38

 一方、ギンコが話し込んでいる間の帝江は、ギンコから離れしばらく一人で化野から貰った首飾りを見ていたが、やがてザンカとチハの追跡を振り切ったオビがそんな帝江を見つけて側に来る。


「よ、何してんの?」


 すると帝江は振り返り…少し視線を下げた。そうして映り込んだ少年をじっと見つめた。


「……」


 無言のまま見つめてくる帝江にオビは狼狽する。今までは笑って返してくれたり、敬語を使えと殴られたりしてたから、ただただ見つめられるというのは反応に困る。


「…あ!何してるんですか?」


 そうだ敬語だ!と思い言い直してみるが…


「…………」


 果てしない無言に、う〜〜、と困った顔をする。


「え?えーと…旦那さん…?…あぁ、なんか真剣な話してるみたいだね…って、すんません。敬語使います!」


 ふと、その視線の向かう先を見て、遠く見える大木の根本に集う四人に気づくオビ。ガレキを遊びには誘えなさそうとごねた。が、ついつい敬語を忘れてしまっていることに気づく。


「…けいご…?」
「え?」


 帝江の小さな声にオビはきょとりと瞳を丸くする。中々話そうとしなかった帝江が開口一番に口にした言葉に対して二の句が継げなかったようだが、オビは帝江の顔をじっと覗き込んだ。


「…けいご…って…なに…?」
「…敬語って言うのは……」


 そこまで言いかけて、知らないならいいやと投げやりなことを思った。そんなことよりも、


「……俺、オビです。オビ」
「お、び…?」
「うん!よろしく!」
「よろ…しく…?」


 突然目の前でにっと笑うオビに小さく首を傾げる帝江。


「なぁ、遊ぼ?」


 オビが帝江の手を握った。


「な?来いよっ、木登り教えてやるからさ」


 走り出すオビに引っ張られる。
 一度ギンコを振り返った帝江だったが、しかし引かれるままにオビと二人で森の奥へと向かった。










「んで、この枝につかまって…そうそう、そしたら今つかまってた枝に足を乗せて…」


 まるで今自分の躰に登る子供と娘のために腕を広げているような大木の枝を伝い上を目指す帝江とオビ。


「大分上まできたな、ほら帝江。ここ来て。座って、見てみろよ」


 初めての木登り、ただオビに言われ教えられるままに着いてきた帝江だったが、オビの声に一つの枝に座り一息つく。
 吹き抜けていった風が心地いいのか、少し目を細める帝江。
 そして、すっかり敬語を忘れたオビの指差す方に振り向き、遠くに見えた景色を見つめる。
 空の青と森の緑。
 その景色にしばらく見とれていたが、やがて小さく木が揺れて、風が停滞していた時に揺れた枝に帝江はオビの方を見る。
 帝江の隣に居たオビは何故か身を屈めていた。


「…おび…?」


 するとおびが急いで帝江の口を手の平で塞いでから、シーッと帝江に声を出さないよう促す。


「?」


 ただ帝江には意味が分からないが。


「帝江、もしザン兄とチハ姉に俺のこと聞かれたら知らないって言って」


 おびがこんなことを言う理由は、二人がいる木の下の方で起こっていた。辺りを見回しながらザンカとチハがこちらに向かって歩いて来ていたのだ。


「後で迎えにくるから…帝江は静かにしててよっ、お願いだからさ…!」


 そう、オビはこの二人から逃げている最中で、帝江に声をかけたのだ。オビは帝江に小声でそう言い残すと、帝江を残し急いで枝を器用にスルスルと伝い一人木から下りて走り去ってしまう。


「……」


 オビは行ってしまったが、ここから見える景色は綺麗で、ザンカやチハにも気付いていない帝江は景色を見始めた。
 元々あまり動かないので、意図せずだが、オビの願いも叶えられている。
 辺りを必死に見回すチハ。どうやらまだオビを捜し出す事に執念を燃やしているようだが、一方後についてくるザンカはもうそんなチハに仕方なく着いてきていると言った感じで辺りの茂みを手で軽く払ったりしながら歩いている。


「なぁ、もうそんな躍起にならなくてもいいだろ?」


 もうすっかり諦めたザンカが怠そうにチハを呼び止めれば、まだ諦めきれないチハ。振り向くなりきつくザンカを睨み上げた。


「そーやってすぐザンカがオビを甘やかすからねぇ…!」
「別に俺は甘やかす気も厳しくする気もさらさらねぇよ、チハがしつこ過ぎるんだよ」


 やれやれと項垂れるザンカにチハは声を張り上げ、その声で木の上の帝江が二人に気づき、見下ろした。


「…あー、もぅいいわよ。私一人で探すから…あんたもそんな嫌々ついてこなくても…」


 何も言わないザンカにチハは呆れてまた歩き出したが、自分に背を向け歩きだすチハの手をザンカが素早く掴み…その躰を引き寄せ腰に手を回し抱き寄せた。


「な…!んっ…んん…っ!?」


 いきなり間近に見えるザンカとその行動にチハが目を丸くする。
 唇を塞がれ余程驚いたのだろう。
 ザンカの腕から逃げ出そうと抵抗するチハ。しかしそんなチハをザンカは強く抱きしめ宥めるようにやんわりと背中に腕を回した。身動きがままならずも抵抗を見せていたチハだが、やがてしばらくすると躰から力が抜けて…チハはザンカの口づけを大人しく受け入れる。
 そしてザンカがそんなチハをきつく抱きしめ口づけを深くした。
 その様子をしばらく木の上で見ていた帝江。


(いたい…?)


 躰を密着させているのは、一緒に居たいという想いの現れ。
 けれど、口づけているその場所は痛い。化野の行動であらぬことを覚えてしまっている帝江。
 帝江が木の上で心配そうに二人を覗き込む。
 帝江が見てることなど当然気付いていない二人がやがて唇を離して見つめ合った。
 チヤの瞳はどこと無く潤み唇は濡れて赤く染まっている。気丈なチハしか知らないザンカはその熱に、浮かれたような表情に思わず喉を鳴らす程に魅入ってしまった。
 チハの肩を掴み、今度はきつくきつくその躰を抱きしめて耳元で囁く。


「好きなんだ…、愛してる」


 顔を上げたチハがザンカの真剣な声に驚いたように顔を上げ、ザンカの顔を見つめた。


「…ザンカ…、…いきなり…」
「…俺の心ん中じゃあ…いきなりのつもりじゃ…ない」


 忍び音が小さく…帝江の耳にも届く。
 帝江と、チハとザンカ…。
 時が止まったように固まる三人の間に木々を揺らしながら風が流れた。
 ザワザワと緑が揺れて、まるでその音が合図かのように見つめ合うザンカとチハの顔が、唇が再び近づいてその唇が重なる


「……あー…、ん、んん…っ」


 …寸前に咳ばらいする声が聞こえてザンカとチハは突然のことに目を丸くした。


「「…ギ…ギンコッ…」」


 二人して同時にそこに立っていたギンコを見て二人して同時に叫び二人して同時に離れる。


「…いや、すまん…な。邪魔するつもりはなかったんだが…」


 動揺しているようには見えないギンコだが、男女の恋慕を目の当たりにして、しかもその二人は知り合いで…さすがにどう反応を示してよいものか悩み、その視線は二人にではなく在らぬ方向に向いていた……という訳でもなく。
 ギンコの視線の先は二人の側に根を下ろす大木、の枝。その一点を見つめながらギンコが二人の側へとやってくる。


「いやなに、俺はこいつを捜して来ただけでね。すぐに退散するから…まぁ…あとは気にせんと続けてくれ」


 緑鮮やかな葉が群生する中にギンコが手を伸ばす。


「…ほれ、んなとこで何してんだ。下りてこい」


 しかし、反応は無い。
 二人も気になって覗いてみると…


「「…いつからそこに…!!」」


 そこに居た帝江に更に驚くザンカとチハ。
 この場に居る人間の中で、唯一一切の動揺も見せずに平然と枝の上に座っている。


「すまん…それに帝江が見ている前だったし、な。帝江!どうした?降りられないのか?」
「…おび…むかえ…くる……まつ」
「なっ!おび!?あいつ女の子残して逃げたわけぇ!?」


 さらりとオビの名を出してしまった帝江。
 そしてオビの名に我に返ったチハ。


「あ〜…だったらいい。たぶん戻って来ないから。降りてこい。な?」


 もう一度手を伸ばすと、ザッと枝が激しく揺れて、そこから姿を表した灰色。枝から飛び降りてギンコの近くに着地した。


「戻るぞ」


 ギンコは帝江に笑いかけた後、頬を小さく掻いて「…邪魔した」と再度謝るギンコにザンカとチハは二人して激しく頭を横に振った。
 その場からなるたけ足早に立ち去ろうとしたギンコだったが、裸足の帝江に気づいて木の根本に落ちていた木履をギンコが拾おうとまた振り返ったが、チハがそれを拾い上げ帝江に渡した。


「……ありがとう…」


 木履を受け取った帝江が初めてチハに向けて声を発した。それに笑みを浮かべたチハだったが、次に帝江がとった行動に目を見開くこととなった。


──ふわ…


 チハの眼前に、帝江の顔。その距離には、見覚えがあった。
 ついさっきまで、ザンカがこんな距離に居た。

「「!?」」
「帝江!!」
「チハ!!」


 ギンコとザンカがそれぞれ女の名を呼び、グンッと躰を引き寄せて腕に収める。吃驚と固まってその腕に収まるチハと帝江。しかし、男二人の方がよほど狼狽し目を大きく見開いていた。


「……何してんだ帝江!」


 ギンコが後ろから帝江の顔を覗きこんで問う。


「大丈夫よ。ギンコ。ほら」


 チハは口に宛がっていた手をひらりと上げる。
 帝江がチハの唇に自分の唇を重ねようとした時、見覚えのある光景に、チハは咄嗟に帝江の口を覆って口が触れあうことを避けたのだ。


「そ、そうか…って、そういう問題じゃないだろう!」


 ザンカもチハの後ろで喚く。


「耳元でギャアギャア喚くんじゃないわよ!」


 ザンカに負けず劣らず声を張り上げるチハ。


「…帝江。なんでいきなりんなことしたんだ?二人の真似でもしたくなったのか?」
「ちょ、ギンコ!」


 チハが顔を赤らめるが、


「……ちは…くち…いたい…」


 帝江の言葉で慌てだす。


「えっ、ごめん!」


 チハは帝江に駆け寄ろうとするが、ザンカに止められる。


「ちょっと!何よ!」
「ちょっと待て、ちょっと待て。な?」
「はあ?」


 またチハの唇が狙われるかもしれないのだ。女同士と言っても嫌なものは嫌だ。


「いたい…ところ…くち…あてる…と…いたい…きえる…から」
「?」


 【痛い所に口づけると、痛みが消える】


「「「…?」」」


 帝江の言葉に三人は首を傾げたが、ザンカはもしかしてと声を上げた。


「ギンコおまえ…帝江が何も知らねぇからって…」


 ギンコが邪な考えで帝江にそんな世迷言を教えたのだろうと予想したザンカ。確かに、旅を共にしていたギンコが確率は一番高い。


「サイッテー!!この子から離れな!」


 今度こそチハはズンズンと帝江に近寄り、ギンコからひったくる。ザンカも止めない。嫌な時に息の合う二人だ。


「ちょっと待て。俺はそんなこと教えた覚えはない」
「あんた以外に誰がいんのよ!」


 女の敵と言わんばかりの目でギンコを睨むチハはその胸に帝江を抱いている。


「話を聞いてくれ」


(確かに膝枕とか…添い寝とかはさせてるが、さすがに…)


 どれもこれも、今言えば火に油を注ぐようなものなので、ギンコは口を噤む。


「帝江、誰に教えてもらったんだ?」


 ギンコは自分への疑いを晴らすため、問題を起こした本人に聞いてみた。
 三人の視線が帝江に集まる。


「…あだしの?」


──ピキィン


 氷に亀裂が入るような音がした。


「め、いたい……とき…あだしの…くち、あてた…め…なめる…いたい、きえた」


 三人は、恐らくその時の状況を理解したのだろう。ザンカだけが「ヒュ〜♪」と口笛を吹いた。
 帝江も少し嬉しそうなのは、その時痛みがとれたことへの驚きもあったのだろう。しかし…


「ギンコ…」
「うわっ…」


 チハの声に、ザンカが見下ろすと、おどろおどろしい空気を纏ったチハがそこに居た。思わずそう声を上げる程。


「その【あだしの】って奴は……だぁれ?」
「……い、医者だよ…」


 むしろ、いつもより艶やかとも言えるような声音だが、その形相は、そんな色を一ミリたりとも感じさせない。


「へぇ…お医者様が…ねぇ…」
「化野は…そんな奴じゃない。おちつけ、チハ」


 恐る恐るギンコが言う。


「そうだぜ。たぶん近くに水も無くて、痛がる帝江を放っておけなかったから」
「ふぅん…あんたは可哀想だったら女の目玉舐めれるわけ?」
「い、いや…」


 このままでは化野が完全に変態にされてしまう。


「ち…は…?」


 帝江がチハを見上げると、チハの纏う恐ろしい空気が一旦鎮まる。


「帝江!あんた他に何もされてない!?」
「?」


 帝江の肩を掴んで言うが、本人にはよくわからない。


「服脱がされたとか、ベタベタ触られたとか!」
「そりゃ医者だから多少はあるだろうよ」


 帝江が頷いてしまう前にギンコが答える。実際、化野が帝江に服を着せたりしていた。しかしこれは語弊を生むかもしれない。今がそれだ。


「とにかく、あいつは大丈夫だ。行くぞ、帝江」
「あっ」


 ギンコの方へ向かう帝江に手を伸ばすチハだが、ザンカに引き止められて追えなかった。


「帝江のことはギンコに任せておけよ」
「でも…っ」
「おまえより、ギンコの方が心配なはずだろ」


 ザンカの言葉にチハは黙る。ザンカはチハの腰に手を回し、またチハを引き寄せたが…そんなザンカをキッといつもの表情に戻ってしまっていたチハが睨み上げたかと思うと、森に再び渇いた音が響き…ザンカの頬には本日二枚目の紅葉が赤く葉を広げていた…。