21

「旅に出る?…んじゃ、とうとう…」


 ギンコと化野が台所で並んで夕食の準備をしていたがギンコから切り出された話しに化野がじゃが芋の皮を剥きながら真剣に魚を捌いているギンコを横目で見る。


「ん、…蟲もそろそろ寄ってきたんでね…」


 現に肩にフワリと纏わり付いた蟲を追い払うようなギンコの仕種に化野はじゃが芋の皮を剥く手を止めた。


「化野?」


 動作を止めてしまった化野に気付いてギンコが顔を上げる。


「?、どうしたんだよ」


 やっと動いたと思ったら、黙ったまま剥きかけのじゃが芋を水の張った盥の中に放り込む化野にギンコは眉を寄せた。
 長い付き合いだ。
 言いたいことは大胆予想がつく。
 ───帝江。


「連れて行く」


 言われる前にはっきりと言った。


「……」


 居間に振り向く化野が、天井を見上げている帝江を見つめる。自分にはわからないが、漂う蟲でも見ているのだろう。


「帝江…」
「あ…?」
「…荷物をまとめる支度、手伝わんとな…」


 再び調理に取り掛かりながら呟いた化野の横顔を見ていたギンコも調理を再開した。


「…あぁ、すまんな」
「…むし……あお……あか…」


 と、その時居間から聞こえてきた帝江の声。忘れないように反復練習しているのだろう。その声に耳を澄ますギンコと化野だった。




















 夕食も終えて夜の戸張が降りる頃、ギンコは湯浴みに。
 化野は帝江の着物を畳みながら囲炉裏の火を見詰めている帝江を見てその髪に手を乗せる。


「?、あだしの?」


 化野を見上げる灰色の目。


「珍しいな、空も見に行きたがらないで。もういいのか?」
「……いくない」


 前に海でたまたま言ったら、間違った言葉をそのまま覚えてしまった帝江。
 微笑ましい気持ちになったが、しかし何かを我慢するかのように細い指に力を更に込めた帝江を見て化野はあやすように帝江の頭を撫でる。


「そら…みる…ぎんこ、いや…?」


 首を傾げるところを見ると、なんとなくそう感じているだけなのだろう。確かに、ギンコはあまり帝江に空を見ていてほしくないようだった。


「それはあれじゃないか?帝江の治療のために……」


 自分にはよくわからないが、ギンコがそうするということはつまり、


「ちがう…」


 囲炉裏の火に目を遣る帝江がぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。


「帝江…そら…みる……帝江…いなく、なる…」


 それは無理矢理繋げなければ解読困難な言葉の羅列。けれど、その言葉を繋げてみると、帝江が空を見ている時、ギンコが何を感じていたのかわかる。


「…ぎんこ…こわ…がる…か、ら……だめ」


 途切れ途切れの言葉で一生懸命に伝えようとする帝江。


(…そんなの…そんなの、俺も同じなんだ)


「…ぎんこ…は…」
「違う、そうじゃない」


 感情の乏しい声が再びギンコの名前を紡ぎ、続けようとした帝江の声を化野が遮る。


「そうじゃない、…俺の名前を呼んでくれ、帝江…」


 帝江の躰を後ろから抱き寄せ、肩口に顔を埋める化野に帝江の灰色の瞳が瞬いた。


「…。あだしの?」


 後ろを振り返ろうとするが、化野の顔がすぐそこにあって頬に髪が当たるだけ。


「あぁ…」


(何言ってんだ…俺)


「…あだしの」
「帝江…」


 化野に抱きしめられたまま、すぐ横に見える化野の黒い髪を見つめる帝江。


「あだしの…」


 その声が、髪が、瞳が───ただ恋しい。
 好きで、好きで、たまらない。


「…い…、っ…」


 行くな、と言いかけて唇を噛み締めた。


「あだしの…も…こわい?」
「…そう、だな」
「ぎんこ…おなじ?」
「…そう、かもな」


 口をついて出そうな言葉を押し殺しながら絞り出す言葉は酷く揺らいでいた。


「帝江」


 躰をゆっくり離して帝江を振り向かせる。


「……ぎんこ…こわがる…いや…あだしの…こわがる…も、いや」
「ッ……ありがとうな、帝江…」


 ありがとうと言う時、大抵人は笑っているのに、化野は笑っていなかった。帝江はやっぱり化野の【怖い】を取り除くことはできていないのかと少ししょんぼりしながらも立ち上がった。


「帝江…?…すまんな、帝江。…お兄さん結構寂しがり屋さんなんだ」


 立ち上がって自分から離れてしまう帝江に、取り乱した言い訳でもないが照れて頭を掻いた化野。それに対し帝江は静かに首を振った。


「いっしょ…」


 それもギンコと一緒かと眉を下げて笑った。


「帝江…も…さみしい」


 帝江がそう言うまでは。
 目を丸め帝江を見上げたが、帝江が自分と距離を取ったその先で自分と向かい合い、目を閉じて口を開く様を見て、声を上げることができなかった。


「───…」


 待ち望んだ、あの歌声が響いたからだ。


──♪〜


(躰が…空気が…震えて…)


「………俺の…ために…歌って、くれてるのか…?」


(おまえは…本当に……)