「……本当の、名前?」
「ええ、僕達は卵を探しています。しかし、卵の力は強大。あまり人には教えることができません」
「利用しようとする奴らがいるってことか?」
ギンコの推察にガレキは眉を下げて微笑を浮かべる。
「……貴方がそうだとは言いませんが、名を広めることすら危険であるために、僕らは帝江のその姿から、【月の卵】と呼んでいます」
ギンコは聞きたいことがまた増えた。名を広めるだけで危険とはどういうことか。
「貴方はどうやって【卵】の名を知ったんですか?」
しかし、聞きたいのは向こうも同じ。一介の蟲師が何故それを知っているのか。
しかし、ギンコとしては答えにくい。まさか夢で見たなんて。しかし上手い言い訳も思いつかない。
「……笑われるかもしれんが……帝江と出逢ったその日、夢を見た」
「僕を子供だと思って、そんなことをおっしゃるんですか」
案の定ガレキは眉根を寄せて怒ってしまう。
「おかしな話だってのはわかってる。ただ、その夢で聞いたそれでこいつを呼んだら、その言葉だけには反応したんだ」
「……その夢に、何かでてきましたか」
「!」
顔を上げると、まだ眉根を寄せたガレキの姿。
「……」
ガレキは黙って答えを待っている。
「……蹴鞠くらいの大きさの、真っ白な獣が出て来た。不思議なことに目も鼻も無い変な生き物で、翼だけが目立ってたな。その獣を誰かが帝江て呼んで…た…」
記憶を探る為に視線を逸らしていたギンコがガレキに視線を戻すと、ガレキは目を見開いていた。
「ガレキ…?」
「あ、はい…っ。…調書があります、宜しければ見ますか?」
「え、いいのか?」
「はい。ぜひ」
(ぜひ?)
突然乗り気になったのはどうしてか。
まず懐に入っていた巻物をギンコに手渡してからガレキは再度地面に置いた道具箱の中を漁りだした。
しかし、調書を見たギンコはその理由を知る。
「こいつぁ…!」
道具箱を漁っていたガレキがギンコの反応を盗み見て、更に帝江を見る。
「…貴方の夢に出て来たというのは、確かに【卵】だったようですね」
調書に描かれていた【帝江】の絵。それはまさに夢で見たそれだ。
「【月の卵】ってのも…わかる気がするな」
白い球に、翼が生えているような様。
「そうでしょう。それはそれは美しい…」
「なぁ、あんた達は【帝江】について調べてたんだろ?」
調書の古さに多少驚きつつも、ギンコは丁寧に調書を開いていけば成る程…、細かな文字で書かれた文字。
その内容は中々読みごたえがありそうだ。
「…はい、僕たちは、貴方達と似て非なる者。蟲を見ることのできるものと、そうでないものが居るように、僕たちが相手にしているものも、見えるものと見えないものがいるのです」
「へぇ…」
調書を出しながらガレキがギンコを見上げる。
「そして、僕は貴方方で言う蟲師の立場。行動を共にしていたのは、ワタリに当たる人達です」
「なるほど…それで、こいつはそっちの領分…てわけかい」
蟲では無い。別の何か、ということか。
「……【卵】に関してはそうです。けれど……」
調書は更に古めかしい物もあり、ガレキはその中でも古そうな調書を慎重に開いた。そしてギンコの傍でずっと黙っている帝江の顔をまじまじと見詰める。
「ギンコさん、先ずはその方を診せてもらっていいですか?」
「あぁ、そうだな…頼む。じゃ、帝江…」
ギンコが帝江の手を取って、ガレキの前に出す。
「失礼します」
帝江と向かい合うガレキはそう言って、触診を始めようと帝江に手を伸ばした。
迫る小さな手に、帝江の伏し目がちの瞳がゆっくりと閉じられていく。
手が触れる、その時、
──ザァアッ!!
「うわあっ」
「うっ…!」
叩きつけるような風に、皆が顔を覆い目を瞑った。軽いガレキなんかは体勢を崩して地面に手をついてしまう程。そのためにガレキの手が触れることはなかった。
「なんだったんだ今の風…」
「あっ!」
大事な調書が飛んでしまい、ガレキは慌てて拾いに行く。
「帝江大丈夫だったか…ん?」
帝江に声をかけたギンコだったが、居る筈の場所に帝江はおらず、辺りを見回す。
「あ…っ、おいこら、帝江…っ」
見つけた。しかし何故かギンコ達の側から離れて行こうとする帝江を捕まえようとすぐに手を伸ばすも、今一歩届かなかった。立ち上がって追いかければ、なんてことはない。けれど…
躊躇しているうちに、帝江は行ってしまった。遠ざかる木履の音と森の緑に埋もれて行く灰色の髪。
「あ、あれ?」
「あーー…、すまんね」
調書を拾って戻ってきたガレキが森に消えていく帝江とギンコを交互に見た。
ギンコはばつが悪そうに頭を掻いた。
「大丈夫ですよ。彼女がその気になってくれるまで待ちますから」
また朗らかに笑ってガレキはその場に座り込み、古い調書をギンコに差し出してくれる。
「どうも…、じゃ早速…」
ギンコも地面を這う大木の根に腰掛けて受け取った調書に早速目を通し始めた。そしてその調書を指先で軽く撫でてその質感にやはりガレキたちがどれだけ昔から【月の卵】と共に代を重ねてきたかを知る。
やはり、読めば読むほど、あの時の帝江と一致していく。
しかし、これ以上話をする前に聞いておきたいことがあった。先程は質問の仕方を間違えて、欲しい答えを得られなかったから。
「ガレキ、おまえたちはどうしてこんなに【卵】について調べてるんだ?」
「それは…」
ギンコにそう聞かれた途端にガレキは寂しげに笑う。そして空を仰いでそれはまるで零れ落ちそうになった涙を堪えてるようにも見えた。
ギンコはそんな月長の様子に不躾なことを聞いてしまったのかとただ小さく、
「すまない」
一言そう呟く。
「…いいえ、違うんです。胡散臭く聞こえるかもしれないけど…僕達は、ただ【月の卵】でできるだけ多くの命を救いたいだけなんです。医者でも匙を投げるような病や怪我も、【卵】があれば治せる。けど、卵はいつどこで生まれるかわからない。だからこうして調べています……でも、やっぱりそんな都合の良いものがあるなら医者はいらないとか、【卵】の存在を知る人たちからは、その恩恵を独り占めにするつもりなんだろうとか、言われて……」
力無く笑うガレキの表情は儚げだ。
「…えらいな」
「え?」
「それでもおまえたちは、誰かを護るために動き続けてるんだろう」
子供のガレキがこうして頑張っている。誰に非難されようとも。
そんな姿に声をかけたくなって、素直に心に浮かんだ言葉を告げるとガレキは突然顔を真っ赤にした。
「…そ、そんな…ただ僕は…たまたま視える体質だから…それに、方法があるって知ってたら、誰だってそうすると思うから…」
照れて笑うガレキの頭をイサザが撫でれば、は余計反応に困ってしまったのか下を向いてしまうが、ふと目線だけ上げた時にギンコと目が合えばやがて思い切ったように口を開く。
「すみません…【卵】の持つ特性と、山での彼女の様子が似ていたとおっしゃいましたが、それについて伺っても?」
「ああ……イサザからは、死にかけているモノに命を注ぐ。それが【卵】なんだと聞いた。それで、俺は真っ先に帝江のことが頭に浮かんだよ……」
ギンコは一旦顔を上げ、森を見渡した。思わず帝江を捜したのだ。少し離れたところで空を見上げていた帝江を目認めて安心したギンコは口を開いた。
「あの日…」
──あの日、ギンコの目に止まったのは嵐に遭って弱った山。その山の山の中腹に着く頃にはすっかり夜となっていた。しかし、山は暗闇に囚われることは無かった。月光と……漂う蟲たちによって。
目に入る全ての景色、空一面に漂うのは、柔らかな光を湛える蟲の群れ。光脈筋とはいえ、これほど荒れてしまった山にその数は異常だった。
逆に、光脈筋にしては光酒の独特の甘苦い匂いは薄かった。
暫く山を観察していれば、蟲たちがどこかを目指して移動していることに気づいた。そして蟲の後をついて歩いている最中、異変を感じた。
蟲達は山の奥へ奥へと進む程、数を増し、種類を増していった。依然として光脈筋の匂いは薄く、けれど、精気は強い。そして何より不思議だったのは、険しい山道を進んでいるのに、躰が軽くなっていくことだった。不思議に思い立ち止まれば、その間に、更に躰が癒されていく。
そして気づいた。光脈筋がもたらす影響とは別の力が作用していると。光脈筋の力すら凌駕する何かが。
ギンコは歩き続けて、朽ち果てた古寺を見つけた。蟲たちは寺を囲むように群がり、精気はその寺の中から溢れているように感じた。
古寺には、人の手で作られた瓦屋根まで突き抜ける大木が見られた。
「寺の中は壊れた屋根から月明かりが差しているにしても明るくて…俺は驚いたよ」
寺を突き抜け生えている大木の幹に蔦で巻きつけられていたのが、帝江だった。まるで月の光を纏っているかのような燐光。寺院内を明るく照らしていたのは帝江自身だったのだから。
「その時帝江はそこに居る間に集まった蟲の気を帯びちまってたから、存在が酷く不安定になってた」
診るために帝江に触れてみれば、その瞬間躰の中に何かが流れ込んで来た感覚に、反射的に手を離した。
「俺はその時気付いたんだ。この山にあった光脈筋とは別の、精気の源はこれか…ってな」
「…大木の方に【卵】の力が宿っていたという可能性は?」
ガレキの妥当な質問に、ギンコは首を横に振った。
「俺もそうかと思ったよ」
木や蔦に触れたり、僅かに切り込みを入れてみるも、蟲の気配は感じなかった。蟲煙草の煙を吹きかけてみるも、木にも帝江にも反応はない。
ならばと木から帝江を引き離した。
「それからは山に精気が流れている様子も無くなった。それと、その山のヌシはその嵐で大怪我を負ってたが、帝江がずっと面倒を見ていたら、命を取り留めただけじゃなく、驚く早さで回復した。だから、木の方ではなく帝江の方に力があると思ったんだ」
「彼女は蟲を患っていたのでしょう?そのヌシの世話ができるだけの意識があったのですか?」
「そういや…そうだな。声かけても触っても反応しなかったのに…ヌシだけは離さなかった」
「……確かに……僕達が知る【卵】の習性に似ている…」
ガレキはまるで一人言のように呟いた。
「習性?」
ギンコの問いかけにガレキがハッとしたように顔を上げる。
「死にかけたものに命を与える。それは【卵】の習性なんです。自我が霧散してしまっていた当初も、その習性だけは失われずに動いていた…ということなら、もしくは…」
「じゃあ…やっぱり帝江はその…」
「待って下さい」
逸るギンコを止める。
「それでもやはり、何かの勘違い…ではありませんか?卵と同じ場所に居たから、その影響を強く受けたとか…」
「なら、何も食べないことや排泄もしないことはどう説明するんだ?」
「…すみません…でも、ご先祖…先達から受け継がれる調書の中に、【卵】がヒト型を取るなんてことが書かれたものは一つもありません。それに、習性とは言いましたが、【月の卵】は生き物では無いんです。でも彼女には感情が見られたように僕は思います」
「…っ」
そうだ。ギンコが嬉しいと自分も嬉しい、なんて言葉を、感情を持たない者が言える筈がない。
「それに、万が一彼女が【月の卵】を食べたとかいうことがあったなら…今頃、貴方も彼女も、
「!?」
物騒な言葉にぎょっとするギンコに、ガレキは一つの調書を広げて見せる。
「これを見て下さい。…天の狗。ここではテングとは読まず、テンコウと読みます。天狗はその命を持って【卵】を護り、【卵】を奪う者を許さない。逆に【卵】以外を護らない、関与しない情の無い生き物です」
「…天…狗……」
「【卵】の傍にはいつも天狗がいます。彼女が【卵】であった場合、もしくは山で【卵】を食べていた場合にしても、一人乃至二人の命は確実に天狗に奪われているはずです」
俯いているギンコに向かってガレキは続けた。
「彼女の躰のことが心配なのはお察しします。蟲について、自分ができる限り可能性を模索し、それでも答えが見つからない歯がゆさも…」
「ああ…」
「それでようやく彼女の躰を治せる糸口が見つかったと思って…ここまで来て下さったのに…僕は否定するばかりで…ごめんなさい。ギンコさんは、あんな優しい言葉をくれたのに…」
「……」
ギンコはどうも言葉を返せない。
「おまえの所為でもない。ギンコにおまえの話をしたのは俺だ」
イサザも割って入る。
「…力になれることがあるのなら、全力でお手伝いします!ですが…可能性を考えるより、不可能を除外していくのが正しい答えを出す近道ではないかと、僕は考えます」