29

 山小屋に戻ったギンコたち。


「イサザ、その辺に適当に寛いでくれ……って俺の家じゃないんだけどな…」


 小さな囲炉裏に火をつけようとするも中々火の点かない薪。


「こりゃしけってら…」
「今の時期はしょうがないさ」


 つい愚痴を零したギンコの真向かいに腰を下ろしたイサザが笑う。


「とりあえず再会に、一杯」


 イサザが腰に携えた徳利を取り出せば、タプンと重みのある音にギンコが茣蓙にドカリと座った。


「酒か、ありがてぇ。…んじゃとりあえず一献…」


 床に置いてあった道具箱から猪口を取り出して徳利を傾けるイサザの酌を受け取る。


「えーと、帝江…は、飲めるのか?」


 呼び方に迷ったものの、帝江の方に視線を遣り訊ねる。


「いや、帝江は酒は飲まねぇからな…」
「…へぇ」
「くー…、こりゃ味酒だな」


 うまい酒が五臓六腑に染み渡り、心地よさを噛み締めた。


「だろ?禄助の蔵の酒だからね、年々深みが増す」


 以前蟲師とワタリが集会で集まった時に起きた【光酒騒動】。
 その発端の禄助とは、偶然とは言え光る酒を造って、それを請われたとはいえギンコ不在の時にその酒を皆に配ってしまい集会に集まった蟲師達を大層慌てさせた青年だ。


「ん、異論なし」


 深く頷き猪口で揺れる残りの酒を飲み干す。


「ギンコ、ところで」


 またギンコの猪口に酒を注ぎながらイサザが部屋の隅から窓の外を見上げている帝江に視線を向けた。


「…蟲患い?」


 今度はギンコから酌をしてもらっているイサザが唐突に切り出す。


「ん…、あぁ……だと、思ってたんだけどな…」
「思ってた…?」


 猪口を下ろしたギンコは、帝江について語り出した。


「出逢った時、帝江は強く蟲の気を帯びちまってた。それを治すために旅に連れ出したんだが……」
「今は…蟲の気配は感じられないが?」
「ああ、それは解決したんだ。けどな…何も食わねぇんだ。米も野菜も魚も…水だって飲みやしねぇ」
「!そいつは時間がねぇな…しかし…それにしちゃあ」


 イサザは帝江に目を向ける。ぼうっとしているが、顔色も良さそうだし、酷く痩せているわけでもない。


「何も口にはしてねぇが、不調は見られない。おまけに排泄もしねぇ。医者にも見せたが至って健康だと」
「…そんな症状が出る蟲なんて…」
「思い当たらねェ」
「光酒は?…あれは蟲患いには万薬の長だろ?」


 イサザの言葉にギンコはちらりと残り僅かな光酒の入った徳利を横目で見つめた後俯いてしまう。


「光酒の手持ちが少ないのは事実だが、飲ませてはみた」


 その声音からして、良い成果は出なかったのだろう。


「…少ししたら吐いちまったうえに、体調を崩して寝込んだ」


 瞳を伏せ俯くギンコの顔を、空を見ていた帝江が見つめる。


「……」


 こういう時のギンコの顔は本当に、本当に悲しげで…


「ぎんこ」


 帝江がギンコの傍に来て座った。


「ん?あぁ、なんでもねぇよ」


 そしていつもその言葉の後に、やはり淋しげな瞳のまま口元だけは笑ってみせるのだ。


「……」


 帝江が普段はあまり表情を作らないその顔に不機嫌を露にする。


「帝江?」


 こういう時ギンコは話してくれない。ギンコがそんな顔をする理由を帝江は知りたいというのに。
 芽生えつつある、頼ってほしい、力になりたいという想い。
 しかし言葉の拙い帝江はそれをギンコにうまく伝えることができず、苛立ちや悲しみは無表情の裏に隠れてしまう。
 僅かな変化に気付いたギンコが帝江を呼んだが帝江はふいとギンコから視線を反らし、しかし放っておかれたくもないのでギンコの背に背中で寄り掛かりながら座り込んでしまった。


「…おぃ、帝江」


 そんな帝江の気持ちが読めないギンコもらしいと言えばらしいのだが…。


「何だってんだよ…ったく…」


 振り向きもしない帝江にギンコは首だけで振り向くのが辛くなったのか顔を戻し、ガシガシと頭を掻いた。


「…ふっ」


 そんな二人を見ていたイサザが口元を押さえ吹き出してしまう。


「んぁ?なんだよイサザ」


 自棄やけなのか、ギンコは自分で手酌して猪口を口に運びながらそんなイサザに尋ねた。


「いや、悪い。…二人とも似ているなってさ…」
「だから夫婦じゃなくてだな」
「いや、違うそうじゃなくて」


 何がそんなにツボにはまったのかは解らないがいつまでも一人腹を抱えイサザがクックッと笑っていたがやがて


「ごめん、何でもない」


 ひらひらと手を振り話しをはぐらかす。


「…ところでギンコ」


 突如真剣な表情に戻るイサザ。


「最近、ワタリの間でもちょっと気になる事があったから…こっちの話に関係があるかは分からないけど…報告な」


 蟲と光脈の関係は表裏一体。


「山の話なんだけど…光脈筋が急激に枯れてしまった山があるんだ」
「急激って、移動したとかじゃなくて…枯れたのか?」


 ギンコが顔を上げ、話の内容のわりには穏やかな顔をしていたイサザの顔を見つめる。
 イサザは小さく頷いた。


「言葉の表現にしてもそっちが合ってるかな。嵐が過ぎ去った後、その山は突然精気が満ち満ちるようになったという。それは普通の人間なんかは入れない程に」
「、」


 ギンコがピクリと反応した。


「しかし、調査を始めようかってなったある日、生気が漲っていた山が突然死んだようになったから……枯れたって言葉を使ったんだけどね」

 ギンコはふと頭に過ぎったことに口元に手を押し当て考え込む。


「な…、イサザ」
「ん?」


 ギンコはまた仕事道具の入った箱から地図を取り出して明かりで照らした。


「その山ってのは…この地図にあるか?」


 イサザも背を丸めてギンコと二人で地図を見る。


「ここ」


 迷いもせずにイサザが指差した山は……


「帝江を見つけた山だ…」


 まだ帝江と出会う前に道端で月明かりを頼りに見た地図。そしてその時見た山の位置と、枯れたと言われた山はまさに同じ場所にあった。


「もうひとつ報告」


 イサザが不貞腐れたままの帝江の後ろ姿を見ながら考えに耽るギンコの思考に割り込む。


「…あ?、あぁ」


 呼ばれ咄嗟に顔を上げた。


「……まるで頃合いが合いすぎてて驚いているんだけど…俺のいるワタリの中に、今行動を共にしている変わった奴らがいてな……」
「?」


 イサザは慎重に言う。


「そいつらもあの山を調査しようとしてたらしいんだが、蟲に詳しくない奴らで…」
「じゃあなんで山の調査なんて…」


 それ以外に調べたい物がそこにあったのか。


「【卵】を探してるんだと」
「卵…?」
「…ああ。そいつらが言うには、山に突然生気が漲ったのは、その卵がそこに現れたからだっていうんだ。あいつらの探してる【卵】は謂わば力の塊で、嵐に遭って弱った山に生気を注いでいるって言ってたな」
「……その卵は、自ら移動するのか?」
「そうらしい。俺達が思い描く卵とは違うんだろうな。死にかけているモノに命を注ぐ。それが【卵】なんだと」


 ギンコはぐるぐると思考を巡らした。
 山に居たのは帝江。そして山に気を注いでいたのも帝江だ。そしてあの双子が言っていた【力の塊】。
 ある方程式がギンコの中で出来上がって行く。


「その卵って、どんな姿してるんだ?」
「俺達は知らねェ。あまり話したがらなくてな。でも、そいつらの調書には詳しいことが書いてあるはずだ」
「おまえたちにも見せたがらないんだろ?見ず知らずの蟲師に見せてくれるかね」
「……帝江のことを話せば、見せてくれるんじゃねぇか?」


 ここまで話せば、イサザも大体検討はつく。
 ギンコが、帝江をその【卵】だと思うだけの材料があるのだと。


「そいつら、卵を見つけたらどうするって?」
「……」


 イサザは首を横に振った。


「それも話しちゃくれなかった」


 その答えに真剣な表情をしていたギンコだが、次にギンコが浮かべたのは、暗い顔ではなく…驚きと救いの糸を掴んだかのような笑顔だった。


「なんにしても…そりゃありがてぇ、な、イサザ。俺をそいつに逢わせちゃくれねぇか?」


 「頼むっ」とギンコは顔の前で手を合わせ頭を下げる。


「おまえがそういうなら…勿論断る謂れはねぇや。断るなら、最初から話したりしねぇからな」


 それを聞いた途端勢いよく顔を上げたギンコは、それまで未だ拗ねていた帝江の機嫌など関係なく自分が嬉しくなったあまりに引き寄せた。


「?」


 そんなギンコに帝江が目を瞬かせて驚いている。


「でも、いいのか。そいつら悪い奴らには見えないが、なんで【卵】探してるのかもわからねぇんだぞ」
「それでも帝江の事が知れるならいいさ。このままの生活でも、帝江がちゃんと生きていけると知ることができるならそれでいい。帝江、おまえのこと、また少しわかってやれるかもしんねぇぞ」
「ギンコ、まだ読んでもいないだろ。気が早いって」


 初めて見るギンコのはしゃぎ様に、イサザと帝江が戸惑っていたが、ギンコはやっと掴んだ糸口に顔を綻ばせずにはいられなかった。
 たとえそれが危ない橋を渡る賭けでも。