──さく、さく
夏という時期に遮られることなく生い茂ることを満喫している草を踏むと、軽快な音が聞こえてくる。地面に遣っていた視線を空に向ければ、夕日に照らされて薄紅に染まる帝江の髪と瞳。
しかし眩しさに目が眩み、目を閉じる。
「帝江ー」
小屋の中からギンコが呼んでいる。
帝江が小屋へと振り返り、小窓から自分を見てくれていたギンコを見つけた。
「ぎ…」
──ざわ
帝江が口を開き、しかしただその一声だけ口にした後、走った嫌な感覚に凍りついたように動きを止めた。
「……?」
帝江が視線を彷徨わせる。
帝江の瞳が少し赤を受け入れその灰色が和らいでいた。
「帝江?」
すぐ間近に聞こえた声が無性に嬉しくて、帝江が自分の元へと歩いてきていたギンコにそのまま抱き着いた。
「わ…っと、おいおい、どうした?」
抱き着かれて、また目を大きくさせるが、すぐに「随分積極的になったもんだな」とギンコが笑ってみせた。
「ぎんこ…ぎんこ…」
何度も何度もその名を呼んでいる帝江がギンコの服を握る。
「ぎんこ、」
「…さっき取っただろうが」
野草を摘んで見せると、そう答えるギンコに帝江が違うと首を振った。
「あれ…なに?これ…ギンコ…たべる?」
一気に聞かれてギンコも「待て待て」と帝江を宥める。
「なんだ、教えてほしいのか」
頷く帝江。
「偉いな」
見た目は大人でも、帝江はまだまだ何も知らぬ子供のようなもの。色々と知りたがるのも当然。
「よし、じゃ始めからだ」
帝江の手を引いてギンコが空を指さした。
「空、雲、茜色、だろ」
「そら…くも…あかねいろ…」
帝江がギンコの言葉をゆっくり繰り返す。
「木、枝…葉っぱ…、草」
「き…えだ…は…っぱ…くさ」
ギンコが一枚、葉っぱを手に取りくるくるとそれを回した。
「ん…で、お、見えてきたな。あれが帝江の好きな星」
茜色の底深くで瞬き始めた星を指差す。
「ほし…」
か細く光る空の光りに魅入る帝江。
「…んな珍しいもんでもないだろ?」
初めて出会った時に、それから旅する間に、二人で、そして三人で見上げた光りの洪水。
星に見惚れていた帝江がギンコの顔を見つめた。
「いつでも一緒に見られる」
「……いっしょ…」
「一緒だ」
しばらく困惑するような顔をしていた帝江がやがて頷き、小さく微笑みギンコの背に腕を回す。
【一緒にいたい】
そう躰で示してくる帝江に、抱き締め返すことで答える。
腕に力を込めた後、帝江がギンコの躰をスルリと抜け出た。
「ぎんこ、あれ…」
今度は小さな泉を指差して、帝江がギンコから離れて歩き出す。
「帝江、あんまり離れんな」
少し急ぎ足で帝江の後について歩き出したギンコの前で
「…!」
草叢でいきなり転んでしまう帝江。
「帝江っ、大丈夫か?」
急ぎ足から小走りになり、ギンコが地面に倒れたままきょとりとしていた帝江の躰を抱き起こした。
「あし…」
泣きもしないが帝江が足に感じた違和感をギンコに訴えたのでギンコが帝江の足を見てやる。
「ん…、こりゃ、草輪…?」
帝江の足に引っ掛かっていたのは草と草を結んでこさえた子供が悪戯する時に用いる簡素な罠。
よくよく見ればあちらこちらにある。
「あはは、すまないすまない。あんたにじゃなくてギンコに用意した罠だったんだけどな」
木の上から、楽しそうに笑う男の声がした。
(この声は…)
帝江の着物に付いた汚れをぽんと払いながら苦笑いしたギンコがその声がした木を見上げて立ち上がる。
「昔からそういうところは全く変わらねぇな」
木の上でにっこりと笑みを浮かべていた男がギンコと帝江に手を振った。
「久しぶりだな。ギンコ」
蟲煙草を咥えて火をつけたギンコが深く息を吸ってからため息混じりに苦笑する。
「久しぶり、じゃねぇだろ。全く何してやがる。早くそこから下りてこい、……イサザ」
木の上でまた笑うイサザと呼ばれた男を不思議そうに見ていた帝江に、イサザがにこりと笑いかけた。
そして、枝から飛び降りてくる。
「よう、久しぶりだな」
二人の前に下りてきたイサザに久しぶりの再会と、ギンコがあらためて挨拶をした。
「達者にしてたか?ギンコ…、…ん…?」
こつんと拳を軽くぶつけ合い、旅をしている者同士互いの無事や苦労を労い合う。
が、そんな自分たちの様子をギンコの後ろから覗く視線に気づき目を向ける。
すると、見られていることに気づいた向こうも自分を見上げてきたので二人の視線が交わる。
少し近づき、ギンコの背に隠れているその顔を覗き込んだ。
「こんばんは、初めまして。さっきは悪かったな」
「…………」
イサザが帝江に一言挨拶するが、帝江はいきなり近づいてきたイサザを帝江なりに警戒しているのか無表情に見上げたまま。
そんな帝江に苦笑して、それからしばらくギンコの顔をじぃっと見つめた。
「ん、どうした?」
ギンコはイサザにまじまじと見つめられ、その視線を不思議に思いつつも蟲煙草の灰を弾き、また煙草を口元へと運ぶ。
「旅についてきてくれるなんて、理解ある嫁さん貰えて良かったな」
悪気なくにっこり笑ったイサザにギンコ、思わず目が点。
「……。」
「あれ、どうした?ギンコ」
急に停止してしまった友人に、イサザが今度はギンコの顔を覗き込み、ハッと気付く。
「……わるいっ、もしかしてまだ口説いてる途中だったか?」
(ちがう、謝るのはそこじゃねぇよっ。第一そうだったとしたらそれとどめさしてるようなもんだろ)
必死に慌てて謝るイサザにギンコはギンコで的外れな感想。
「あー…、違う違う。確かにそう思われてもしょうがないんだが、帝江は俺の嫁じゃなくてだな…」
蟲煙草の紫煙と共に深いため息を吐いたギンコがそれを揉み消すと自分の後ろに隠れている帝江を引っ張り前に出した。
「ほれ、帝江。ちゃんと挨拶しないと駄目だろ?」
子供に言い聞かせるような言葉に少し片眉を上げたイサザ。
ギンコに促されたものの、またイサザと目が合った帝江は何故か困ったような顔を見せた。
「あだしの…?」
「ん?こいつはイサザ。イサザだ」
「……かみ…くろい…」
「ああ、確かに同じ色だな。髪は」
「……めがね…ない…」
「そうだな、違う所他にもいっぱいあっけどな」
「あだしの…じゃ…ない?」
首を傾げる帝江に、イサザが言う。
「そんなに似てるのか?」
「いや…そうは思えんが…」
「……なら、人の顔を見分けるのが相当苦手なんだな」
苦笑するイサザ。帝江の拙い言葉やギンコの対応。加えて旅に連れているという情報で、帝江がただの娘ではない事を悟る。
「い…さざ…あだしの…ちがう…?」
むしろ残念そうな顔をする帝江。化野と別れたことはやはりショックが大きいようだ。
「……すまんね」
そんな帝江を宥めながらギンコが詫びればイサザが屈託ない笑顔をギンコに向けた。
「気にしてないさ、それに元はと言えば謝るのはこっちだ」
自分で作った罠を自らの足で解除してるイサザに思わず小さく笑ってしまう。
「イサザ、集合は平気か?大丈夫ならとりあえずあの小屋に来てもらいたいんだがかまわんか?」
茜色の空が赤紫になり始めた頃、ギンコが親指で山小屋を指差す。
「ん、あぁ。大丈夫、行こう」
帝江の手を引いて歩くギンコ。
(…まずはイサザに相談してみるか)
山小屋の前に着いて扉を開ける前にちらりとイサザの顔を見れば、ギンコの視線に気付いたイサザが唇に笑みを残したまま小さく首を傾げていた。