20

 朝…。
 今度は波の音で目覚めたギンコ。


「あー…、日が高ぇ…」


 海から帝江と帰る時は、空が白みがかった東雲の刻、化野が起き出した音を聞きながらまた眠った帝江とギンコ。


「…帝江?」


 手探りで帝江を捜すが隣にいる筈の帝江がいない。
 とりあえず寝癖のついたままの頭で起き上がり辺りを見回した


「ぎんこ」


 縁側から声がして、ぼーっとしたまま頭を掻きながら捜していた帝江の声に振り向けば


「お前、それ…」


 初めて帝江にやった着物。


「やっぱり似合うな」


 碧の和らいだ瞳に見つめられ、帝江も僅かに目を和らげたように見えるのは、もう気のせいではないだろう。
 あの服を着たということは。
 帝江の背中を見つめ、しばらくそのまま考える。
 連れていきたい。
 でも無理はさせたくない。
 その時、カタカタッと軽やかな音がしてギンコが薬箱に目を向けた。ウロさんか。
 箱の中から響く音が止まらなくてギンコが立ち上がる。引き出しを開ければより一層響くウロさんが文を持ってきたと知らせる音。


「……」


 文を取り出し読み始めるギンコの背中を見つめていた帝江が縁側から地面に降り立つ。


「……あまり、遠くへ行かんでくれよ?」


 おいて行こうかというのに、少し離れるだけでも不安になるとは、情けないな。そう思いながらも声をかけた。


「……いっしょ、いる」
「!」


 帝江はそう言った後、化野を捜して蔵へと向かった。
 ギンコが口を抑え、俯いていたことに気づかず。


(顔…熱…っ)


 帝江が最近ますます言葉を覚えた。それは喜ばしいこと。しかし、心臓に悪い。たかがそれだけの言葉。されど、帝江の口から出る言葉。一生懸命自分たちの言葉を理解しようとする姿は愛らしくいじらしい。


「ああ…くそっ…!」




















■□■□■

 化野が愛でる蟲達に関係する物が潜む蔵。
 帝江は堂々と正面から蔵へ侵入を開始しようとした矢先、


「こら」


 いきなり頭上から聞こえる声に、帝江は振り返った。
 帝江の背後で仁王立ちしていたのは蔵の主、化野。


「ここは入っちゃいかん」


 一度漁村の子供らに蔵に入られて大事なお宝を一つ手放すはめになってしまった事があり…、まめに蔵を見回っていた時にちょうど帝江がやってきたのだ。


「……安心しろ、怒ってないから。よくここにいるってわかったな、お兄さん嬉しいぞ」


 じっと自分を見上げてくる帝江の大きな目が困っているように見えたので、化野は苦笑する。
 自ら戸を開け、帝江の手を握って蔵の中に引っ張り込む。帝江は蔵の中を興味津々に見つめる。


「興味があるのか?」


 帝江がこんなにきょろきょろと辺りを見回している所を見るのは初めてだ。


「むし…」
「お、やっぱおまえも感じるのか」


 ふむ、と腕を組む化野は、とりあえず触れさせないようにすればいいだろうと蔵の中を見て回る帝江を見守っていた。
 ふと帝江がある置物に手を伸ばした。
 その時、蔵の外からギンコの帝江を呼ぶ声が聞こえてきた。


「ギンコ」


 化野が蔵の重い土窓を押して蔵から顔を出した。


「あぁ…化野、すまんが帝江見なかったか?」


 蔵を見上げるギンコが辺りを見回しながら参ったと呟いて頭を掻く。


「帝江はここにいる、迎えに中来てくれ」
「…そんな事言って…、自慢話なら聞かんぞ?」


 正直めんどくさいらしくギンコがげんなりと明らかに嫌そうな顔をした。


「いいからさっさと上がってこいっ。早く来ないと娶っちまうぞっ」
「…!…冗談じゃねぇ…」


 そう言い残して化野の顔が再び蔵の中に消えてしまうとギンコは目を見張りため息をついた。
 人質を取られ仕方がなく蔵の中に早歩きで向かったギンコ。
 蒸し暑い蔵の中に入れば、潜めいた蟲達のざわめき。か細い気配。
 そしてギンコは微かな甘い匂いに顔をあげる。


「…まさか帝江…」


 ギンコは慌てて帝江を捜し、その後ろ姿を捉える。


「なんだよ、いくらなんでもそんなに慌てることないだろが」


 切羽詰まったような顔のギンコをみて化野が少し驚いたような顔してギンコを見下ろしていた。


「…あ、いや…すまん」


 帝江がただ置物を見上げている姿を見て、気の抜けたような返事を返す。


「…それよりギンコ、この香炉なんだがな…」


 帝江がジィッと見つめる香炉を化野が指差した途端にギンコはあからさまにやばいと言う顔をした。


「自慢話しなら聞かんと言っただろがっ、帝江来い」
「お前、すぐそれだな!」


 背後の賑やかな二人の声に帝江が顔を上げる。
 香炉から離れていくギンコを化野が追いかけ捕まえたのかじゃれ合う二人を見つめてその楽しそうな様子に帝江も二人の下へ向かった。
 三人が蔵から出ていけば、取り残された香炉。


──ふわ…っ


 静まり返る蔵に、ほんのわずかに舞う気。


──ひた、


 気が溢れ出そうとしていた香炉に触れる小さな手があった。その手もまた気を漂わせていた。すると、見る見るうちに香炉の気は小さな手の気に押し負け、掻き消されていった。
 それを見届けた彼ら・・はクスリと口元に笑みを湛えた。


「お姉さんの力は眠る者たちを呼び覚ます。正確には、眠る者たちの目覚めたいという本能的な願いを叶える・・・・・・
「それにしてもよくここまで眠る者達を集めたもんだよね〜」
「まがい物も結構紛れてるけどね。でも、あれ以上お姉さんがここに居たら蟲たちが一斉に目覚めて大変なことになってたのも事実…僕達に感謝してほしいものだよ。ね、兄弟」
「そうだね〜。兄弟」


 ギンコと化野と手を繋いで歩く帝江はまた蔵に振り返り、香炉が置かれていた場所の側にあった小さな窓を見つめたのだった。