか遠巻きに佇んでいた浅蜊を追い掛けた帝江はまたうずくまりそれを拾いあげると戻り、化野の手に乗せる。


「怪我の功名だな」


 籠に浅蜊を入れて帝江の隣にしゃがみ込むと砂を掘り始めた。
 少しすると籠の中には貝やら海藻やら帝江が見つけた石蕗ツワブキやらでいっぱいになっている。


「あだしの…いいもの?」
「いくないな、ヒトデの食べ方は知らんぞ…」


 朝早い他にまだ誰もいない砂浜に座り込みながら化野は海に膝までつけて波を見つめる帝江を見つめた。
 海風に靡く髪、海面で跳ねる朝日を受け光を湛える帝江の瞳。


「ん…、そういや…」


 瞳という言葉に突然、何かを思い出した化野は籠の中の浅蜊の中から「…さっきのは…、お前だな」と、帝江の見つけた浅蜊を摘み上げる。


「ありがたく思えよ?見逃してやるから」


 白っぽい二枚貝をジロリと睨み、それから砂浜を浅く掘った。


「…できたらまた、な」


 砂の中に浅蜊をそっと埋めて、


「帝江ー、そろそろ戻るぞ」


 波に足を浸す帝江に呼びかければ振り向いた。


「あだしの…」
「ん?」


 自分の所まで来た帝江の手を握り家路に向かう。
 繋いだ手に、その体温に込み上げてくる、幸福感。


「いたい…、ありがとう」
「ん?…あぁ」
「帝江、化野ー」


 家路につく二人の耳に届く、ギンコの呼ぶ声に二人がそちらを見れば


「…朝っぱらからどーこほっつき歩いてやがんだよ」


 難しい顔をしながら頭を掻いているギンコが居て、砂浜から手を繋いで戻ってくる二人を見つめている。


「おい、こら居候。口開いた途端にそれかっ」


 気の置けない者同士の悪態の応酬。


「せっかく飯の材料探してきたってのに…、帝江はちゃんと手伝ったぞー」
「へぇ、帝江が?…おかげで起きた時は焦ったがね」


 ギンコが帝江を呼ぶと、その声に帝江が顔を上げる。


「ほら、来い」


 ギンコの声を聞いた途端に力の緩んだ細い指、一瞬帝江と繋いだ化野の手に力が込められたが…


「…帝江、ほれ。お父さんが淋しがってるから行ってやれ」


 帝江に顔をジッと見つめられ、それが自身の胸中を見透かされたようで、繋いでいた手を解いて、ぽんっと背中を押してやった。


「……」


 帝江は視界の端から化野が消えるまでその姿を見ていたが、ギンコの元へ歩いていく足は止めない。


「…ぎんこ」


 真砂で歩きづらい砂浜からやっとギンコの元へ辿り着いた帝江がその名を呼べば、ギンコがその手を掴んだ。


「…あんま心配させんなよ」


 耳元で囁かれた小さな声。
 深く強く抱きしめられ、ギンコの肩に顔を乗せたまま白い髪と青い空を見ていた帝江が瞳を閉じてギンコの背に腕を回した。
 そんな帝江とギンコの様子を海からの風を背中に受けながら微笑み見ていた化野が、海風で乱れる自分の黒い髪をくしゃっと掴んだ。


「…やっと雨あがったな」
「…あー」


 朝飯を食べ終わり縁側で空に薄く掛かる虹を見上げながらぼーっとしているギンコと化野。
 そこから少し離れた場所に釜の中で砂を吐かせている真っ最中の浅蜊達を覗き込んでいる帝江がいる。
 浅蜊が砂を出す為に貝を開いたり閉じたり、二本の角を出したりしているのが見ていて面白いらしい。


「帝江、砂出さんと食えないぞ?」
「ありゃ、見てるだけで面白いんだろうよ」


 勝手に憶測しながら真剣に浅蜊を見ている帝江に二人が笑った。


「に、しても暑い」


 久々に晴れたものの太陽が照り、湿気が立ち上って化野は団扇に手を伸ばす。
 バタバタと音を立てて団扇を扇げば流れてきた風にギンコが目を閉じた。


「…おー…、涼しい涼しい」
「自分で扇げっ」


 縁側で寝そべるギンコが暢気に笑えば化野がキィッともう一つの団扇を放る。


「ん…帝江。ちょっとこい」


 扇ぐのすら億劫なのかギンコが振り向いた帝江に手招きする。


「…?」


 寝そべるギンコの前で帝江が床にぺたんと座った。


「ちょっとすまんな」


 帝江の膝に頭を乗せて、程よい帝江の肌の温もりにギンコは気持ちよさそうに瞳を閉じる。


「暑いんじゃなかったのか、おまえ」
「あー…ほれ」


 ギンコが落ちていた団扇を拾って帝江に渡す。渡された団扇と、依然として扇いでいる化野を交互に見て、帝江は化野の真似をして団扇をギンコにパタパタと小さく扇ぎ始めた。


「んなことしなくていいんだぞ、帝江。こんな奴のために」
「これも練習だろ」
「何様だ、お前は」
「んー、…【今は】旦那様」
「ったく……そういや、帝江は歌が得意だったんだな。驚いたぞ」


 会話すらおぼつかない帝江がまさか歌えるとは思わなかった。


「…ああ、今朝のやつか…」
「聞こえてたのか?ギンコ」
「まあな……前に一度聞いて、けっこうせがんでみたんだが、うまく伝わらなくてな…」


 「あれ以来聴けてなかったんだよ」とそう言いながら苦笑を零すギンコ。


「そうか…まだ歌っつう言葉を知らないわけか」


 残念そうに漏らす化野。


「なんで歌ってたかわかるか?」
「さあ…」
「だよなぁ…なあ帝江、歌ってくれよ」
「?」


 二人の会話に首を傾げる帝江だった。




















 微かな風に揺れるギンコの白い髪、心地良い風と帝江の膝や体温にその内聞こえてきたのはギンコの寝息。


「…帝江が動けないだろうが…、この旦那様は」


 伸ばした足でギンコの脇腹を突くとその躰が擽ったさに一瞬ビクリと跳ねたが床にゴロンと転がって逃れれば、そのまままた寝入ってしまう。旅をするギンコにとっては木の床ぐらいはさほど気にならない、むしろ安寧に感じるくらいの寝心地らしかった。


「…帝江、西瓜食べるか?」


 暑くて堪らなくなったのか、胸の中に団扇の風を送っていた化野がさらに涼を求めて立ち上がる。


「すいか…?」


 自分にではなくギンコに団扇を扇いでいた帝江が初めて聞く言葉を繰り返した。


「甘いぞ?食うか?」


──ふるふる


 首を横に振る帝江。
 化野の家に来てからも、帝江は何も食べていない。
 毎日のことではあるが、がっくりと肩を落としながらも化野は部屋を出る。
 その西瓜を外の井戸で冷やしてあるのか、草履をつっかけて化野が外へ行ってしまえば部屋は一時静まり返り、帝江は青い海に再び目を向けた。


──チリーン…


 風鈴が海風に揺れ、僅かに音を立てる。
 そして帝江の視線の端で風に揺れる白色。ギンコの髪だ。


「…ぎんこ」


 眠っているギンコの寝顔を再び見つめて帝江はギンコの左目を隠す前髪をぎこちなく掻き上げた。


「……」


 前から不思議に思っていた。光の元で見ても普段、真っ暗闇のうろのような瞳は今は閉じられている。


「…いたい…?」


 無くした左目…。
 瞼をそっと指先で撫でてから、しばらくギンコの顔を見ていた帝江がゆっくりと身を屈めた。
 痛いならそれを少しでも和らげてあげたくて…
 さらさらと帝江の灰色髪が床やギンコの顔に流れる。
 床に膝をついて小さく蹲り、柔らかい唇がギンコの左目の瞼に触れた。


「…ん」


 柔らかい唇が瞼に触れた時、ギンコが小さく声をあげたが起きる気配もなく、帝江はしばらくギンコの瞼に唇を押し宛てていたが、


「帝江…?」


 やがて柔らかい感触に気付いて起きたギンコの声。
 体勢をそのままに、呼ばれた帝江がすっと目を開ける。
 帝江の灰色の瞳が間近に見えて。
 ギンコの碧の瞳が間近に見えて。
 出会ってから、ただ後に着いて歩き、呼ばれるから見つめて、眠れと促されるから眠り、ただ嫌な事にだけ拒否を示して。
 嬉しいという感情が顔に出た時に優しくしてもらえるから何となく声を発し名を覚えた。
 そして今は、何か、してあげたい。名を呼ぶだけじゃなく、答えるだけじゃなく……何か。
 すっ、と帝江が顔を上げる。その表情は動いていないが、内心ではまだはっきりと答えの出ないそれに若干の気持ち悪さを覚えていた。


「……」


 一方ギンコも仰向けのまま瞳を見開いている。


──チリン…


 沈黙する二人の間に風鈴の音。


「帝江…」


 呼ばれて帝江がピクッと肩を震わせた。


「帝江」


 伸ばしたギンコの手が帝江の肩に触れる。


「ぎんこ…?」


 引き寄せられて、とんっ…とギンコの胸の上に倒れた。


「また降らなきゃいいな、雨」
「……」
「また…星でも見るか?」
「ほし…」


 ギンコの胸の上に凭れたまま、呟く帝江に天井を見上げながらギンコも微笑む。
 帝江の唇の触れた目を覆い、しばらく触れてからギンコは少し赤くなっていたかもしれない頬を小さく掻いた。


「おーい、帝江、西瓜ー」
「お?おー」
「お前、いい時に起きたな…」


 盆の上に切った西瓜をいくつか乗せて化野がひょっこり戻ってきてギンコと化野は縁側に帝江を挟んで座る。


「帝江、ほれ。西瓜」
「……」


 化野は一応手渡してみるが、帝江はやっぱり食べなかった。
 二人はそろって苦笑した。




















 やがて海風が涼しくなるころに瞬き始めた星の光。
 帝江が外に行こうとするのをぎんこが追いかける。
 そんな二人の様子に化野が虫よけの線香を持って立ち上がった。


「…!」


 縁側に出た帝江が空を見上げて目を見張る。ここにも見える光脈筋。そして満天に拡がる天の川。
 空と大地に対なる光りの燦爛。


「夜空がこうなってくると夏が来るって感じるよな」
「…ん、あぁ」


 庭にいる帝江を追って庭に降り立つギンコが、星空を見上げる帝江に近付く。そのすぐ後にやってきた化野の二人を見つめる帝江。


「ぎんこ…あだしの…」
「ん?」
「そら」
「「あ?」」


 帝江の言っている意味がわからなくて、二人が同時に顔を見合わせた。


「ぎんこ…ほし。あだしの…そら」
「「…………」」


 また二人同時に夜空を見上げて、


「「…あぁー」」


 白い髪のギンコが白く光る星。黒い髪の化野が夜空の黒。


「…うまいこというなー」


 化野が腕組みし空を見つめた。
 ギンコも空を見上げながら蟲煙草の煙をはく。


(…今の帝江は星が好きみたいだからなー…)


 嬉しい気持ちが込み上げてきて緩みそうになる口元に蟲煙草をくわえた。
 本当に帝江が伝えようとしたことは二人には伝わらなかったが、二人が嬉しそうなので帝江も嬉しい。
 帝江が見上げる空と星。それらが好き。それらとギンコたちが同じだと表現するということは、つまりギンコたちのことも同じように好きなのだ。
 好きと言う言葉も感情もわからない帝江が、漠然とそう思って口にした。
 いつか帝江が好きという言葉を知り、それを伝えられる日が来るのか。
 それまで、一緒に旅が続けられるのだろうか。


「…………」


 星空を見上げる帝江と化野をギンコはぼんやりと見つめた。
 目を閉じれば脳裏に浮かぶ光景。初めて帝江を見た、あの日の光景。
 自分は蟲を寄せるという体質だから旅をしていて、そして帝江を見つけて、帝江に憑いた蟲の気を落とすために帝江と旅をし始めた。


(でも…帝江の躰はもうすっかり治ってる。何も口にしねぇ理由が、蟲である可能性があるから…傍において…でももしその理由もわかっちまったら…その後は?)


 一緒に旅をすることが出来るのは、帝江の躰が心配だから。いや、連れて行こうとするギンコに対して、ついて行くか行かないかという自我すら薄いから。



(でも今は少しずつ自ら行動するようになって…)


 ギンコは小さく頭を振った。


(理由がわかったらも何も…、とっかかりすら見つかってないってのに何考えてんだ?俺は)


 自分に呆れて蟲煙草の煙りを大きく吸い込んでから吐き出す。


「…そもそも帝江と旅をするって決めたのは俺だしな…」


 口の中で小さく小さく呟いたギンコの言葉は夢中に空を見上げる帝江と化野の耳には届かなかったようで。
 その時、水平線の側の空にツイッと走った流れ星に、ギンコは一回の願いに三回分の願いを込めて心の中で切に願う。
 ───二人のこの旅が終わりなきように。
 帝江がいつかは自分の意思で自分の傍らでまた旅をしてくれるように。
 今はただそう願い、白と黒が彩る空の下で、三人で居よう。