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──じゃり…じゃり…


 暑い陽射しから逃れるように山道に入れば再び響く蝉の声……と、ギンコの後ろから聞こえてくる土を踏む音。
 暑さから逃れるため頭に白い布を被っているから周りの景色は前方しか見えないが、ついてくるこの歩幅の小さい足音だけで分かる。
 ついてくるのは大切な姫君。
 ──しかし…


「…おい、一体いつまで臍曲げてやがる…」


 足を止めてギンコが後ろを振り返ると、足音がぴたりと止んだ。一定の間隔を開けて、ギンコが止まれば帝江も止まる。
 大人しいから納得しているのかと思えば、実は出逢った中で最も不機嫌だったらしく、帝江は化野から貰った首飾りを握り締めたままギンコの後を黙ってついてきていた。
 ギンコに手を引かれて歩いていた頃に比べれば、大きな進歩だが、明らかに不機嫌。表情には出ていない。だけど喋らない。


「…勝手にしろぃ…」


 しかし歩き出せばまた聞こえる足音。


──じゃり…じゃり…


 聞こえてくる足音にギンコは深いため息をついた。
 初めてだ。帝江の機嫌を損ねたのは。どうしたものか。
 ギンコが暑さにやられかけている頭をなんとか動かしている間、帝江もまた考えていた。自分の中にあるもやもやとした感情について。
 漠然と、さみしいという想いは前からあった。しかし、それは一人きりだったときのこと。今は、誰かと出逢い、そして別れを経験した。
 一人の頃の寂しさと、化野たちとの別れのこの感情は、似ているが何か違うように思えた。寂しいわけじゃない。ギンコがいる。独りじゃない。でも…寂しいに近い感情が自分の中で渦を巻いている。この感情は何と言うのだろう。
 ギンコにそれを聞こうか。ただなんと聞けばいいのかわからない。
 帝江は顔を上げて辺りを見回した。
 山道で周りはもちろん木々が茂り、この道が日影だとしてもやはり暑いものは暑くて。当然この暑さは体力の消耗に繋がる。
 帝江の目の前の景色が歪む。


「…………?」


 一歩、一歩、踏みしめる足が重たくて重たくて…
 躰を包む熱気にぼんやりと思考が霞んだ。
 荒い呼吸が周りの音よりも大きく聞こえたと思った、その時、
 周りの景色がゆっくり回転するような感覚、地面もゆっくり目の前に近づいたかと思ったら、帝江の目の前が真っ暗になっていた。


──じゃり…じゃり…………


 一方、前を歩いていたギンコが足音の違和感に足を止める。足音が小さくなって、とうとう途切れた音にギンコはまさかと振り向いた。


「帝江っ!?」


 森の中にギンコの声が響く。
 道に倒れていた帝江に駆け寄りその躰を抱き上げた。
 触れた帝江の躰は珍しく熱くてギンコは急いで立ち上がる。
 確かこの先には…滝と川がある。
 ぐったりとしたままの帝江を抱え、ギンコは暑さも忘れ水辺を求めて走り出した。




















 やはり山道を選んでよかった。
 ギンコは山が作り出してくれた川の水に冷やされ目を開けた帝江に安堵のため息をつく。
 水の音が聞こえて、川を見つけるなり背中の荷物を地面に放り出して自らもなだれ込むように川へと入ったギンコ。
 当然自分までずぶ濡れになったが、今はそんなことはどうでもいい。
 帝江が目を開けただけで安心するあまり一気に躰から力が抜けた。
 ジャブン、と頭まで川に沈む。
 深いが流れは滔々としていて、冷たくて気持ちがよい。
 澄んだ水の中で浅瀬を見つけ、ギンコはそこに帝江を腰掛けさせた。


「大丈夫か?」


 頭まで濡れたギンコが、同じく頭まで濡れている帝江の顔を覗き込む。
 水の重みに白い髪が額に張り付いて、ギンコが邪魔そうに自分の前髪をかき上げた。


「…たく、具合が悪いならちゃんと言え。そこは相変わらずだな…」
「……」


 状況をいまいち飲み込みきれていないのだろう。灰色の瞳がきょろきょろと辺りを窺っている。


「……たき」
「これは川だ。あっちが滝」


 先ず二人の躰が浸かっている流れる水を指さして川、崖から音を立てて流れ落ちる水が滝だと教えてやる。いおにはどっちがどっちかは教えて貰わなかったのか、忘れてしまったのか。


「…着物干す、脱げ」


 しかしいつまでもキョトリと呆けていた帝江にギンコは短いため息をつく。だが頭まで濡れた互いの姿に、上着を剥がすように脱いだギンコが水の中の帝江を立ち上がらせた。


「ちょうどいいだろ、暑いし」


 蝉の羽月はづき帷子時かたびらどきとはよく言ったもので、薄着になっても感じる暑さに濡れた着物も乾かしがてらここで休憩することにする。
 服や着物はこの暑さではすぐに乾くだろうし、別に着替えがないわけでもない。
 ギンコが上着を絞っていると、帝江も自分の着物を見つめてからゆっくりと帯を解いた。


「ぎんこ…」


 着物をギンコに差し出す。


「ん」


 一つ短く返事をして着物を受け取り、日がよく当たっている枝に二人の上着を干せば、並んでいる着物が風に揺れていた。


「……帝江」
「?」


 襦袢姿で揺れる着物を見上げている帝江がギンコに呼ばれて振り向くと、そのまま躰を方向転換させられ、川の方に押された。そのまま帝江を川に入れる。
 平常心を保とうとしたが、無理だったらしい。襦袢を着ているとはいえ、水で躰に張り付いているその様は、やはり目に毒。


「しかしこれからどうしたもんかね…」


 照り付ける太陽に悩まされたギンコが帝江にしたように自分も川の中に座り込む。


「…?」


 そんなギンコの顔を不思議そうに見上げていた帝江だった。