17

 目蓋に触れる、温かい感触。
 目を開ければ、間近に見えた端整な顔に息をするのも一瞬忘れた。
 自分の瞼に触れた帝江のあの行動には、いったいどんな意味があったのか。
 ギンコはあんなことを教えた覚えはない。
 いや、どこで覚えただとか、そういう問題では無かった。
 あの日から毎日、眠る度にそれを夢に見てしまう。それが問題だった。
 あの日は帝江の肩を掴んで、顔を見られないように胸の上に倒した。けれど、夢の中の自分は肩を掴んだ後、その躰を床の上に引き倒すのだ。床に灰色の髪が散り、細い手首を掴んでその上に押さえつける。
 そうして抵抗もせずにこちらをじっと見つめる帝江の瞼に、自分がされたように唇を寄せる。


「ぎんこ…?」


 一度顔を上げて、広がる灰色の髪を見つめ、瞳に魅入り、再び引き寄せられるように、ゆっくりと身を屈めた。
 帝江の唇に自分の唇を重ねた。唇から伝わる柔らかな感触。
 抑えていた手首を登り、指を絡めて握ると、握り返してくる仕草に愛おしさを覚える。
 浅く、深く、絡むように、絡めるように…。
 そうして目を覚ますのだ。
 夢の内容は、少しずつ進んでいくように思う。明日はどこまで進むのか。


(…って、そうじゃねえ!!)


 枕をばふっと投げた。
 ジワジワと暑さが増す部屋。ギンコは暑さから少しでも逃れるため縁側の木陰で海風を感じながら仰向けになり、枝の間から見える空を見つめる。
 途切れ途切れに差し込む陽射しが時たま瞳に眩しくて目を細め…


「……」


 そっと、唇に触れた。
 何故、あんな夢を…
 いや、それはわかっている。今まで自分には関係ないと思っていたその感情の名くらい、知っている。
 しかし…それどころか、まだまだ感情に乏しい帝江にこの想いをぶつけるのはいかがなものか。いや、現実にそうしたわけではないのだから、罪は無い。
 だが、夢の中でああも帝江を貪るようにした行為に、罪悪感が湧かないわけではない。


「…ったく…」


 居たたまれなくなり、小さく呟いて起き上がった。


「おーい、ギンコ」


 蟲煙草の煙りを燻らせながらぼんやりしてれば、この家の主の声が聞こえる。村から帰ってきた化野の声だ。


「…ご苦労さん、村に変わりはないか?化野」


 化野を労うギンコの言葉。しかしそんなギンコに化野が目を丸くした。
 余程驚いたのだろう。手にしていた荷物を地面に落とし思考停止している。
 いつもと変わらぬ、些細な村の変化を気にする言葉だが…言葉の割にはギンコの心、此処に非ず…なのが一目瞭然だった。


「……おい…、」
「な、夏風邪か?…ギンコ。よければ診てやるぞ…?」
「…あのな…。」


 思考が繋がった化野が落とした荷物を拾い集めながら怪訝そうにギンコの顔色を見つめた。


「…顔色は平気そうだが、…なんか元気ないな。どした?」


 まるで見透かされたような気がしてギンコは化野から視線を反らす。


「…なんでもねぇよ」
「そうか?…煙草、灰落としてないぞ」


 言われて気付き、腕を伸ばして蟲煙草を親指で軽く弾いた。長くなっていた蟲煙草の灰が地面に落ちてクシャリと砕ける。


「夏風邪と言えば村の子供一人がそうだったが運悪く薬を切らしててな、ギンコお前なんか持ち合わせないか?」
「…蒼耳子そうじしくらいなら」


 そう言うとギンコは立ち上がり荷物を入れてある木箱のうち一つの棚からオナモミの実を乾燥させて作った薬草を取り出した。


「煎じて一日三回、食間に…な。」


後は任せたとギンコは薄い紙に包まれた薬草を化野にいくつかを化野に放る。


「すまんな、助かる。…っと、お前の分は?」
「俺はひいてねぇよ」


 そう言って棚の蓋をそっと閉めた。


「そういや帝江、どこ行った?」
「帝江なら……」


(そういえば、何処行った?)


 帝江を見ていない。
 ギンコはバッと立ち上がり、辺りを見回した。


「おい、ギンコ?」


 突然立ち上がったギンコに、化野が声をかける。


「見てねぇ」
「は?」


 二人はすぐさま家中を捜し始めた。
 隠れられそうな場所も手当たり次第に見て回るが、しかしその姿は見当たらない。


「……なあ、ここ…井戸、あったよな」
「!まさか…っ」


 二人の顔色が悪くなる。どちらが先に駆け出しただろうか。二人は一目散に井戸へと向かった。


「帝江!!」


 井戸を覗き込む。


「……いない、か…」


 二人して、は、と息を吐いた。
 心臓に悪い。


「じゃあ、何処行ったんだ?はっ…また海に行ったんじゃ…」
「いや、さっき行った時は居なかったぞ」
「くそっ…どこ行ったんだ…っ」


 村の方へ下りてみる二人。
 そうすると、意外とあっさりその姿は見つかった。










「あ、ギンコさん。先生」
「「…………」」


 いおの所に居た。


「あれ…?」


 二人が座り込む光景に、いおが首を傾げた。


「帝江さん、遊びに来てたの、言わなかったんだね…」


 二人の様子に察したようだ。


「帝江!」


 ガッと帝江の両肩を掴んだギンコ。


「…っ俺から離れるな!」


──ギリッ…


「おいギンコ!」


 ギンコの指が肩に食い込んでいる。ギンコと帝江の間に入り、二人を引き離す化野。


「落ち着けって。勝手にどっか行った帝江も悪いが、目離したまんまにしてたおまえも悪いだろ!」


 そうだ。夢のことばかり考えて、現実の帝江のことを疎かにした。


「、……悪い」
「……騒がせて悪かったな、いお」
「ううん、私の方こそ…」


 化野は帝江の手を握って歩き出す。三人は微妙な空気を漂わせて家路につく。


「…どうしたんだよギンコ。この間はそんな取り乱したりしなかったろ」


 帝江が一人浜に行った時のことだ。焦ってはいたが、こんなに取り乱すことはなかった。


「あん時は…おまえさんもいなかったろ。てっきり連れてったもんだと思ったんだよ」


 それにしたって慌てすぎだ。
 あの時は、まさか一人で浜に行けるなんて思いもしなかった。だから疑いもしなかった。けれど今は違う。
 帝江は自我を出し始め、以前に比べできることが多くなった。


「……」


 ギンコは帝江を見下ろす。


「…飯、用意してくっから。わかってんな?ギンコ」
「ああ…悪いな」


 そのまま立ち上がり二人を残して土間の方へと行ってしまう化野。化野が言いたかったのは、席を外してやるからちゃんと話をしろ。そしてよくわからんが妙な悩みを解決しろ。もう決して乱暴な真似はするな。ということだった。
 ギンコはその額を手の甲で擦ってから瞳を伏せた。


「ぎんこ…?」


 ギンコを見上げる帝江。


「ごめんなさい…?」


(違う…)


「俺が相手してやれなかったから…いおんとこ行ったんだよな…」


 その頭に手を置いて、笑顔を見せてやれば帝江もやっと安心したのか僅かに目が細められた。
 帝江は自分を慕ってくれている…んだと思う。
 だからこそ、思う。
 今自分が抱いている感情は、帝江に悪影響になるのではないかと。
 帝江に芽生え始めたまだまだ淡い感情に、自分の欲のままにこの感情を押し付ければ、帝江の感情も、この関係も、歪なものにしてしまいそうで。
 それこそ、純粋に慕う帝江への裏切りのようにさえ感じて…


「……帝江、時間をくれないか…?俺に…」
「ギンコ…?」


 帝江の頭を撫でながら、ギンコはぐちゃぐちゃになりそうな心を押し沈める。


(おまえのためになれるように…必死に考えるから)