「……ふ、ははははっ!」
頭目は堪えきれないというように吹き出した。
「やはり子供の考えだな…それこそ、帝江の習性だろう。人は痛みを感じればそれを癒そうとする。孤独を感じれば他者でそれを埋めようとする。帝江は人の本能を叶えようとした。ただそれだけのことだ……まあ別にいい。私はこれを返してもらいたかっただけだからな」
頭目は一頻り笑い続けると、笑い疲れたのかガクリと項垂れ、そしてゆっくり上げた顔の前髪の隙間からギンコを見下ろし…それからふと焚火以外の光に気付き空を見上げた。
頭目の視線を追えばギンコの視界にもすぐに飛び込んできた木々の端からやっと顔を出した白い月…。
「美しき月よ…あの美しさを見れぬは遺憾だが……儀式は行える」
ギンコが団長の言葉に息を飲む。
「さあ、神々しきその力を我々に見せてくれ…帝江よ」
帝江と向かい合うと、嬉しそうに帝江を見つめて頭目はその手をとったまま身を屈めて膝をつく。
「───〜〜…」
また呪文が始まる。
──キィイイ…ン
帝江の周りをふわりと風が舞う。空気が澄んでいく。
帝江は目の前の男が自分の力を使おうとしていることを悟ったのか、満面の笑みを湛える頭目をそっと見下ろした。
「…待て…、何する気だ…っ」
ギンコが皆を振り切ろうと暴れたが…この者達は頭目に従順らしくギンコは地面に押さえ付けられた。
「わかりきったことを。【卵】を使うのだよ」
「っ」
「見せてやろう。美しき帝江の力を…」
まるで憑りつかれているようだ。
腕をどんなに伸ばし足を地面に踏ん張り足掻いても、ギンコの躰が帝江の傍に行くことはできなかった。
しばらくそんなギンコを冷ややかな目で見ていた頭目は帝江にすっと視線を戻すと、今度は目を閉じた。
代わりに帝江が空を見上げた。帝江の視界に櫛形の白い月が目に留まる。
「よせっ…帝江!帝江!こっちに来い!!」
駆け寄る事もできないギンコが取り押さえられながらもそれを阻止しようと帝江に叫ぶ。
帝江はギンコを見た。
──カシャン
突然、その空気を裂くように響いた音は玻璃が割れるような…
しん…と、静まり返る。
ギンコも頭目も、帝江の周りにいた者達全員が息を飲んだ。
一瞬にして、帝江の身の丈を追い越す大きな水晶が現れたのだ。まるで帝江から生えているようにも見える。
「帝江っ!」
ギンコが叫び、制止を振りほどき帝江に駆け寄ろうとしたが頭目の視線がギンコを取り押さえる者達に向けられればギンコは地面に捩り伏せられ……しかしそれでも地面を這いずるようにギンコは少しでも帝江の元にたどり着こうと抵抗する。
青白い燐光が辺りを照らし、頭目はその水晶を見て満足そうに口を歪めた。
その硬質の水晶に触れた頭目。
甘い香りが辺りに広がると共に地面から生えるように蟲達の気配が。
「蟲師殿」
頭目がギンコに笑みを向けた。
心の内を読まれまいとする作り笑顔の仮面。
頭目は帝江を呑み込む水晶に触れてうっとりとした顔でそれを指先でつぃと撫でた。
そして、指先で撫でていた水晶を突然握りしめてその腕に力を込めた。
ギンコがそれを見て叫ぶ。
「!、よせっ、やめろっ」
手折られた石が何とも言えぬ音を響かせ、燐光が折れた所に集まり風に乗り飛散する。
そこに大気を漂っていた蟲達が群がりだした。途端に蟲達が生き生きと活発に動き出す。
「この一欠片で村一つを向こう数十年潤し続けることができる。そう想像したからな」
頭目は手折った石を月に翳した。周りから歓声が上がる。
喜びに踊る者達の中央で、水晶に呑まれながら眠っている帝江。その様は美しさを魅せるのに、ギンコは酷く泣きそうな気分になった。
「……帝江を、解放しろ」
「は?」
小さな呟きに、頭目が反応した。
「その欠片で村一個救えるなら、それだけあれば十分だろう?」
「おやおや蟲師殿。貴殿は本当におかしな人だ」
楽しそうに笑ってギンコの前にやってくると膝を付き、ギンコの前にその手に持ったままの水晶の欠片を置いた。
近くにあるだけで感じる精気。確かにこれがあれば枯れた地を生き返らせることもできるだろう。
ギンコは眉を寄せて苦々しくそれを見る。
「帝江は巨万の富をもたらす存在。解放?莫迦を言ってはいけない……貴殿もこれを自由にするのが一番だと思っているのか?あの天狗のように」
「天狗…?」
「天狗は天の狗であるが故に、あるものをあるがままにあれとする。これを使おうなどという気はない。ただ護るだけ」
「それの何が悪いってんだ」
「悪い?違うな。おかしいと言っている。他人の想像を具現化するのが帝江だぞ?つまり、帝江の能力に帝江自身の意思は何一つも必要ないのだ!」
「!」
「第一我々から引き離した後はどうする?また連れて旅をするのか?それは帝江の意思ではなく、貴殿の意思ではないのか?貴殿も何もわからない娘を勝手に連れ出した口だろう?あの山から……」
確かに、寺から、山から、帝江を引っ張り出したのはギンコだった。蟲の気を帯びていた帝江の手を引いて旅に出たのはギンコだった。
帝江が嫌がらない限り、共に旅をしようと。嫌がることもできない帝江を……
「……っ」
ギンコの眇が揺れるのを見て頭目は言葉を続けた。
「しかし驚いたよ。あの山には、ある種を撒いておいた。強い力に触れれば反応し、芽を出す【妖樹】。己が成長するために力の元を捉えて離さない。あれは帝江を捕らえるのに丁度良かった」
ギンコが山で見た巨木はそれだった。
「しかし反応があったと知らせを受けて飛んで行ってみれば、帝江の姿は無かったのだから……まさかとは思うが、山のヌシが妖樹の力を押さえたのか?それとも貴殿には、元より妖祓いの才でもあるのか。しかし遅かったな。妖樹は帝江から力を得ていた。あれの本体は木そのものではなく、地中の根に寄生する小さな
「あんたら…そうなるのをわかっててそんな危ねぇもんを使ったのか」
「帝江を使えば死んだ山の一つや二つ、簡単に元に戻せる。貴殿が望むなら、そうしてやろう」
死んだ命は元に等戻らない。そんなこともわからない者達。ギンコの嫌悪は増す一方だった。
頬杖をついて笑う頭目がギンコの髪を掴み上げ、その痛みにギンコは呻きそうになるのを堪え代わりに頭目を睨み上げてやる。
「…帝江を…ものみたいに…言うんじゃねぇ…」
「……まだそんな戯れ言をのたまうか」
ギンコの目つきが気に入らない。まるでそう言いたげに頭目がギンコの髪から手を離した。ギンコが頭目を見つめる目と同じ、嫌悪を示す瞳がギンコを見下ろした。
「気持ちの悪い男よ。先程から物じゃない、人間だなどと……うむ、」
頭目は顎に手をやり、一つの可能性を口にした。
「さてはこれに惚れたか?まあ、初めて逢った時人間の形をしていたのなら、人間と思い惚れるのも無くは無い話か…だが、山で力を見たのだろう?強大な力を。それでよくもまあこれを人の子と思えたものよ…」
ギンコは己の耳を疑った。
(こいつらは…)
ギンコは後ろ手に押さえ付けられた手で拳を握りしめて、唇を噛み締めて瞳を伏せた。
(こいつらは…っ!!)
頭の片隅に浮かぶのは、いおに抱き着いてありがとうと告げている姿。自分の傍にいると言ってくれた姿。化野と別れた後、表情に出さずともそれを惜しみ、不機嫌そうに自分と離れて歩く帝江の姿。
「だが貴殿もこれを使えばわかる。これの真の素晴らしさは、見目などでは…」
「帝江はものじゃねぇ」
頭目の言葉を遮って言ったギンコに、ギロリと視線を遣る。
「何度でも言う。おまえはものじゃないぞ」
「?」
ギンコの視線は頭目になど向いてはいなかった。頭目の後ろにいる帝江を包む水晶が煌めいていたが、そんなものには眼もくれず、ギンコは閉じられた帝江の目を見ていた。
ギンコの視線に気づいたのか、声が聞こえたのか、帝江が目を開け、虚な瞳で地面に押さえ付けられていたギンコを見つめた。
──バキィッ!
「ッッ」
ギンコの視界が揺れた。
ぐらぐらと視点が定まらない。顔面を蹴られたのだと理解した。
頭目が顎で周りの人間に合図を送り促せば、ギンコは一本の木の根元まで引きずられその木に縛り付けられた。
「……っ頭目!もう…いいだろ?約束通り、その石を…」
じり、と頭目に近付いた男。
焦りを匂わせるその姿にギンコは眼を見張った。
(あぁ…そりゃそうだ……あんたらが抱えてる問題が里や、身内…だとしたらそりゃあ、あんたらにとっては見ず知らずの帝江なんかより…)
「でも…それなら…俺だって……」