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「【月の卵】の生態で俺達ワタリの問題も解決しないか?」


 あれからガレキを中心にイサザ、長の間で【月の卵】についての様々な問答が行われている。
 未知の存在とだけあって話は飛んだり戻ったりと白熱し、そして蟲師ではないワタリのイサザ達までが蟲師宛ら調書に読み耽っていた。


「でもよ、やっぱり帝江と【卵】は何かしらの関係があると思うんだよな。【卵】があったおかげで山の精気が漲ってたとしたら、ギンコがあの山から帝江を連れてきたから精気が枯れたんじゃないか」
「待てよ、【卵】は命を与えるんだろう?だったら出て行った後いきなり山が枯れちまうのは不自然じゃねぇか?」


 しかし、ギンコは話に入れない。それくらい気落ちしているのだ。
 しかし思いだす。
 地面には苔が隙間無く生え、それは木の根本迄を覆い尽くした。
 そして寺院を貫く程に成長した大木。その森に集まる星の数程の蟲達。森の一部となった幻想寺院。
 まるで昨日見た光景のように思い出せるあの命溢れていた山。それが【月の卵】で齎されていた恩恵だったとしても、【卵】があの山から離れたとはいえ、齎された恩恵はそのまま。
 じゃあ何故山は枯渇したのか。
 疑問は減るどころが増える一方。
 しかし、調書と符合しない現状があの山で起きてるのも紛れも無い事実。
 イサザも長も皆、次々に口を噤んでしまった。そして会話に参加してこないギンコにちらりと視線を遣る。
 ギンコはまだ調書に視線を落としていた。
 矛盾はわかっている。けれど拭いきれない。
 今まで皆の話しを聞いていたガレキは今まで広げていた調書を一つずつ丁寧に巻き戻しながら神妙な顔をしている。


「…あの、ギンコさん…」
「ん…?」


 やがてガレキが調書を片付けていた手を止めてギンコを見上げた。


「僕は…先達が残してくれた調書を信じています」
「ああ、すまんな…」


 未練がましく調書を見る自分に、その調書を疑われたとオビが思ってしまってもおかしくはないと、ギンコは謝るが、


「いいえ。だからこそ…可能性を…信じてみてもいいんじゃないかって…思いました…っ」


 ガレキの言葉に目を見開いたギンコ。様子を窺っていたイサザたちも目を瞠る。


「先達は決して、【卵】がヒト型にはならないことを証明したわけじゃない。今まで無かったからといって、これから起きないわけじゃない…だから……ごめんなさい。さっきはあんな偉そうな事言っておいて……でも僕、皆の話聞いてたら、もしかしたらって……はっきりしなくて…恥ずかしいな」


 汗をかき、頬を染めるガレキ。


「おまえはすごいぞ!ガレキ!」
「わっ」


 後ろからイサザがガレキの肩に腕を回した。


「大人なガレキをちったぁ見習え。ギンコ」
「えっ、えっ」


 ニッと笑うイサザ。


「…ああ、ほんとだな」


 ギンコはやっと、息を吐いた。
 そして、森の入口ら辺でオビと話しているらしい帝江を見つけてその姿を見つめ…それから目を伏せる。
 そのギンコの表情に気付いたガレキはしばらく黙り込み、その横顔を見つめていたが、やがて視線に気付いたギンコと目が合うと調書の束で顔を隠してしまった。
 ギンコは、勇気を出して言ってくれたガレキに再び笑みを零し、ずっと腰掛けていた木の根から立ち上がり、ギンコは固まった躰をほぐそうと背筋を伸ばした。


「ちょいと失礼するよ」


 そして三人に背を向けたギンコが森に向かって歩きだす。


「どこ行くんだよ、ギンコ」


 直ぐさまイサザの声がギンコの背中を追ってきた。


「あぁ、帝江連れてくるわ」


 いつの間にか帝江は森に入ったきり戻っていないのか、広場の何処を見渡しても帝江の姿はない。
 ギンコはやれやれと頭を掻いたが先程オビが側にいたし、きっと遊びにでも誘われたのだろう。


「「いってらっしゃい」」


 イサザとガレキのそんな声に腕をゆるりと上げて返事をする。
 返事をしながら、しばらく帝江を放ったらかしにしていたから、機嫌を悪くしていないことを祈った。