「お、やっと冷静になったか」
はしゃぎ通しだったギンコが落ち着きを取り戻し、イサザはからかうようにニヤリと笑った。
ムッとした表情をするギンコだったが。
「ぎんこ…うれしい…おわり?」
残念そうにする帝江に、今度は片手で顔を覆った。僅かに頬を赤らめて。
フッと笑ったイサザは話を戻す。
「あの山は古い光脈筋で…あそこまで生気が漲ったことは未だかつてなかったらしい」
「卵であるかどうかはさておき、そこに帝江がいた」
ギンコとイサザは無言になり、二人同時に帝江を見る。
二人の視線に帝江がきょとんと瞳を丸くした。
「…帝江が何か知ってたらいいんだけどな」
イサザがフゥと小さくため息を吐く。
「ギンコ、何か聞いてみてくれよ」
自分が聞いても応えてくれないだろうと想い、イサザはギンコにそう言った。
「帝江はあんま言葉知らないぞ。元々か蟲患いのせいかはよく分からんが…」
あの山に異変があった時、そこに居たのは帝江。蟲も光脈筋も視えるのだから、もしかしたらあの山での光酒の様子だって見ていたかもしれない。…が、しかし…
肝心の帝江は…言葉に乏しい。
「簡単な事くらいは聞いてみたんだろ?もちろん」
「簡単な事って?」
「……山の中で若い娘が一人でいたんだろ?…帝江の親の事とかさ、山に来る前はどこにいたのかとか…色々とあるだろ?」
「…………」
眇めを丸くしたまま一時停止してしまったギンコに、イサザは眉間に指を添えため息を吐いた。
「…いつから帝江が山にいたかは分からないけど…、人一人いなくなれば心配する親や友達がいるんじゃないか?」
手を伸ばしてイサザが帝江の頭にぽんと手を置くと、おっかなびっくりしながら帝江は固まってされるがままになる。
「……そうか…、そうだよな…」
「どうした?ギンコ」
しばらく考えに耽っていたギンコが気付いたように顔を上げた。
「会ったばかりの頃は、聞いたんだよ。どっから来たかとか、名前はなんだとか……その力はなんだ…とかもな」
イサザの指がピクリと反応した。
「でも、蟲に触れちまったせいで…あの頃の帝江は声かけても触っても反応しないような状態でな…」
「それで後回しにしたのか?」
「…ていうか……その…だな」
「なんだよ」
言葉を詰まらせてなかなか先に進まないギンコにイサザは呆れた顔を見せる。
「…
ギンコが片手で口元を隠すので、少し声が籠る。
「少し経って…俺の名前を呼ぶようになって…」
(まさか、こいつ──…)
イサザが、一つの仮定に目を見開いて行く。
「一生懸命言葉を覚えて、想いを伝えようとしてくるこいつを見てたら──…こいつの過去なんて……考えなくなってたな」
(そういやこいつ、帝江が食わねぇことだけ気にしてたな。食べなきゃ普通死ぬから重要視してんのかと思えば、こういうことか───つまり、あれだな)
「惚気か」
「!?なんでそうなる!」
「いやどう考えても惚気にしか聞こえねぇから」
噛み付くように反論するギンコに即答してやる。
僅かどころか真っ赤になっているギンコに説得力なんてものがあろうか。
ぐぐ…っと眉を寄せたギンコは、傍に居る帝江を見つめる。帝江に視線が移される頃には、ひょいと眉を八の字にしていた。
ギンコに見つめられ、帝江もギンコを見上げる。
「帝江」
帝江の方に躰を向け、向かい合う体勢になる。その肩に手を置いて、ジッと帝江の顔を見つめる。
「?」
真剣なギンコに帝江が不思議そうに首を傾げた。
「わからなきゃわからんでいいから、…帝江…お前さんいつからあの山にいたんだ?」
「……?」
反対側に首を傾げる帝江。
「わかんねぇか…」
「…おきた…ら…ぎんこ…いた」
「?そいつぁ…どういうこった?」
「蟲に触れちまってた間の記憶が無くなってるんじゃないか?」
「それにしたって、山に来るまでのことは覚えてるはず…だろ」
「じゃあ山に住んでたとか?」
「いや…それはねぇ」
「?」
山で会ったと言うのに、何故か断言するギンコ。
ずっとあそこに居た訳では無いだろう。もしあの双子の言葉を信じるなら…あの山で帝江がこの姿になって初めて意思や記憶を持ち始めたのなら…目が覚めたらギンコが居たというのも、わからないでもない。
話すべきだろうか。あの双子のことを。あの双子の話を。
イサザを信用していないわけではない。だが、イサザにも立場があり、なんでも情報を話すというのはあまりに軽率。
「嵐に遭ったにしちゃあ身綺麗だったし…ずっと住めるような場所じゃなかった」
ギンコはそれについて口を噤むことにした。まだ話すべきではないと。
「……んじゃ、…帝江の親はどこにいるんだ?」
「?」
首を傾げる帝江。他にも質問を並べてはみるものの、ギンコの想像通りと言うべきか。帝江は山に来る以前の質問には、何一つ答えられなかった。
がくりと項垂れる二人が残った。
「記憶喪失…ってことか?」
「さあな」
「さあなってギンコおまえなあ」
(なんか…過去についてはあんま知りたくないって感じか?いや…それよりも…)
何かを隠したがっているような…否定したがっているような。
(まあ、故郷がわかったりすりゃ、もしかしたら離れ離れになるかもしれねぇんだもんな)
双子のことなど知らぬイサザはそんなふうに考えていた。
イサザは苦笑すると、ギンコに徳利を差し出した。
「とりあえず、明日そのガレキに逢わせるからさ。調書読んである程度【卵】について分かってから悩んでも遅くはないと思うよ。ごめん…俺も早く解明出来たらって急いていたみたいだ。───明日みんなと合流しよう」
そう言いながらイサザが床に置かれていたギンコの猪口に酒を注ぐ。
符合しない答えに混乱するもやもやを何とかしたくてギンコは注がれた酒を一気に煽った。
「ガレキって…その…卵を探してる奴の名前か?」
話しに出てきた名前を言い、ギンコは酒の無くなった猪口の底を小さく舐める。
「ん…?あぁそう。ワタリの中に残ったのはそいつだけでな。他の奴らはまた手分けして探すってよ。まだ若いのにいろいろ知っててな。まあ、蟲は専門外だっつってたけど」
「へぇ。それでワタリの中に」
蟲に関わらず、情報提供を対価に置いてもらっているのだろう。
とりあえずギンコがまた地図を見ているとイサザがギンコの心の内を読み取ったのかトンと地図の山を指差した。
「帝江がいた山には俺達ワタリが行くことになるだろうから、山の様子の原因を突き止めたらまたウロさんで報せるよ」
そう、ギンコが化野家に世話になっていた時、ウロさんで手紙を寄越した相手はイサザ。
「だからギンコは帝江の治療に専念するといい」
ギンコの傍で、また空を見上げ始めていた帝江に気づき、イサザは拳を握る。
「帝江、帝江。これ見てみ」
「?」
振り返った帝江にニコッと笑って拳を閉じたまま差し出す。笑顔に少し安心したのか、拳の中が気になるのか、少し身を乗り出した帝江。
「捕まえた」
いきなり躰を引き寄せられて、帝江が驚いて瞳を見開く。
「あはは、ひっかかった」
どうしてよいかわからず目をぱちくりと瞬かせる帝江の両手を握って、向かい合って座るイサザ。
「お前なぁ……」
自分の足に肘をついて頬杖をしていたギンコが、すっかり帝江を子ども扱いしているイサザにげんなりとため息交じりに呟いた。
「ギンコそんな顔すんなよ。帝江が警戒するだろ?」
イサザの言う通り、驚いたものの、大人しく手を握られている帝江だったが、ギンコが見せた表情に、イサザに握られている手を離そうとしていた。
「帝江、そんな嫌がんないでよ。大丈夫だって」
帝江が離れようとするので、その肩を引き寄せた。
「なーんか構いたくなるんだよなぁ」
しかしそんな様子にイサザ、また悪戯の虫が疼いたのかいきなり帝江の頭にぐりぐりと頬擦りをした。
「…………」
「あ、大人しくなった」
イサザの強めの頬擦りを帝江が受け入れている。というより放任している。
ギンコはしまったと思った。帝江にとって抱き締めたり密着するという行為は、離れたくない、一緒に居たいという好意を表す。勿論世間一般でも間違ってはいないだろう。
しかしこの場面でもそれを当てはめる必要は無い。
表情には出ていないが、引き寄せる=一緒に居たいと言われていると思ったから少なからず好意に喜び、大人しくしているのだろう。
抵抗も無いので、頬擦りをした体勢のままになるイサザ。
「あのなぁ…イサザ…」
見るに見兼ねてギンコの声が割って入ってきた。
「ごめん、ごめん。だってさ」
謝りながらも、しかし今度はその柔らかい頬をむにむにと突つきながら帝江を構うのは止めないイサザ。
帝江が嫌がっていなくとも、あまり見ていて楽しいものではない。
そんなギンコを見て、イサザの悪戯心が擽られていることは内緒だ。
「だっても何もねーだろ。人の姫さんあんま虐めるんじゃねぇよ」
まるで引ったくるように帝江を救出したギンコ。
「人の…って、なぁんだギンコ妬きもちかぁ」
イサザに言われて気がついたらしく、ギンコがその言葉に突然カァッと顔を赤らめた。
「ば…っ、違っ…!人のってのは…人、様…っ、そうっ、嫁入り前の娘の親に悪ぃだろって意味で…っ!」
「嫁入り前かどうかはしんねぇけどな」
「!」
ビクッと分かりやすく反応するギンコに、イサザは内心で腹を抱えて笑う。
「まあ、さっきのおまえらを見る限り、今はギンコが親代わりみたいなもんじゃないか?なぁ、帝江?」
「うるせぇ」
また帝江に手を伸ばすイサザの手をシッシッと払うギンコ。
そして、それからはギンコとイサザは久々の再会と言うこともあり山や主の話、蟲や光脈筋の情報交換などをして、夜も更ける頃になると他愛のない雑談を交わす。
一人話の意味が分からない帝江は部屋の隅で昼間摘んだ野草を丁寧に
「手際がいいね」
そんな帝江を見ていたイサザが酒を一口煽ると帝江の作業を褒める。
「ん、あぁ…俺が作業してるの見て覚えたらしい…。お蔭さまで色々と楽させてもらってる…」
帝江は二人に背を向けたまま、自分のことを話されているなど知る由も無く、作業に没頭している。
「しかし…そろそろ寝かさにゃならんな…」
外で梟が鳴いている声にギンコが気付いて宵の刻がかなり立っているのを知る。
「別に俺はかまわないよ?起こしとけば?」
「寝かせないと、いつまでも起きてるんだよ」
「ふぅん…ちなみにどれくらい?」
「どれくらいって……どうだろうな。放っておいたら朝まで起きてたからな…」
「つまり、睡眠も必要ないってことか?」
「ん?いや…寝かしつければちゃんと眠るし…必要ないってこたあないだろ」
「そうか」
ギンコは床に寝そべると、荷物の中から布を取り出す。また躰を起こして床に布をバサリと広げた。
すると帝江もその布を見て眠る時間と分かったのか、分けた野草を片付け始める。
「ぎんこ、」
「おう。ありがとな」
受け取った野草を薬箱にしまう。
ギンコが帝江の手を引いて、座る自分の横に横たわらせる。
帝江は大人しくそれに従い、座るギンコの足に躰を寄せて、ゆっくりと目を閉じた。
ギンコがそんな帝江を愛おしむ眼差しで見つめ、髪を撫でていると、やがて帝江から安らかな寝息が…。
ギンコは帝江が寝たのを確認すると、小さく微笑んで床に広げた布を折り帝江を起こさないようにそっと体に掛けてやった。
「ギンコにもこんな特技があったんだなぁ…」
今まで一部始終を見ていたイサザが驚いたと言わんばかりに声をかけてきて、目が合うとギンコはそっぽを向いて小さく頬を掻く。
「別に大した事はしてねぇよ…ただ、こうしてやんと寝付きがいいんだよ…」
なんて言うギンコだが、先程の眼差しはそれだけで向けられるものではないだろう。
もう一度帝江の髪に手を差しいれるギンコ。
共に旅をしてきたからこその手慣れた寝かしつけ方。帝江もギンコに触れていることで安心するから眠りにつくのだろう。
そうして築いてきた信頼関係を、どれだけ大事にしているか。
「…なんかくっついてると安心するらしくてな…でも今の季節は夜も暑いから、ずっとくっついてもいられん。……帝江は…暑さや寒さに対してはまだ自分から言ってくれなくてな…」
愚痴るみたいに誤魔化してはいるが、ギンコの表情と安心しきっている帝江の寝顔を見てイサザは笑った。
「あはは、可愛いなぁ。ギンコが嫁に貰わんのなら、俺に頂戴よ、お義父さん」
「誰が【お義父さん】だっ、誰がっ」
明らかにイサザはギンコをからかっているだけなのだが、真に受けたギンコが驚いて顔を上げた。
「……冗談だよ」
「……お前さんが言うと笑える冗談も冗談に聞こえねぇ…」
「ひどいなぁ」
がっくりと脱力するギンコに暢気に笑うイサザ。
「人にやるくれぇなら俺が責任持っ……って、何言わす…」
「今のはギンコが勝手に言ったんだよ?」
慌てて自分の口元を手の平で覆ったギンコに間髪入れずイサザの的確な返答。
「ぎんこ…?」
「!!」
「あ〜あ。ギンコが大きな声だすから」
「帝江が起きちまった」と笑うイサザ。
「っ…いつからっ…!」
「ギンコが、誰がお義父さんだ!って叫んだところ」
「気付いてたんなら言ってくれ…」
「ごめんごめん。つい、な」
「…ぎんこ…」
「〜〜〜…っ、俺も寝る…!」
床に手をついて、少し身を起こした帝江の無垢な瞳に見つめられ、カァッとギンコの顔が赤くなる。純粋に心配そうに見つめてくる視線が今は居たたまれない。
ギンコは起き上がろうとした帝江の頭を押さえてもう一度寝かせると、地図を片付け灯りを消し、帝江の横にバタンと倒れ込みイサザに背中を向けて寝そべった。
灯りを消された部屋は暗闇に染められる。
「ギンコ」
暗闇の中でイサザも手探りで横になりながらその背中に声をかけた。
「……んー?」
平静を装うどころかもう微睡んでしまっているギンコの返事。
すぐ隣にある温もりに安心しきっているのは帝江だけではない。
「…旅に連れがいるってのも中々いいもんだろ?」
イサザはゴロリと仰向けになり、頭の下で腕を組んだ。
まだ眠りが訪れないからか、退屈しのぎに暗闇の中に唯一か細い光りを放つ蟲除けの香の赤い火を見つめる。
「…あー…」
しばらくして暗闇から返ってきたギンコの声に、イサザはふと笑んで目を閉じた。
自分はワタリ。ワタリはいつも、どこへ行くにも仲間を伴う。
長い旅の最中に仲間は増えたり、そしていなくなる仲間といるが、光脈筋に伴い、皆で旅する。
ワタリには連れ立つ仲間がいる。
しかしギンコは最後の見えぬ旅をいつも、たった一人で。
帝江という連れを得た二人旅は、まだ始まったばかり。
「…初めての旅の連れが自分と同じ世界を見てるとなれば…なおさらだよね」
イサザの言葉に既に返事はなく、暗闇に目が慣れて頭だけ動かし二人を見れば、すぐにすぅと寝入ったギンコの白い上着がゆっくりと上下しているのがぼんやりと浮かんで見えた。
「…俺も寝るか…」
酒の酔いで心地良い眠りに引き込まれてきて、イサザも目を閉じれば真っ暗な世界。
眠りに落ちた三人の下、地面の遥か底で光る命の大河…
光酒が滔々と群れを成して巡っていた。