焚火の周りにいたガレキたちの姿が見えない。
ふと目を覚ましたギンコは視線を横へ向けた。しかし、そこにあるはずの灰色は無く、
「帝江?」
腕の中にあるのは帝江が被っていた掛布だけで…。
そこで、森の中から話声がすることにようやく気付く。ギンコは咄嗟に辺りを見回し立ち上がると、自分もそこに向かって走り出した。
木々の陰の暗がりだが、そこに居たのは間違いなく、先程まで焚き火の周りに居た彼らで。今度は焚き火ではない何かを取り囲むようにして跪いている。
そしてその中央に立っているのは、ずっしりと貫禄のある男。
「さあ、こちらに…我らが帝江…」
「!」
ここからでは男の背に隠れてよく見えなかったが、そこに帝江がいるらしい。しかしこの状況はいったい…。
ギンコは目を細めた。
あの男に跪く彼らの姿…一行を率いる頭目を敬うにしても、先程までは並んで雑談をしていたのだ。
(あの男にやってんじゃねぇとしたら…)
ギンコの中で、警戒の色が強くなる。
男が帝江に手を伸ばす…
「おい、何してるんだ!」
帝江の傍に駆け寄るなり、ギンコは男を押し退け帝江を自分の方に引き寄せようと手を伸ばした。この光景と男の言葉に不信感が湧いた。不躾な態度は勘弁してほしい。
しかし、伸ばした手が帝江に届く前に、集まっていた他の者達に取り押さえられた。
「頭目に何をする!」
「なんだっ、離してくれ!」
「ぎんこ…?」
引きずられ、帝江から離されたギンコに帝江が駆け寄ろうとするが、その手を掴み待ったをかける頭目。
ギンコはそんな頭目の顔を困惑の表情で見つめる。
怪訝そうな顔を浮かべるギンコに対し、その目に写る頭目は笑みさえ浮かべていた。
そこに気さくな親父の姿は無かった。
「そいつは俺の連れだ」
「どうなさった?蟲師殿。そのような顔をして。我々はただ、一人森に入ろうとしていた彼女を止めようとしただけ。夜の森は何かと危険ですからな」
なら何故ギンコを取り押さえたままなのか。
「今更しらばっくれる気かい…俺のいない間に帝江に何しようとしてやがった?」
ギンコの言葉にフッと笑った頭目は帝江の手を緩やかに引いた。
「…まあいい。戻るぞ、おまえたち」
「「「はっ」」」
ギンコは左右から腕を引かれた。
「おいっ、離してくれ!」
そう言ったが、腕を掴む手は緩むどころか、突如動いたギンコを押さえ付けようと彼らの爪先が余計皮膚に食い込みギンコは痛みに眉を顰める。
「ぎんこ…」
痛みを訴えるギンコの表情を見て、帝江がどこか心配そうにギンコの下へ向かおうとしたが、とられていた手を引かれたことによって叶うことはなかった。
帝江がゆるりと顔を上げる。その先には、冷めきった表情のまま、眉一つも動かさずに帝江を見下ろしている頭目。帝江と目が合った途端、頭目はパッと表情を変えて笑みを浮かべた。そしてギンコに向ける…
「話ならば向こうで、だ」
「話だと?」
「おいおい、聞いてきたのはそっちだろう?それに…この森に置き去りは嫌だろう?」
嘲笑と共に告げられた言葉にギンコはゾッと背筋に走る物を感じた。その言葉は暗にここで始末されたくなければ大人しくしていろと言われているようだった。
再びギンコたちは元居た場所に戻ってきた。
「おい…、何をするつもりなんだ」
先頭を歩いていた頭目が振り返る。大木の元で揺らめく焚火に照らされた頭目の顔ははっきりと光りと陰に別れていて…しかし両の瞳だけは冷たく光り、無感情に帝江を見つめていたが……しかし陰となっていた半面が、今まで見たことのない、冷たい笑みを浮かべていた。
「何をするつもり、だと?ハハッ…本当に何も知らないようだ。なあ、ガレキよ」
頭目が遣った視線の先。おずおずと出て来たのは、生成り色の頭の少年…
「ガレキ…おまえ…」
「ごめんなさい。ギンコさん……僕…」
か細い声に、言いづらそうに言葉を詰まらせるガレキの頭にその大きな頭を乗せた頭目。その瞬間ガレキの躰がビクリと震えた。
「教えてやれ、ガレキ。己が手に入れたモノの価値もわからぬ愚かな若造に」
「この美しき【卵】の力を」そう言って頭目は帝江の後ろから腕をとり、顎を掴んでギンコに顔を見せるように上げさせた。
「…死にかけているモノに命を注ぐ……間違ってはいません。ただ、少し違います」
「?」
「すみません。山を回復させたのが【卵】だと説明するのに、イサザさんたちにはわかりやすいように…且つ、曖昧に伝えました」
申し訳なさそうにガレキは言う。しかし、ガレキが続けた言葉にギンコは混乱せずにはいられなかった。
「───たかがその程度の力を、僕達が求めるわけがないでしょう?」
「!?」
昼間ギンコに見せた人懐こい笑顔は消え、少年には似合わない歪な笑みを浮かべていた。
「【帝江】とは、【力の塊】。他者の願いに反応し、意思無くそれをただただ叶える続ける。それが
ギンコの表情が強張って行く。
「あの山に力を注いだのは、山を護りたいというヌシの願いでも叶えてやったんでしょう。本当はもっとすごいことができるんですよ!命を助けるなんてちっぽけなもんじゃない!」
ガレキは腕を広げて高らかに言う。
ギンコは訳が分からなかった。心優しいガレキが、こんなことを言うなんて。
「既存の生物でない、新たな生物を生み出すこともできる!この空を海に変えることも!大地を降らせることだってできる!バカみたいな幻想を現実にしてしまうのが帝江の力!あれはね!ギンコさん、創世のために生まれた、神の力なんですよ!!」
歓喜に高揚し震えている少年。その様は崇拝する者に出逢えた奇跡に喜ぶ姿にも見えた。言葉にも、強大な力に対しての畏敬も感じられる。が、言葉の節々に帝江を軽視し物のように表す言葉が見受けられる。
ギンコが眉を顰め無言でガレキを見つめる。すると、また自分たちが嘘を言っているのではとギンコが疑っていると思い、ガレキはただ一言…
「今の帝江の説明…大丈夫、これは本当ですよ…」
おかしくなっている。そう思える少年を背後から愉しそうに見ている頭目を、いつの間にかきつい眼差しで見つめてしまっていた。
「何故貴殿には本当か嘘かを教えるのか…わかるか?」
頭目は薄ら笑いを浮かべたまま、ギンコの眼差しなど気にもせずに続きを話し出し…ギンコはその頭目の質問に顔を背け一言言い放つ。
「…っ、知るか…!」
帝江のことを隠していたことはもういい。もうわかった。こいつらが、初めから自分に協力してくれる気なんてなかったことは。
ただ、帝江に無遠慮に触れている頭目に苛立ちを感じていた。
「ふはは、分からない…というか…分かりたくないのだろう?安心しろ。死人に口なし…なんて言うつもりはない、ただ、此方側に来てもらいたい。だから本当の事を話したのだ。ガレキから、ワタリの連中から、貴殿の有能さは耳にした。よくぞ帝江を護り、我々の所まで送り届けてくれた」
「あんたらそれ…本気で言ってんのか?」
ガレキと頭目の話。帝江を便利な道具のように言うそれは、つまり…帝江を手に入れ、人が私利私欲のために帝江を利用する…ギンコが最も染まりたくはない行為。
「断る。帝江は…こいつは…そんなことのために在るんじゃない。……大体読めた」
自分がたまたま帝江の生態にたまたまその通りの予測をし…そこまでの予測に辿り着いたギンコに頭目達はギンコを元から仲間にするつもりで【月の卵】について色々と教えた。
ただし信用はしていない。だから曖昧に、深い所の底に手が届くか届かないかの歯痒い所までを。
それ以上を知りたかったら…此方側へ来い。
頭目の言わんとすることはそういうことなのだ。
「あんたら先祖代々の人間も大方そんな考えで…帝江を追いかけ回してきたんだろ。だから帝江はおまえたちから離れようとしたんだ。ガレキに触診される時も、今も。だがわからねぇ。帝江はあんたらが捜してる【卵】とは別物だと言ったのはそっちだ。あれも嘘なのか?」
ギンコに睨みつけられた頭目。だがその言葉と視線に頭目は動揺を見せる所か寧ろ嬉しそうに…声を上げて笑う。
「度胸もいいな。……だが、我々から逃げた…というのは少し違うな」
クスリと頭目は笑った。
「帝江には意思も、感情も記憶もありはしない。少なくとも、我々が知る帝江にはな」
「じゃあなんで帝江はガレキから逃げた」
「ガレキが説明したと聞いたがな…違ったか?」
頭目がガレキに視線を滑らせる。
「いいえ。お伝えしたはずですよ」
「そうか。まあ、わからないのも仕方あるまいて。貴殿の言った通り、我々は帝江を追い求めていた。だが、それには大きな障害がある」
ギンコは視線を落とし考える。
「天狗はその命を持って【卵】を護り、【卵】を奪う者を許さない。逆に【卵】以外を護らない、関与しない情の無い生き物です」
「【卵】の傍にはいつも天狗がいます。彼女が【卵】であった場合、もしくは山で【卵】を食べていた場合にしても、一人乃至二人の命は確実に天狗に奪われているはずです」
「……天狗か」
呟けば、頭目の口元が弧を描く。
「天狗は我々が帝江に接触したことに気づき、帝江にしか聞こえないある
「天狗は帝江を追っていたのか?だからあんたらはこいつが【卵】だとわかったのか!?」
「その通り!理解が早くて助かるよ」
パッと表情を明るくした頭目。
「我々は帝江を追うが故に天狗に命を狙われている。だからこそ、命を護るために少々工夫を施しているのだよ」
「工夫…?」
「ああ、交代で常に結界を張り巡らすことで身を護っている。しかしこれがなかなか便利でな。天狗以外のものを弾くことはできないが、天狗だけは決して通さん。だからわかるのだよ。結界が反応するのは天狗だけなのだから」
───結界が揺れる時、それは天狗がやって来た時。
「天狗とは単純な生き物でな。我々が常に帝江を追っていると知っていても、実際に手を出す時以外はこちらに無関心なのだ」
───そんな天狗がわざわざ結界を破ろうとしている。
「つまり、これが帝江である何よりの証」
帝江の頬をするりと撫でながら告げた頭目。
「だが信じられんことだ…あの美しき獣が、このような汚らわしい色に染まり、人の肉塊に包まれてしまうとは…」
──ギリ…ッ
「おい…っ」
頭目の帝江を掴む腕に力が込められた。
帝江の腕がビクリと震える。
「…ああ、すまない。…だが不思議なものだな」
「?」
腕の力を抜いた頭目。
「帝江の力の片鱗は見たのだろう?それでもおまえはただこれを慈しみ、人のように扱っているように見える」
頭目は本当に不思議そうな顔をしていた。
「……何言ってやがる。帝江は人だ。人と一緒に過ごして、必死に言葉を覚えて……知らねェだろい。帝江がどれだけ優しいか。人が痛がればそれを取り除いてやりてえと思う。人が孤独を感じれば傍に居てやりてえと思う。人よりよっぽど優しい、立派な人間だよ」